第11話オカ研湯澤くんが言うには
つい先生の迫力に押されて来てしまったが、俺が1人で来るのは、やっぱり不自然じゃなかろうか。や、でも、犬飼先生では、どうやっても脅しにしかならないし。
向かいに座る湯澤さんを、俺は上目に見上げた。
どうやって、話を切り出せばいいんだろうか。
紙コップに注がれた湯気の立つ緑茶をちびちびと啜る。
「ええと、佐伯君、だったっけ」
「そうっす」
オカルト研究会の部室は、名前にそぐわず、そこそこ片付いたこじんまりと明るい部屋だった。すでにみんな帰ってしまったのか、部室内は閑散として、先ほど最後の1人も帰っていった。
図らずも、湯澤さんと2人きりだ。これで、いろいろと聞き出しやすい。俺が、ちゃんと質問を投げかけられれば。
「新聞、読んでくれたんだって」
はにかんだように湯澤さんが微笑む。大人しげな声は、ファストフード店で聞いた時のように、低く遠慮がちだ。とてもじゃないが、ドラッグに手を出すような輩にも見えず、周囲からクレームが来るほど羽目を外してはしゃぐようにも見受けられない。
まして、犬飼先生を出し抜こうとするとも思えない。
どうして、先生に嘘なんて吐いたんだろう。
俺は犬飼先生から渡された部誌をそっと机の上に置く。
「この記事について訊きたくて」
「ああ、これ、面白かっただろ」
にこにこと、子供のような笑顔に俺は少したじろいだ。
悪気など微塵もなく、ただ素直に楽しんで作ったのだろう。
「これって、どこまで本当なんですか」
「サバトの話? やだな、佐伯君、キミ、ロマンチストだね」
「は?」
「嘘に決まってるよ。それっぽく書けてただろ」
屈託ない笑い声をあげて、湯澤さんは嬉し気に紙面を開いた。
「前からうちの学校内で噂があってさ。犬飼先生が夜な夜な開かずの部屋でサバトを開いてるって。なんでそんな話が出てきたのかは分からないけど、オカルト話の題材としては、面白いだろ」
「はあ、まあ」
「犬飼先生なんて、一番それっぽくないのにさ。でも、先生は女子の間で人気が高いから、記事にしたらきっと受けると思って」
「えええ、先生が…」
「モテるんだよ…怖いけどな…」
「わかります、それ」
「わかってくれる? 俺、こないだ、凄まれちゃってさ」
「あー、やっぱり」
「ほら、知らないかもしれないけど、ちょっと俺、学校の近くの店で騒ぎ起こしちゃって」
「噂には聞いてます」
「まったく、噂を作る側が噂になってたら、世話ないんだけど」
湯澤さんは頭を掻いて、困ったように笑った。悪い人ではないこと、認定だ。
「なんか、でも、濡れ衣だよね。騒いでいたのは俺たちじゃないのに。梶原さんと話をしてただけなんだ。そりゃ、梶原さんが少し声を大きくしたことはあったかもしれないけどさ。注意されるほどの大声なんて、出してない。なのに、お前ら何してたんだ、って、犬飼先生がさ…。井上さんまでついてきちゃうし、ほんとおっかなくって、頭真っ白になっちゃってさ」
「わかります、威圧感ありすぎコンビですよね」
「だろ? 佐伯君、キミ、いい子だね。オカ研入んない?」
「やめときます、今、写真部なんで。で、何の話、してたんですか」
「打合せだよ、この記事の」
湯澤さんの指が、犬飼先生の記事を指でなぞる。
「センセーショナルな記事を書きたかったのに、文字だけじゃインパクトないなと思ってて。どうにかして開かずの部屋の中に入りたいって頭絞ってたらさ」
ふふふ、と湯澤さんが何かを思い出して小さく含み笑いをした。
掌が、楽しそうに、犬の札の写真の上で踊る。
「ある日、梶原さんが言うんだよ、開かずの部屋に入って来たって。俺、びっくりしちゃって」
「湯澤さんが入ったんじゃないんですか」
「俺じゃないよ。俺は入り口の鎖の写真を撮るとこまでしかできなかった。それがさ」
ぐいっと、身を乗り出した湯澤さんにつられて、俺もぐっと前に屈む。
「持ってきちゃったんだよねえ、梶原さん、犬のステッカーを。犬飼先生が犬のお札作るとか、もう、噂にこじつけるにはぴったりじゃん。これだ、って思ったよね!」
「あー、ああ」
知ってたわけじゃ、ないんだ。あれは本物の護符で、開かずの間は、開けてはいけない部屋だということを。犬飼先生が名前通りに、犬の札とか作っちゃったということを。
「綺麗に一枚剥がそうと思ったらしいんだけど、焦っちゃって千切れちゃったって。でもさ、その方がらしくない? ね、なんか、気持ち悪くてサイコーだろ?」
「そ、そうっすね」
「それでさ、こいつをどうやって記事にするのかを、2人で何度か、あの店で話してたわけ」
「2人だけですか。他の部員の人は?」
「そこは、ほら。秘密にしたいじゃん。スクープ取りたいじゃん。だから部員に聞かれないように、部室じゃなくて、毎回わざわざ外に行ったわけだし」
「同じ部内でしょ」
「いやいや、サプライズ?」
「じゃあ、ずっと2人で」
「そ。誰かに先に記事にされたくないから、相当気を使って、小声で喋ってたんだよ。それなのに、うるさいわけがないじゃん」
