第16話名探偵の裏事情

 壁際に積まれていた机を引っ張り出して、犬飼先生から手渡された用紙に目を走らせる。まるでテストのごとく、設問と回答欄がずらりと並んでいる。


「生活指導の自分を差し置いて、俺が湯澤の処分を決めたのが、柳川は相当面白くないらしい」


 犬飼先生もペンを走らせながら、ため息交じりにぼやいた。


「状況を考えれば、こんなことしてる場合じゃなかったんだが、来る日も来る日も職員会議でなあ」

「先生が姑息な手段使うからですよ」

「そう言うなって。しょうがないだろ、俺が端から一枚噛んでたなんて、余計説明が面倒くさい」

「生徒を脅してオカルト話を聞きだしてたなんて、言えないですもんね。どうせ、そういう汚れ役は、元から怪しい僕の仕事ですよ」

「でも、先輩、すごいっすよね。この間、湯澤さんを問い詰めた時は名探偵みたいで、正直びっくりしました」

「そう?」


 書面に書き込みながら、今さっきまで拗ねていた井上先輩の声が弾む。


「だって、まるで見てきたかのように、ずばりと言い当てて、シャーロック・ホームズみたいでした! 湯澤さんが部室から出てくるのを予言した時には、俺、鳥肌立ちましたよ」

「そうかなあ」

「…あんまりほめるな、佐伯…」


 照れる井上先輩を横目に、犬飼先生が手を止めて、そっと首を振る。


「何でですか」

「こいつが勘がいいのは確かだが、7割はストーカー的な行動の賜物だ」

「へ?」

「いつでも、どこにでもいるだろ」

「ええ」

「梶原が夜中に出歩いているのも、湯澤がそれを尾けていたのも、こいつもその場にいなきゃ、知れるわけがない」

「そう言われれば…」

「それに、お前が言っていた、湯澤が部室を開けるタイミング。あれだって、湯澤の行動パターンを、来る日も来る日もデータを採って」

「ええ?」

「お前も相当、着けられてたぞ」

「うそ…」

「みちる君の行動パターンなら、お見通しだよ。だから、自転車置き場で君が転んだ時も、すぐに駆け付けたじゃないか」

「ええぇ…」

「言っただろ、井上はしつこいって」

「聞きましたけど、もはや、ストーカーじゃないですか。大学、いつ行ってるんですか!」


 井上先輩はきょとんと眼を瞬かせて、首を傾げた。


「行ってないよ、大学。僕、就職組だから」

「うちの学校の進学率を、久しぶりに下げた原因だ。進学しろって言ったんだけどな」

「え、じゃあ、まさかの国家公務員?」


 指差した俺の手をぎりぎりと押し下げて、井上先輩が顔を近づける。


「はずれ。君が言うように、探偵だよ」

「ええええ!?」


 あまりの驚きで、ペンが滑って用紙の上によれよれといびつな線が走る。犬飼先生が慌てて俺の手からペンをもぎ取った。


「といっても、まだ見習いだけどね」

「浮気調査とか…?」

「それはなぜかさせてもらえない」

「ああ、でしょうね…」


 こんな顔が道端に立っていたら、隠れていたって目立ってしょうがない。俺が何を考えていたのか悟ったようで、先輩が唇を突き出す。


「まあ、だから結局、迷子のペットばっかり探してる。これでも相当、解決率は高いんだよ」

「井上の場合、近隣の奥様方を味方に付ける情報収集能力に加えて、カメラがあれば大分有利だからな。お前も撮られたんなら、覚えがあるだろ」


 首を傾げた俺を、犬飼先生が知らないのかと驚いた顔で見た。


「井上のカメラで撮られてる間、頭がぼうっとしなかったか」

「した…気がします。それすら覚えてない…」

「やだな、みちる君、ちゃんと説明したじゃない。僕のカメラで撮影すると、意識というか、本体が少し削られて、フィルムに焼き付けられる。だから、何枚か写真に撮れれば、被写体はぼうっとして逃げられない」

「やりたい放題…」

「だな」


 犬飼先生と思わず顔を見合わせて深く頷き合う。


「でも、それだと、どうやって正気に戻すんですか。俺、確かに撮影されてる間は、あまりの展開に呆然として記憶がないけど。時間ですか、一定時間経つと、異常状態が解放されるみたいな」

「ああ、リリースする人がいるんだよ」

「リリース?」

「そ、僕がフィルムに焼き付けて、そのフィルムを破れば解放、燃やせば消滅させられる」

「消滅って」

「文字通り、跡形もなくどこかへ消えちゃうみたい。君が溜めてきた『けたけた』はリリースできないほど黒くなってたから、燃やしちゃったんだ。あの後、体調を崩した生徒が多かっただろ」


