第14話ネックレスにおまじない
「まだ、いますかね」
通りすがりの教室の壁の時計を見て、俺は首を傾げた。
「いるよ、水曜日のこの時間はまだ部室に残ってる。そして、湯澤君の他には誰も、いない」
さらりと井上先輩が答える。犬飼先生は、少し後ろを、足音もなく付いてくる。
この面子で押しかけて、大丈夫だろうか。や、圧力をかけることが目的だから、いいのか。
「もう帰ろうとして、湯澤君が扉を開ける」
呟きながら井上先輩の歩調が少し早まって、オカルト研究会の部室の扉の前で、ぴたりと止まった。
それと同時に、扉が開く。ぎょっとして、井上先輩の顔を見るが、いつもと変わらぬのほほんとした笑顔を浮かべている。
「おや、湯澤君じゃないか」
「い、井上先輩…」
井上先輩が、白々しく微笑みかけた。
「部室が懐かしくって、つい遊びに来ちゃったんだけど。今は、ここはオカルト研究会の部室だっけ。間違えたよ。写真部の部室は、今、どこだい」
扉に手をかけて、ぐっと身体を持たせかける。中から出かかっていた湯澤さんは、たじろぐように後ろに下がった。
「ねえ、湯澤君。君、今はオカルト研究会にいるんだって? 僕の愛する写真部から、君がごっそり部員を引き抜いたって聞いたんだけどねえ?」
「そ、そんな滅相もない。僕なんかが引き抜きをかけるなんて」
「だよねえ、君がそんなことするはずないよねえ。写真部が潰れそうなほど人が減って、おかげで部室がオカ研に渡ったそうじゃないか。嘆かわしいねえ。ああ、懐かしい、僕が青春を過ごした部室!」
ずかずかと踏み込む井上先輩を、湯澤さんの怯えた眼差しが追いかける。
「変わってないね、この部室も。机も椅子もパソコンも、写真部の備品がそのまんまじゃないか。さぞや、初期費用が浮いただろうね」
「おかげさまで」
引きつった笑顔で湯澤さんが俺を振り返り、戸口に犬飼先生がもたれているのを認めて、びくりと身を竦ませた。
「ところで、湯澤君。少し、話を聞きたいんだけど、いいかな」
にこにこしたまま、井上先輩は湯澤さんを壁際まで追い込んで、間近に顔を覗き込む。
ぴたりと壁に張り付いて、湯澤さんは蒼い顔で先輩を見上げた。声が少し、震えている。
「話って、なんですか」
「君、面白そうな記事を書いてるらしいじゃないか。ちょっと小耳に挟んでね。鳥かごのネックレス、だっけ」
「は、はい」
「あれは、君が、梶原さんに買ってあげたのと同じやつかな」
「ち、違います」
「違わないねえ、だって、ほら」
井上先輩が、するりと、写真を一枚取り出して湯澤さんの鼻先にぶら下げた。そこには、ファストフード店で、梶原さんに何かを手渡している湯澤さんが写っている。
「写真…こんなの、いつ撮って…」
「拡大してみる?」
唇を噛んで井上先輩に写真を返しながら、湯澤さんが渋々といった感じで口を開いた。
「…そうです。俺が、梶原さんにあげたんです。でも、それは他の女子の間で流行ってて、梶原さんがこっそり持っていたいものがあるからって。あのネックレス、ロケットになってるから。でも、隠したいものが何かは、知らないんです」
「ふうん、知らない、ねえ」
井上先輩は、半眼で身を起こすと、ぽいっと俺に写真を放って寄越す。慌てて受け取り改めて見てみれば、ネックレスを渡しているかどうかなんて、手元が小さすぎて全く分からないし、きっとそもそもネックレスなど写っていないに違いない。
それにしたって、湯澤さん、どうして頑なにネックレスのことを誤魔化そうとするんだろう。別に、あれに犬の札が入っていたって「ちょっと面白半分でステッカーを剥がして持ってきちゃったんです」といえば済むことだ。
そう言わないのは、あの札が、持っていたらマズいものだと、気付いているんじゃないのか。
口を挟もうとした俺の腕を、犬飼先生が掴んで止める。わずかに細められた目が、黙っていろと告げていた。
