第12話梶原さんとの遭遇

 全校集会って、どうしてこうも無駄な話が多いのか。

 犬飼先生なんて、他の先生たちと並んで生真面目な顔をしてはいるが、完全に瞳孔が開いている。

 体育座りでなく、立ったままなのがせめてもの救いだ。あれは、尻が痛くなる。


「ええー、次は、最近急に増えている野犬の話だ。いいかー、よく聞けー」


 生活指導の柳川が、なんだか偉そうにマイクを握って、壇上から俺たちを見回す。


「野犬、って何、野良犬じゃないのかよ、なあ」


 後ろに立った坂本が、俺の脇腹をくすぐりながら耳元に囁きかける。マジで、吹き出しちゃうんで止めてくれ。身を捩って後ろを睨みつけると、声を殺して坂本が笑っている。

 ほんとにさっさと話を終わらせてくれないと、暇を持て余したこいつが何かしでかすし、しでかされた俺が吊し上げを喰らってしまう。脇腹に忍び寄る腕をぎりぎりと二の腕に挟んで動きを封じて、俺は壇上の柳川に視線を投げた。

 そんな俺の焦りを知ってか知らずか、柳川は注目が集まっていることに満足げに頷いている。


「夕方以降、放課後から夜中にかけて、野犬の鳴き声が頻繁にしているとの近隣住民からの報告だ。鳴き声の大きさからして、どうやら大型犬の可能性があるが、近所のご家庭の飼い犬ではないとのこと。お前らー、帰宅途中、ならびにぃ、塾の帰りには充分に気を付けるように! まさか、夜遊びをして噛まれたなんて、先生は聞きたくないぞぉ、いいな!」

「聞きたくないぞぉう、いいなっ!」


 絶妙なタイミングで、坂本が俺の耳元に柳川の物まねをぶち込んでくる。ぶふぅっと少し空気が口から洩れてしまい、俺は慌てて、坂本の腹にエルボーをかます。


「おい、そこっ! ふざけてるんじゃない! 先生は、まじめな話をしてるんだぞ。実際、先日、うちの学校の生徒も、野犬と思われる犬に襲われたという話がある。幸い、近所の方が犬の吠える声を聞いて助けに来てくれたので、かすり傷程度で済んだが。そうやってへらへらしている奴が襲われるんだぞ!」


 ほらみろ、怒られたじゃないか、と坂本を睨みつける。山本さんがくすりと小さく笑うのが横目に見えた。


「襲われた生徒はふざけてたんですかー」


 坂本が小さな声でぶうたれた。それには力強く同意するしかない。



◆◆◆



「長かったねえ」


 体育館を出ると、山本さんが小走りに隣に立った。


「でも、野良犬なんて、まだいるんだね。びっくり」

「なあ、しかも大型犬てちょっと怖いな」

「もう、おかげでお兄ちゃんがさ、帰りは一緒に帰るぞって。恥ずかしいから本当にやめてほしい」


 山本さんがほっぺたを膨らませる。山本部長、甘やかしすぎじゃあ…。


「あ、でも、お兄ちゃんの部活終わるまで待ってるから、ひょっとして、佐伯くんとも帰りは一緒かな…」

「へ?」

「あ、ほら、一緒だったら、佐伯くんも安心だしっ」


 ぱたぱたと振った山本さんの腕が、渡り廊下の端を歩いていた人にぶつかる。


「あ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫」

「わあ、すみません!」

「いいの、私も、ぼんやりしてたから」


 驚いたように首元で手を握りしめて、女子生徒が微笑む。少し気怠い感じの目元の子だ。ぽってりとした唇に、どこか見覚えがある。

 思い出そうとじっと見つめた俺の袖を、山本さんが引っ張る。


「あ、ひょっとして、梶原さん?」

「え、う、うん。あの…?」

「あ、すいません、俺、一年の佐伯っていって」


 ファストフード店で湯澤さんと一緒にいた顔だと思い出して、つい口にしてしまったが、その後が続かない。山本さんが俺の腕に引っ付いて、身を乗り出した。


「佐伯くん、知ってる人?」

「あー、うん、ほら。そう、あれだ! オカルト研究会の、湯澤さんと一緒にいる人ですよね?」


 湯澤さんの名前に、にっこりと梶原さんが嬉しそうに笑む。


「ええ、そう。キミ、湯澤君と友達なんだ」

「…はい」


 引きつった笑顔で答えたが、別に友達なんかじゃない。慌てふためく俺を、山本さんが半眼で覗き込んでくる。今は、何も、言わないでくれ。


「あ、その手、今ぶつかった時?」

「これ? 違う、違う。ちょっと、この間、犬に…」


 胸の前で握られていた手の甲が赤く擦り剥けているのを、梶原さんはもう片手でそっと包み込む。


「じゃあ、さっき柳川が言ってたのって、梶原先輩のことですか」

「うん、そう。大げさなことになっちゃって…」


 下を向いて梶原さんがもじもじと、先から握りしめている襟元の鎖をいじった。ちらりと見えたのは、あの鳥かごのネックレスだ。そりゃあ、ファストフード店で倒れた上に野犬に襲われたりと、次々話題の人になったりしたら、学校内で居心地も悪いに違いない。

 話の接ぎ穂を失って、とはいえ去るのも不自然な空気が流れて俺を焦らせる。


「そ、そのネックレス、今流行ってるやつ?」

「うん、そう。男の子なのに、知ってるの?」

「あはは、ちょっと、彼女が欲しがってて」


 また口から出まかせを言ってしまった。彼女なんて、いないのにと自虐的に山本さんを見れば、隣でぽかんと俺を見上げている。


「…佐伯くん、彼女、いるの…?」


 あわあわとする俺を尻目に、梶原さんはネックレスの鎖を襟元に丁寧に隠した。


「ごめんね、人に見せると、願い事が叶わなくなっちゃうから」

「へ、へえ、そうなんすね」

「うん、湯澤君に教えてもらって」

「ふうん。あ、それって、今度のオカ研の特集の?」

「知ってるの?」

「ちょうど昨日、オカ研の部室に行って話してて」

「そうなんだ」


 ほっと息を吐いて、梶原さんが笑った。厚ぼったい二重が弓なりになって、なかなかかわいらしい笑顔である。湯澤先輩、知り合い面して、すんません。

 警戒心の溶けた梶原さんに、俺もつい、ほっとした。


「今回の記事に載ってる犬のステッカー、梶原さんが持ってるんですよね。ちょっと、見たいなあ…なん…て…」


 湯澤さんの顔から、みるみる笑顔が消え失せる。そればかりか、虚空のような眼差しが、俺を真正面から捉えた。


「…どうして…キミが、それを知ってるの…?」

「や、いや、湯澤さんが…」

「湯澤君が、キミに教えたの?」

「そ、そうっす。すんません、いいです。あ、ほら、山本さん! 用事があるんだよね、急ぎの用事が! ごめん、行こう! じゃあ、先輩、さぁせん!」

「え、佐伯くん? どうしたの」

「急いで、山本さん!」


 腕を引っ張られた山本さんは、目をぱちくりさせながら、梶原さんに手を振る。

 俺は背中を梶原さんの鋭利な視線に貫かれて、後ろも見ずに、走った。

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