 確かに、風邪をひいている生徒が、多かった。それって、ただの風邪じゃなかったって言うのか。


「回収した『けたけた』は集合体は濃かったけど、それぞれはそこまで深刻な量じゃなかったから、本来の持ち主達はほんの少し、身体に触りが出たくらいだろうね。それで、免疫が落ちて風邪をひきやすくなったんじゃないかな。一個一個の濃度が濃い場合には、消滅させてしまうと、本体に大きな影響が出るから、他の方法を考えないとならないんだけど」

「写真の始末は犬飼先生が?」

「俺じゃない。鈴原だ」

「え、紅緒さん?」


 紅緒さんの緑色の手帳から落ちた、俺の写真。俺にたくさんの腕を巻き付けていた、得体の知れないモノ。紅緒さんが、あの写真の始末をつけた。

 だから、紅緒さんがあの写真を持っていたのか。


「じゃあ、今回の件は、紅緒さんも」

「知ってはいるが、『けたけた』が解決して以降は、関わらせてはいない」

「…紅緒さん、去年、僕のせいで入院することになっちゃったから、あまり大きな案件は、ね」


 井上先輩が痛みをこらえるような顔で、無理やり唇を笑みの形に整える。

 噂になっていた、開かずの間での事故で入院をした生徒。部長も確かに、紅緒さんが入院したって言っていた。その件に、井上先輩が関わっていたのか。

 だから犬飼先生は、紅緒さんが怪我をする原因となったかもしれない井上先輩を気遣って、あまり単独で行動させたくないって言っていたのだろうか。誰かがまた怪我をするようなことがあれば、その時傷つくのはきっと、井上先輩だから。

 振り向いて真正面から見据えた犬飼先生は、困ったような表情で俺を見返す。井上先輩を心配しているような、でもそれは、無謀を咎める顔ではない。

 そんな俺たちをちらりと見て、井上先輩はわざと明るい声を出す。


「今回僕は、ちゃんと依頼で来てるんだからね」

「迷子のペット捜索?」

「そ、犬飼先生の、いなくなった首だけの愛犬を探しに」

「…仕事でなかなか探しに行けなくて参っていたら、井上に嗅ぎつけられた」


 胃の底の何かを絞り出すくらいの深い溜息に乗せて、犬飼先生が言葉を零す。


「ほんとに、こいつのしつこさと、勘の鋭さと言ったら…」

「まいど」

「まさか、俺のことも四六時中監視してるんじゃないだろうな」

「さあ、料理するときは青と白の縞々のエプロンを愛用してることしか知りませんよ」

「井上、お前…」


 額に手を当てて、犬飼先生が呻いた。


「仕事ですって。逃げ出したペットを見つけるには、まず、依頼主の行動パターンを知らないと。それと、ペットに逃げ出された飼い主を見つけるにも、まず、飼い主の観察を怠らないこと」


 冗談とも本気ともとれる口調で井上先輩が嘯く。

 何か言おうと口を開いては閉じしていた犬飼先生が、諦めたように天井を仰いだ。


 つまり、こういうことか。

 井上先輩は、先生の犬の札を追いかけていて、夜中に徘徊している梶原さんを見つけ、梶原さんを付け回している湯澤さんにも気づいた。さらに、尾行を続けていたから、梶原さんが追尾の犬に襲われているところの写真も撮れた。確かに、推理というより、努力の賜物だ。

 とはいえ、手の内を隠したままそれらの証拠を使って、効果的に湯澤さんを追い詰めていく話術には、やっぱり感心するしかない。種明かしを聞いてしまえば簡単だが、裏を知らなければ、まるでどこにも行かずして全てを見通し推理を披露する名探偵にしか思えず、それは、相手にとってはきっと、なによりも恐ろしい。