「それはそうと、湯澤君。君はここのところ頻繁に、梶原さんの後を着いて行ってるよね。それは、どうして? まさか、梶原さんにあげたネックレスの中にGPSを仕込んでたり、盗聴器を入れてたり…」
「ちがう! 違います、先輩、それだけは信じてください!」
「夜中に女の子を付け回しておいて、信じろって言われても。あのネックレスを肌身離さず着けていたら、願い事が叶うって教えたのは、君だろう? 怪しいじゃないか」
「違います、俺が教えたのは、秘密を隠す方法だけです! 片時も離さずに持っていたいって言ったのは、彼女だ。俺が強制したわけじゃないんです」
「へえ、それを、誰が信じてくれるだろうねえ」
先輩の整った顔は、終始、薄い笑みを浮かべたままで、それがひどく恐ろしい。空気がぴんと張りつめて、呼吸すらはばかられるのは、湯澤さんも同じようだ。
今にも言い知れない緊張に負けて、叫び出しそうな気配で拳を握っている。
ゆっくりと、先輩が瞬くと、湯澤さんが顔を歪めた。
「信じてください、先輩…。少し前から、梶原さんが、おかしいんだ。だから、俺、心配で…それで後を付け回して」
「おかしいって?」
「塾の帰りに、偶然、梶原さんを見たんです。や、梶原さんだと思ったけど、もしかしたら、別の人かもしれない。でも、誰にしたって、あれは、普通じゃなかった」
「それで、君はそれを記事にしようと?」
「違います!」
「だって、実際、君は怪しげなことを書いていたじゃないか」
先輩が魔法のように、新聞を取り出す。唐突に表れた紙面に意表を突かれて、湯澤さんが狼狽える。
「いつも通りの、面白半分なんだろ?」
広げられた『犬の首を引きずって歩く少女』の記事に、湯澤さんがふるふると声もなく首を振って、ほんのわずかに、目元を歪めた。
「違う。あれは、ああやって記事にすれば、誰か同じものを見た人が名乗り出てくると思ったんです! そうすれば、インタヴューだって言って、俺が見たものが見間違いかどうか、話を聞きに行ける。見たんです、俺。犬の首みたいなモノを引きずって歩く、人影を。遠吠えが聞こえて、そっちを見たら、変な影が見えて。ちょうど、街灯の明かりで顔が見えて…梶原さんに、よく似ていたんだ」
声は尻すぼみに小さく消えた。思い出しでもしたのか身を震わせて、両手で腕を擦っている。
「たったそれだけの不確かな目撃で梶原さんを付け回してるのは、なにか危ぶむだけの材料があるからじゃ、ないのかい」
上半身を傾けて、優しく、先輩が耳元に囁きかける。
「梶原さんは言っていたそうだね。ネックレスを人に見せたら、ダメだって。そう教えたのは、君だろう? どうして、見せたらいけないのか、秘密のおまじないが解けてしまうから? でも、君が、そんなことを本気で言うほどロマンチストだとは思えない。君は、写真部だった時から、とても現実的な子だよ、湯澤君。だとしたら、その理由は、見せられないから、じゃないのか?」
先輩に追い詰められた肩が、びくりと揺れた。唇が、躊躇いがちに開かれては、閉じられる。
「ネックレスが人に見られたら、何かマズいことになる。だから、君は、それを禁じた。例えば、見るからに怪しい見た目になった、とか。女の子が首から提げるには、不自然な外見に変わってしまったとしたら、君は隠せというだろう?」
犬飼先生が、眉をひそめて井上先輩を見た。そうか、あのネックレスにかけたおまじないは、心理的なものではなく、物理的な何か、なのか。変色、変形、改造、例えば、鍵をつけたり…だろうか。でも、それと、梶原さんの奇行とは、何のつながりがあるというのか。
「梶原さんがおかしくなったっていうのに、君は、誰にも相談せずに、原因を探ろうとしている。なにか、心当たりがあるんじゃないのかい」
ねえ、湯澤君、と先輩は場違いに緩やかな声を滑り込ませた。
湯澤さんの視線はちらりと一度先輩の顔を掠ったきり、床と虚空を行ったり来たりしている。
躊躇い、怯えた喉が、震えながら息を吸い込む。
「…あんなこと、したからだ…」
歯の隙間から絞り出した声が、床で跳ねた。
