第15話報告書を書きましょう

 湯澤さんの停学の話は、数日後には他の学年にまで広まっていた。

 進学校であるうちの高校で、停学騒ぎは珍しい。ここ数年で停学処分が下されたのは、居酒屋で大会打上げをするという以ての外な企てをし、飲み会に来た先生たちと鉢合わせした剣道部くらいのようだ。さすがにその時は、その場にいた剣道部全員が2週間の停学を命じられたそうで。まあ、仕方がない。

 それに比べれば、湯澤さんの件はやや内容が重く、面白半分というよりは、夏の終わりの頃までの『けたけた』の騒ぎと相まって、不安の方が勝った調子で囁かれていた。


 あれから、湯澤さんはひどく険しい顔の犬飼先生に腕を掴まれ、項垂れたまま職員室へと連れていかれた。井上先輩と俺は着いていくわけにもいかず「後日、話を聞くかもしれない」と犬飼先生に言われて別れた。


「あとで話って、犬飼先生、全部聞いてたし、話すも何も…」

「みちる君、君って子は。犬飼先生が、あの生活指導の柳川に『生徒が呪いの儀式をしていて障りが出たので、しょっぴいてきました』なんて馬鹿正直にいうと思ってるの。途中まで一言も口を挟まなかったのは、こういう場合に備えてだったんだろ」


 計算高いんだから、と先輩は面白くなさそうにそっぽを向いた。

 ここ数日、あちこちで囁かれた伝聞話の断片を総合すると、学校側の発表はこうである。


 本校OBが写真部生徒に連れられて、懐かしい元写真部部室(現オカルト研究会部室)を見学中にオカ研部員と雑談していた。その際、話の中で、オカルト研究会生徒が立ち入り禁止の部屋で他の生徒1名とふざけていて、誤って怪我をさせていたことが発覚。たまたま案内役の写真部生徒に用事があって部室を訪れた顧問の犬飼先生がそれを知るにあたり、この度、オカルト研究会所属2年湯澤さんは2週間の停学、自宅待機となりました。

 と、こういうわけだ。


 確かに、嘘は吐いていない。

 だから、先生、あの場で梶原さんの怪我の話が出るまで、一言も喋らなかったのか…。そして、あとで話を聞くかも、ってそういう設定なのか。

 きっと、梶原さんの件が出なければ、最後まで一言も話さず、あくまで先輩と俺が湯澤さんと胡散臭い与太話をした事実だけが残ったのだろう。学校教師は、生徒と怪しいオカルト話など、しないことになっているのだ。


「…用意周到な…」


 思い返して呟きが口から洩れる。隣に気配を感じて、ヤバっと口元を押さえたが、人影はぴたりと立ち止まった。机の横に立っているのは、山本さんと…小野さんだ。


「何が用意周到?」

「や、なんでもない」

「ちょっと、佐伯! あのイケメンと知り合いだったって、ほんと?」

「う」


 山本さんがにこにこと尋ねる後ろから、いつも通りに、小野さんが絡んでくる。その剣幕に比べて、山本さんの穏やかな笑顔に、ややお疲れ気味の俺の心は、ものすごく癒される。


「写真部のOBだったんだね、イケメンさん」

「う、うん。そうだね、小野さんが言ってたのはあの先輩のことか」

「親しいの?」

「や、親しくない、親しくないよ、あの日はたまたま案内してただけ」

「なんか、停学になった先輩、開かずの間でオカルトごっこしてたんでしょ。あぶないよね」

「そうだね、危ないな」

「あー、残念、私もそこにいるんだった!」

「小野さん、写真部じゃないじゃん」

「うるさい、佐伯」

「大丈夫だよ、また来るよ、小野ちゃん。だってほら、今回の件の聞き取りとか。あるんでしょ、佐伯くん?」

「う、あ、そうね、あるかもね」


 …そうか、確かに。それなら井上先輩が今後校内で目撃されても、怪しまれない。これで、堂々と、井上先輩が校内に入る口実になる。それも、オカルト研究会、開かずの間、どちらにいても、停学になった生徒の件で犬飼先生に確認に呼ばれただけだと、言い訳が立つ。

