第6話ひとり足りない

 あの、悪夢の撮影会から数日後の木曜日の夕方。

 俺は図書室の片隅のテーブルに座っていた。目の前には、写真部の面々。

 もちろん、井上先輩は、いない。


「俺、犬飼先生に、めちゃくちゃ怒られたんですよ?」

「ほんと、ごめんね。井上先輩が」


 あの日、犬飼先生の職員室の机の上に『開かずの間は怖いので、部室で待っています。みちる』とメモが置いてあったそうだ。絶対、井上先輩の仕業だ。大体、犬飼先生だって、気付かないのがおかしい。みちる、ってなんだ。

 待てど暮らせどやってこないので、犬飼先生が解散を命じて帰ろうとしていたところで、俺に廊下でぶつかったそうだ。


 そんないきさつを知らない俺は、翌日の昼休み、犬飼先生に擦れ違いざまに「みちる、お前、いい度胸してるじゃねえか」と、思いっきりすごまれて、縮み上がった。

 その様を見ていた小野さんが


「犬飼先生ってさ、開かずの間で、夜な夜な、サバトを開いてるっていう噂があるんだよね」


 と、別の意味で震えあがるようなことを言ってきた。もう、オカルトは、本当に、こりごりだ。

 ちらりと小野さんの後ろに隠れていた山本さんに目をやると、どぎまぎと視線をそらされてしまったが、仕方がないかもしれない。

 あの廊下での出来事、あれは、一体、なんだったのか。井上先輩が言っていた、俺に『けたけた』が憑いていて、それをばら撒いて歩いているって、本当なのか。

 色々と聞きたいことがあって、写真部の活動日を聞いて、ここに来たのだ。


「でも、なんで図書室なんですか」

「人数が少ないから、部室をオカルト研究会に乗っ取られちゃって。今は新聞部と合同なんだけど、機材のことでよく揉めるから、仲が悪くてね」


 がっしりとした体格に、爽やかな笑顔の部長が、少し困ったように笑った。


「佐伯君が入ってくれれば、愛好会から部活に復活できるから、助かるんだけど」

「あれ、でも、5人いれば部活として維持できますよね」

「うん、でも、井上先輩は卒業しちゃってるし」

「え? だって」


 井上先輩の手作り冊子には、5人の生徒が載っていた。

 山本部長、入江副部長、梢先輩、紅緒さん、それに、もう一人。


「あれ、名前、なんだっけ…」


 顔はぼんやりと思い出せるのに、どうしても、その隣に書いてあったはずの名前が、思い浮かばない。いや、顔だって、目の前の4人のように、確かなものではない。どこかで見たことのある顔。だとしたら、同級生だろうか。


「もう一人、いますよね?」

「いないよ」

「え? でも、井上先輩が。ほら、だって、冊子にも載っていて」


 がさがさと鞄を漁ったが、コピー用紙を綴じた冊子は見つからない。


「うちの部は今、4人しかいないよ」


 誰でもない誰かが、いない。

 唖然とした俺を見て、紅緒さんがくすっと笑った。


「騙されたんでしょ、井上先輩に」

「え?」

「好きなの、先輩、オカルトが。言ったじゃない、オカルト写真作るのと、オカルト話広めるのが大好きで、そのおかげでオカ研立ち上げた元部員に、部室を乗っ取られたんだから」


 俺に目を据えたまま、コーラのペットボトルを傾ける。

 じゃあ、じゃあ、ひょっとして。写真部員の幽霊が開かずの間に出るっていうのも。


「それ、きっと、井上先輩本人のことじゃないのか」


 部長がにこにこと微笑みながら種明かしをする。


「事故があったのは本当だけど、入院したのは紅緒さんで、それに尾ひれがついたのをいいことに、自分が卒業した学校に忍び込んでもばれにくくした」

「ええー」


 つい、げんなりとした声が喉から漏れ出てしまった。

 じゃあ、俺に『けたけた』が憑いているっていうのも、全部、井上先輩の作り話。マジで、あのイケメン、ただのはた迷惑な人だったのか。

 がっくりと俺は項垂れる。


「やあ、ほんと、井上先輩がすみません」


 紅緒さんが全然すまなくなさそうに、謝った。


「もう、いいっす。井上先輩がどういう人か、よーっく分かりました」


 すっかり毒気を抜かれて、俺は椅子に深く沈みこんだ。


「そういえば、この間、先輩が俺を撮りまくった写真、どうなったんですか」

「ああ、あれ。ないよ。先輩、フィルム入れ忘れてたって」

「へ?」


 さらにずるずると身体が沈み込む。なんだ。そっか、少し残念…いやいやいや、何考えてるんだ。額に手を当てて、厚ぼったい前髪を後ろに乱した。

 ふと視線を感じて横を向くと、山本部長がにこにこしたまま、俺を見ている。が、その細められた目の奥が、全然、笑っていない。


「そうか、君が『佐伯くん』か」

「い、今さらどうしたんすか」


 にっこりと、部長が笑う。


「うちの妹がさ、最近、家で君のことばっかり、楽しそうに話すんだよね」


 にこにこ。


「何でも、ふざけて前髪をピンで留めて上げたら、すっごいイケメンだったとか」


 ふっと、山本部長が真顔になった。


「ねえ?」

「や、山本部長って、山本さんの?」

「兄だよ」


 がたん、と俺は椅子を蹴倒して立ち上がる。


「よ、用事を思い出した。俺、犬飼先生に呼ばれてたんだ、早く行かないと」


 してもいない腕時計を確認して、俺はあたふたと鞄を掴む。どん、と紅緒さんの鞄に当たり、上に乗せてあった緑色の手帳が落ちた。慌てて屈んでそれを拾う。


「ありがと」


 手渡そうとした手帳の隙間から、ひらりと何かが落ちる。

 拾い上げて何気なく表を返して、ぎょっとして、それを投げ出した。


 一枚の写真。

 あの日、あの部屋で撮られた、俺の写真。

 いや、ピントがずれてぼやけた、俺らしき人物の写真。ピントはその後ろに合っている。

 映っているのは、女子生徒がひとり。

 多重露光したように何重にも重なり合い、輪郭はブレて、顔などよく分からないはずなのに、どこかで見たことのある、誰かの顔。

 どこにもいないはずの知っている誰かが、俺の肩に手を乗せ、首に指を這わせ、腰に何本もの腕を絡めて、ぴったりとくっついていた。


 声もなく、俺は床に落ちたその写真を見つめて、息を詰めて立っていた。

 すっと華奢な手が伸びて、床の上の写真を攫っていく。


「紅緒先輩」


 眼鏡の奥の切れ長の目が、じっと俺の目の奥を覗き込む。それから、ふっと、紅緒さんは黒髪を耳にかけて、唇を尖らせた。


「これ、また怪しい写真造って、もう井上先輩ったら。他の人に見つかったら、また変な噂立てられちゃう! ちょっと、文句言ってくる」


 頬を膨らませて、するりと写真をポケットに突っ込むと、紅緒さんは図書室を軽やかに出ていった。


 でも。

 井上先輩は、PCが、使えなかったんじゃなかったか。

 それに、あの日はフィルムを入れ忘れて、写真は撮れなかったと、言わなかったか。

 それでも。俺は確かに、あの時、先輩がフィルムを装填するのを、見たじゃないか。


 俺はポケットから、くしゃくしゃになった入部届を引っ張り出して、名前を書いた。


「部長、俺、写真部に入部します」


 まだ、見届けなくてはならないことが、残っている。

 山本部長に、入部届を押し付けて一礼すると、犬飼先生の待つ開かずの間へと、俺は走った。

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