先輩は、ほんのわずかに片目を眇めて、湯澤さんの口から零れる次の言葉を狙っている。
「まさか信じるなんて、思わないじゃないか」
湯澤さんの右手が額の辺りで、前髪を握りしめる。
「わかるじゃないか、記事のための、遊びだって…。なのに、梶原さんは本気になって。俺、怖くて」
落ち着きのない瞳が、先輩の目に縋りつく。
「冗談のつもりだったのに。なのに、梶原さんは本当に、カッターで指を切って…。慌てて止めたんだ、だって、そんなの、絵の具でも垂らしておけば十分だろ?」
「おい、ちょっと待て、何の話だ」
井上先輩を押しのけて、犬飼先生が湯澤さんの腕を掴んだ。先生の指が、シャツに強く食い込む。
湯澤さんが、大きく目を見開いた。
「あ…」
「お前ら、何をした…」
「ち、違う、俺は」
「何を、したんだ」
湯澤さんが、先輩が持っていた新聞を緩慢な動作で指し示す。
「あれを、書こうと思って、開かずの間でやったんです」
先生の視線の先には、鳥かごのネックレスの記事。
「『ネックレスにおまじないをかける』っていう記事を、書こうと思って…梶原さんが、犬のステッカーを、誰にも見られたくないっていうから。俺、記事にしたら面白いかもって、ぴんときて。調べたんだ、ネットで」
しどろもどろに、言葉が紡がれる。
「黒魔術とか、怪しいまじないとか、なんだかは知らない。ネットで拾ってきた方法を、梶原さんに教えて、2人でやってみようって。面白い写真が撮れると思ったんだ。開かずの間に、犬の札、ネックレスと秘密の儀式…誰だって、冗談だって、分かるじゃないですか。だから、俺、準備は適当に端折って、髪の毛と血と…。それっぽい写真が撮れれば、よかったのに」
「それを、あの部屋で、やったのか?」
「はい、でも、途中で…カメラが壊れて使えなくなって…部屋の電気も、消えたり点いたりし始めて、そしたら、梶原さんが段々、おかしくなってきて、壁の札の中で犬が動いてるって言い出して…それで、ヤバいと思って」
「途中で、止めたのか」
「…はい、だから、大丈夫だと思ったのに」
「バカか、お前ら」
「はい…すみません…」
「あの部屋で、そんな真似すれば、不完全でも術がかかるぞ」
犬飼先生が、今にも噛みつかんばかりの凶悪な顔で、湯澤さんを見下ろす。
湯澤さんは真っ蒼な顔をして俯いた。
「でも…」
言い募ろうとする湯澤さんをひと睨みで黙らせると、犬飼先生は地獄に立ってでもいそうな面持ちのまま腕を組んで溜息をついた。
「停学だ」
「え…、先生、ちょっと待ってください、停学って…ほんのちょっと、ふざけただけじゃないですか…」
犬飼先生の、目つきが変わった。それまで戸惑いと焦燥の混じった色が濃かった目の奥が、漆黒にぬるりとぎらついている。
一瞬俺も、自分の耳を疑ったが、井上先輩もそれは同じだったようで、呆れたように口を開けていた。
「お前、それを、梶原の目の前でも言えるのか」
「だ、だって、オカルトごっこなんて信じる奴、誰もいませんよ」
「梶原は信じたんだよ、何でかわかるか? お前が言ったからだ、湯澤。お前が言ったことだから、リスクを承知で全てを委ねたんだよ」
「そんなの、自己責任じゃないですか…勝手に信用されたって、そんなの…俺は、悪くない…」
「ああ、そうかもな。梶原がおかしくなったのは、お前の与太話を心底信じた梶原の責任だ。だったら、これからお前がどうなろうが、それもお前の責任だ。たとえ梶原が、お前に何かしたとしたって、俺の知ったことじゃない」
「そ、それは…」
ぎろりと、先生の目に射抜かれて、湯澤さんは身じろぎも出来ずに立っている。
「梶原を信じさせたのは、お前の責任だろう。それがどういうことか、謹慎中に考えておけ」
荒げるでもない先生の声音に、湯澤さんはずるずると、力なく壁にもたれかかって項垂れた。
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