 そこまで、計算に入っていたのだろうか。


「…なんて、用意周到な…」

「さきからどうしたの?」

「なんでもないです…」

「おい、佐伯ぃ」


 げんなりした声に振り返れば、当の犬飼先生が声よりも数倍疲れ果てた顔で入り口に凭れて、手招きをしている。


「どうしたんですか」

「湯澤の件で」

「あ! 犬飼先生、停学の話? 聞きたい、教えて!」

「あー、無理無理。もう散々、柳川に…あーっと、柳川先生に噛みつかれたから話したくない」

「なんでー」

「そもそも面白がって話す話じゃないだろ」


 群がる生徒たちを片手で散らして、犬飼先生が俺を呼んだ。手には何枚かの書類を持っているところを見ると、本当にこの間の話の聞き取りのようだ。


「悪いな、一応、体裁だけでも整えとかないと。というか、書類提出しないと、柳川が煩くてかなわん」

「大変なんですね」

「絡まれるのは想定してたけど、想像以上だな」


 遠い目をして、犬飼先生は溜息を吐いた。



◆◆◆



 開かずの間の扉を開けると、井上先輩が、すでにちょこんとパイプ椅子に座って待っていた。


「早いっすね、先輩。ていうか、いいんですか、こんな時間にこんなとこいて」

「ん? いいのいいの」

「学校いつ行ってるんですか、って…あ、そか」


 うちの学校は97%の進学率のため就職斡旋先がなく、就職組は公務員以外、存在しないことになっている。何が何でも、進学だ。もちろん、パーセンテージの中には、浪人組も混じっているので、その後にやむなく就職している人はいるのかもしれないが、書類上は、公務員か進学かの2択である。

 そうして、大学1年生もしくは専門学校1年目というのは、聞いたところによると須らく授業で忙しいはずである。

 先輩が、いつもいつもあっちをふらふら、こっちをうろうろしているところをみると、浪人組か、はたまた進学はしたもののまともに通っていないのか。もしや、数少ない、アウトロー組なのか。それともまさか。


「夏休みに学校でいじめられて、通うの嫌になっちゃったとか…」

「僕はそんなにいじめられっ子に見えるかい、みちる君」

「や、どちらかといえばいじめっ子の方。あ、じゃあ、女の子に手を出しすぎて、学校に行きずらくなったとか」

「みちる君、君は僕を何だと思ってるの…」


 綺麗な顔なのに、情けない表情が妙に似合う。

 しげしげと先輩を眺める俺の後ろで、犬飼先生は壁に手を這わせて、部屋を見回していた。ドアノブから外して左手に巻き付けた鎖が、じゃらりと音を立てる。


「犬飼先生」


 珍しく真面目な調子の井上先輩の声に、犬飼先生がちらりと視線を投げる。掌は破れた犬の札に添えられていた。


「梶原さんなんですけど、ここ最近、学校に来ていないですよね」

「みたいだな。今回の湯澤の停学の件に絡めて、梶原にもネックレスの件を聞こうと思ってな。担任に確認したんだが、気分がよくないとかで欠席してるらしい。『立て続けにいろいろなことがあって神経が参っているみたいなので、しばらくそっとしてあげてほしい』と釘を刺された手前、担任でもない俺が自宅を訪ねる訳にもいかない」


 『けたけた』のファストフード店での騒動に、近隣で警戒されている野犬に襲われ、その上、今度は湯澤さんの停学騒ぎの原因となった『オカルトごっこ』で怪我をした。さすがにこれだけの面倒ごとに関われば、担任としても心配を通り越して、他の生徒に影響が出ないように自宅謹慎してくれていた方がよいのだろう。