 だって、千里眼からは、逃げられないのだから。


「だから、僕はさっさと犬を捕獲しないといけないんです。あんまり一つの案件に時間を割くと、怒られる」


 この場にいない誰かを思い出して、先輩が渋い顔をした。


「この書類、さっさと片づけちゃいましょう」


 ぺらり、と先輩が指の先で真っ白なままの柳川お手製の設問用紙を摘まみ上げて振る。

 この人、今まで何にも書いてなかったのかよ、と俺と犬飼先生の目が同時に半眼になったのを、先輩はにこやかな笑顔でやり過ごした。


「ねえ、でも、先生」

「ん?」

「エプロンて、先生、彼女に手料理とか振舞うタイプなんですか」

「振舞わねえし、いねえよ、彼女なんて」


 面白くなさそうに、犬飼先生が明後日の方角を睨む。


「だって、ドッグタグのネックレスしてるって、女子が騒いでたじゃないですか」

「ただのドッグタグだ」


 じゃらりと襟元から鎖を引き出して見せる。

 銀色の、武骨な楕円のプレートが鎖の先にぶら下がっていた。


「…なんか、先生、ちょいちょい厨二っぽいっすよね…」


 俺の発言に、井上先輩が声を上げて隣で笑い転げる。その脳天に拳を打ち込みながら、犬飼先生がげっそりした顔で俺を見返した。


「お前ね…。ファッションじゃなくて、犬のだよ」

「犬の首元から落ちたんだよ、札が破れた時に」


 笑いすぎて目尻から涙を滲ませながら、井上先輩が口を挟んだ。


「犬の札に、首輪を着けるんですか」

「意外と束縛強いでしょ」


 にやにやと首を突っ込んできた井上先輩の額を、犬飼先生の掌が邪険に押し返す。


「使役してるんだから、名前と持ち主の印がなくてどうすんだよ。呼び戻せなくなるだろ」

「呼び戻せてないくせに」


 無言で犬飼先生が、井上先輩の両頬を掴んで横に引く。先輩の整った顔が引き延ばされて崩れるが、そんなことはお構いなしに、先生は生真面目に言葉を続けた。


「名前と役割を限定してやらないと、力が暴走するんだ。あいつらは、人とは違う理で動いている。だから、役割も名前も剥がれ落ちてる状況の今は、危ないんだよ。梶原が制御できなきゃ…」

「呑まれるね。素人の梶原さんがどうにかできるモノじゃない」


 井上先輩が、犬飼先生の手首を掴んで、しんとした声で言う。


「だから、君の力が必要なんだ、みちる君」

「おい、井上」

「だって、先生、そうでしょう」

「俺の力…?」

「佐伯は関係ない」

「今さら関係ないもなにもないでしょう。ここまで巻き込んでおいて、今になって怖気づくんですか」


 ぐいと鼻先に顔を寄せて、井上先輩が犬飼先生の目をまともに覗き込む。ねじ伏せようとでもするかのように。


「あいつ、先生にも僕にも、姿を見せないじゃないですか。なのに、声だけは…」


 不意に先生を突き放して、先輩が振り向く。

 いつの間にか薄い闇の下りた部屋の中で、井上先輩の目が緑色に煌めいた。


「啼くんだよ、夜な夜な」


 はぐれた仲間を呼んで、千切れた身体を求めて、空っぽの器を、探して。

 井上先輩の、不思議な色に光る目から、視線を反らすことができない。虹彩の茶と緑の淡いが溶けて、意識が飲み込まれそうになる。


「だから、みちる君、君が寄せろ」

「井上」

「僕が、捕まえる」

「いい加減にしろ!」


 犬飼先生の腕が先輩の襟首を掴み、後ろに引き倒す。

 唐突に俺を縛る緑の鎖が消え失せて焦点が合い、俺は茫然と2人を見つめる。

 先生の漆黒のぎらついた目が、床に転んだ井上先輩を見下ろしていた。

 口を開こうとした先輩が、犬飼先生の視線に射抜かれて、動きを止める。


「佐伯を利用するんじゃない。いいか、お前は何もするな」


 噛みつくように鼻に皺を寄せて、犬飼先生が威嚇する。カーテンの閉じた窓の向こうで陽が沈んだのか、部屋の中の空気が、ふっと一段暗くなる。

 呼吸すら憚られる重苦しい沈黙が続いて、犬飼先生は大きく溜息を吐くと、井上先輩の頭に手を置いた。


「わかってるよ、気が急くんだろ。だとしたって、段階を踏まなきゃならないんだよ。一足飛びには、無理だ」


 わかるだろ、と小さな子供を諭す声音が言う。


「…すみません…」


 殊勝な顔で、先輩が消え入るほどの声で呟いた。それから、俺を見て、頭を下げる。


「ごめん、みちる君、忘れて」

「や、なんか…すいません」

「どうして君が謝るのさ」


 ようやく井上先輩がそっと笑った。

 なんだか、とても、じれったい。犬飼先生も井上先輩も、何かを必要以上に気にしているみたいで。俺は大体、人付き合いについては鈍感だから、繊細な心の機微なんて、わかりはしない。もっと言い合えばいいのにとも思う。

 それに、俺に井上先輩が言うような力があるなんて、買い被りだ。先輩にできないことが俺にできるわけがない。それとも、また、この身体に『けたけた』を憑りつかせればいいのか。

 考えても分からずに、俺はひっそりと首を振る。

 犬飼先生が、俺たちを見て、もういつも通りの落ち着いた声を出した。


「地道にやるしかないだろ」

「でも、先生。もっと、こう、ずばん、と解決できる案はないんですか」

「俺は荒事は苦手なんだよ。専門じゃない」

「まるで荒事専門がいるみたいじゃないですか」


 笑って返した俺の言葉に、井上先輩が妙な顔をして犬飼先生を見た。


「じゃあ、作戦会議にするか」


 犬飼先生が床に座ったままの先輩を引っ張り上げて、口の端を歪めて笑った。

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