「ですねえ。そういえば、倒れたらしいじゃないですか」
「まったく、ね、ドラッグやってるとか言われちゃってさ。そんなオカルトの風下にも置けない行為をするわけがない」
「そういうもんすか」
「そういうもんす。幻覚見るならやっぱセッティングと気合でしょ。クスリに頼るなんて、そんな軟弱な。医者も過呼吸じゃないかって言ってたから、自覚はないけど、あの日は2人して興奮しすぎたんじゃないかなあ。だいぶ根詰めて話してたし」
ううん、と顎に手を当てて、湯澤さんは首を捻った。
「それに、なんか、梶原さんは体調が悪そうだった」
「体調が?」
「そう。風邪っぽかったのかも。少し前から、なんだか身体が重たいとか言ってて」
湯澤さんの視線が、記憶を探ってぼんやりと遠くなる。
「今は、2人とももう平気なんですか」
「うーん、俺は何ともないけど…梶原さんが、おかしいんだ、最近。前は、あんな子じゃなかったのに。倒れたのが、ショックだったのか…」
「おかしいって」
「ん? ああ。なんていうか、ふさぎ込むっていうか、上の空っていうか。急に、ぼんやりして…。それに、少し、思い詰めるみたいで、なんていうか」
言いにくそうに口元をもごもごとさせて、湯澤さんが俺を見る。
「少し、怖い」
「怖い?」
「そう、俺、褒めすぎたっていうか、おだて過ぎたのかも。知ってたんだ、梶原さんて、俺のことが好きで。俺は、それを利用してたところがあって。あの日も、犬のステッカーを持ってきてくれたことを、過剰なくらい喜んでみせた。また、なにかスクープを持ってきてくれるかもしれないじゃないか」
ばつが悪いのか、自分に好意を抱いている女友達を利用したことを悔やんでいるのか、下を向いて唇を噛み締める。
「あの犬のステッカーも、俺が欲しいって言ったら、にっこり笑って『絶対に誰にも渡さないようにするから、私が持ってる』って」
「じゃあ、今は梶原さんが持ってるんですか」
「そう、肌身離さず持ってるはずだよ。…そうか、もしかして…梶原さんがおかしくなったのって…あの時…」
「あの時って?」
はっと焦点が戻り、湯澤さんは俺を見て、首を振った。
「…や、違う、いいんだ、何でもない…」
がたりと椅子を鳴らして、湯澤さんが立ち上がる。
「お茶、淹れなおすよ。冷えちゃっただろ」
「あ、お構いなく」
突然に慌てふためいた湯澤さんの背中を見つめて、俺は唖然とする。
ふと視線を巡らせると、横の机の上の記事が目について、何気なくそれを拾い上げる。次回のオカ研の部誌の草稿だろうか。写真と文字がレイアウトされた紙束だ。その写真に写っている物には見覚えがある。
「これ、今月号にも載ってたやつですよね?」
「え、ああ、そう!」
話題が反れたことにほっとしたように、湯澤さんが湯気を立てる紙カップを持って舞い戻ってきた。
「今、女子に流行ってるだろ。鳥かご型のペンダント。何がいいんだかねえ」
「開くんですよね、これ」
「そうそう、よく知ってるね。彼女にでも買ってあげたの?」
「や、買ってねっす。彼女いないし」
「ふうん、キミ、なんか、もたっとしてるもんね。それ、ロケットになっててさ、ちょっとしたものが入るんだ」
「彼女に買ったんですか」
「…秘密」
にやりと湯澤さんが笑う。
「この前の記事だと、何がどう願い事が叶うのか、分かんなかったんですけど」
「ああ、特集にしたかったのは、ネックレス本体のことじゃなかったし、次号まで引っ張りたかったんだよ。まずは宣伝、みたいな感じかな。そしたら次号も読んでもらえるだろ」
湯澤さんの言葉に耳を傾けながら、手元の記事に目を走らせる。相変わらず、何とも言えないレイアウトだ。こういう女子受けするだろう話題の紙面を作るのは、苦手なのかもしれない。まあ、オカ研だし、当たり前といえば当たり前だが、もったいない。
「『ネックレスにおまじないをかける』? なんですか、これ」
「ちょっと、ね。面白いかと思ったんだけど、没になっちゃったから」
笑いながらそそくさと、湯澤さんが記事を取り上げる。中途半端なものは読ませたくないのか、こだわりの男だ。俺は苦笑して、湯澤さんに紙束を渡した。
「そろそろ、いいかな。もう帰らなきゃ。テストも近いし」
振り返った窓の向こうは夕焼けも冷えて、すでに藍色の帳が降りている。
「やば、さすがに、怒られますね」
「でしょ。犬飼先生に捕まったら、キミのせいにするからね」
「や、共犯でしょ」
2人でばたばたと鞄を引っ掴んで、オカルト研究部の部室を走り出た。
どこか遠くで、女子生徒が笑う声がする。
「ほら、まだ、他にも残ってる人いるみたいだから、大丈夫ですよ」
「ラッキーだね、あの人たちより、早く出よう」
すでに、廊下は明かりが落ちて、角を曲がってきた影から逃げるように、俺たちは階段を駆け下りて行った。
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