 『けたけた』の時も『オカルトごっこ』でも、湯澤さんと梶原さんは一緒だった。いくら何でも、他の先生たちだって、不審に思わないわけがないのだ。


「どれだけ面倒ごとを持ち込もうと、梶原が何かしたわけじゃないから、表立って停学にはできない。とはいえ、無関係でもない。時期的にも2年はそろそろ大学進学に向けて、神経を尖らせている生徒も出ている。事を荒立ててくれるな、ということだろう。厄介ごとに巻き込まれてばかりの梶原本人が心配というよりは、真面目に頑張っている他の生徒たちがかわいいと思うのは、仕方がない」


 俺だって、同じ立場なら自分の生徒を守るだろうさ、と犬飼先生は肩を竦める。


「嘘ばっかり。お節介のくせに」


 ぽそりと井上先輩が小さな声で零した呟きは、犬飼先生には届かなかったようで、聞き返すように先輩を振り返った。


「で、なんで井上がそんなこと知ってるんだ」

「調べたんですよ。先生が全然僕たちを呼ばないんで」


 井上先輩は肩を竦めて上目に先生を見返した。何が面白くないのか、少しむくれた顔で、子供のように足をぶらぶらと揺らす。


「どう考えたって、放っておける案件じゃないでしょう。表立って動けないなら、どうして僕を呼んでくれないんです」

「何でもかんでもお前に頼めるわけがないだろう。まだ安全かどうかも分からないんだ」

「そんなこと言ってる間に、梶原さんが危ない目に遭ったら、どうするんですか」


 井上先輩が椅子から立ち上がって、犬飼先生に詰め寄った。

 いつも飄々として表情の読めない先輩の頬が、ほんのわずかに上気している。意外な思いで、俺は井上先輩の横顔を見つめた。よく知りもしない梶原さんのために、こんな熱くなれるような人だったのか。


「梶原さんが危険な目に遭って、それが、先生の犬の札のせいだと知れたら」

「知れても知れなくても、実際俺の不手際だ」

「だとしたら、余計にすぐに手を打たないと」

「落ち着け、井上。焦ったところで、事が上手く運ぶわけじゃない」

「さっさと術を解けばいいんだ。こっちに残った半身の術を解けば、頭の方だって、力は弱まるでしょう」


 壁に残った犬の胴体を、井上先輩の指が叩く。


「梶原の手元の札の状態がどうなっているのかもわからないのに、それはできない。まして、この間の湯澤の証言からいけば、あの札にはさらに上書きで術がかけられている。強制的に俺の方でかけている術を破れば、梶原がどうなるかわからん」

「そんなの、自業自得じゃないですか!」

「井上」


 きっ、と睨み上げた井上先輩の肩を強く掴んで、犬飼先生がその目を覗き込む。井上先輩は小さく息を吐いて、それから叱られた子供みたいに俯いた。

 井上先輩が言いたいこともよくわかる。先輩はきっと、よく知らない梶原さんよりも、犬飼先生が心配なのだ。だとしても、梶原さんの現状が自業自得だと言い切ってしまえば、それは湯澤さんの理屈と変わりない。それも重々承知なのだろう。口にしてしまったことを悔やむように、下を向いて唇を噛んでいる。


「あ、っと、先生? そもそも、梶原さんがそこまであの札にこだわる理由って、何ですか?」


 しんとした空気に耐えきれずに、俺はしどろもどろになって手を上げる。

 犬飼先生が口の端で少しだけ笑って、井上先輩の肩を叩いた。先輩は、ちょこんと椅子に戻って、僕を見る。


「あのネックレスで何か、叶えたいことがあったんですよね。犬の札を隠すだけじゃなくて」


 犬飼先生と井上先輩が同時に首を傾げた。


「だって、湯澤さんのあの記事『鳥籠のネックレスに秘密を隠す、隠した願い事は叶う』って書いてありましたよ。だから、あの時2人がやった儀式は、隠すことで願いを叶える、ってことですよね」

「そうだったっけ」


 ぽかんとした顔で、井上先輩が犬飼先生を振り返る。


「てっきり、犬の札を隠すための儀式だと思ってたけど…」


 先輩の呟きに、犬飼先生も眉をひそめて何かを思い返す顔で床を睨んだ。


「俺も、札を隠すことがメインだと思ってたんです。でも、それなら、願い事はもう叶っているわけですよね。『犬の首を隠すこと』が願い事なら、もう二度と、犬の首は外に出られないはずだ」

「それなのに、梶原は、自由に犬を出し入れしている」

「そうです。それなら、願い事は別にあるはずです。犬の首を隠すことで、何かの願いを叶えようとしてる。それって、何ですか」


 井上先輩が、落ち着きなく椅子の上で身体を動かした。視線が、壁の犬の札を端からぐるりと追っている。


「犬の首を引きずって、夜中にうろうろとしているのは、何か目的があるから…か」


 がしがしと髪を掻き乱して、犬飼先生が顔を顰めた。


「返す返すも、術が邪魔だ。それがなければ、呼び戻せるのに。まるで壁があるみたいに、俺の呼びかけが届きやしねえ」


 掌が破れた札を押さえる。手首に絡んだ鎖が壁にこすれて、部屋の空気がほんのわずかに、ぴりっと電気を帯びた。


「そんなに強い術なんですか。湯澤さんは、適当に材料を集めて、途中でやめちゃったって言ってましたけど」

「血と髪なんて、そんな肉体の一部を組み込んだ呪物、いくら不完全でも最悪だ。ましてや途中で中断しているから、きちんとかかっていない。だから、目的通りの動き方をしていない」


 犬飼先生が首筋に手を当てて、俺たちを振り返る。


「不完全な術なんて、そんなのは『呪い』だ」


 ぎくりと、背筋が凍り付く。ぞわぞわと、腕が端から粟立っていく。


「でも…」

「中途で儀式を打ち切れば、術者に呪いが返る。梶原がおかしくなったのは、おそらくそれが原因だ」

「先生、何で、湯澤さんは儀式を中断したんですか。こないだは、途中でカメラがおかしくなったりしたって言ってたけど、それって、偶然ですか」

「結界が作動したんだろうな。だとすれば、千切れた札以外にも、別の何かが部屋に出たのかもしれない」

「ファストフード店の写真」


 井上先輩が顎に手を当てて、誰にともなく声を上げる。


「3人、写ってましたよね。あれ、みちる君が帰った後に撮ったんだ。あの時、みちる君が近くにいたのに、梶原さんの『けたけた』はみちる君について行かなかった。それって、まだ梶原さんに『けたけた』が残ってるってことですよね。だとしたら」

「儀式の時もその『けたけた』はここに出て、結界が作動した。その結果、儀式が中断されて、術の失敗で呪いが返り、犬の首と一体化してる可能性がある、か」

「犬の首を引きずって歩いていたのは、梶原さん本人じゃなくて『けたけた』かも」

「このままだと、梶原本人が呑まれる可能性があるな」


 深い溜息を吐いて、犬飼先生がじっと俺を見る。落ち着かずに視線を反らせば、井上先輩の緑がかった茶色の瞳も、こちらを見据えていた。


「さしあたっての問題は、梶原の願い事だ。あのネックレスで願い事が叶うと信じているなら、当然、実行に移すだろう」

「願い事って、湯澤さんを手に入れることじゃないんですか。他に、何が」

「それならとっくに湯澤が狙われてるだろう。でも、残念ながら、あいつは無事だ」

「先生、念のために、梶原さんに着いてましょうか」

「や、井上はこっちにいろ」

「どうして」


 不服そうな顔で、先輩が振り返る。犬飼先生は、腕組みをしたまま何かを考えこんで、はっとしたように顔を上げると、ぺらりと俺に書類を放る。


「忘れてた。それ、ちょっと書いといて」

「へ」

「それ、書かないと、柳川が…」


 マジで煩くて…と心の底からげんなりした声を絞り出して首を折った。

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