第5話写真部員と、もういない先輩
俺の中の何かが焼き切れて、弾かれたように立ち上がると、先輩を突き飛ばしてドアノブにしがみついた。絡んだ鎖をかなぐり捨て、ドアを引き開け、外に飛び出す。
後を振り返りながら廊下を走って、誰かとまともにぶつかった。
「あ」
半ばしがみつくように見上げた先にあったのは、先輩が作った冊子の似顔絵の顔。確か、1ページ目、部長だ。部長? じゃあ、さっきの先輩は…あれ…あの冊子に、先輩は載っていたか。いや、今は、そんなことどうだっていい。
「あの、俺、開かずの間でせ、先輩が…、カメラに狙われて…」
支離滅裂で説明にならない。
しがみついた俺を支えていた部長は、眉を寄せた。
「先輩? 誰?」
「写真部の、先輩です…!」
「え?」
部長が後ろを振り返る。後ろにいた3人が俺を見て、部長を見た。どの顔も、先輩の似顔絵そのままだ。
「写真部は、全員ここにいるよ」
「そ、そんな」
「誰、先輩って?」
そういえば、先輩の名前を、聞いていない。
「癖っ毛で、色素が薄くて、イケメンの…」
「え、ウソでしょ」
小柄でツインテールの子が、目を見開いて固まった。
部長ともう一人の男子生徒が目配せをしている。
「絵がやたら上手くて」
「やだ、止めてよ。だって…先輩はもう、いないもの」
いない?
赤いフレームの眼鏡をかけた女子生徒が、じっと俺を見ている。
「だって、先輩は半年前に…」
「誰か他の人と、間違えたんじゃないのか?」
「革のストラップのついた、フィルムカメラを持ってた」
写真部の4人が、しん、とした。
「それ、本物の井上先輩じゃない…?」
「何で? だって、いる訳ない」
俺はぽかんと、口を開けて4人を見回した。
赤い眼鏡の女子が、低い声で俺に問う。
「先輩、なんて、言ってた?」
「シャッターを押せば、魂を焼き付けられるって。だから、写真は気安く撮ったら駄目だって」
「ああ、先輩らしい」
その人は、片手で綺麗な顔を覆って、俯いた。
俺はそっと、開かずの間を振り返る。ふいに脳裏によみがえる、小野さんの開かずの間についての噂。
曰く、開かずの間で数年前に事故が起きて、先輩がひとり、病院送りになった。今も、その先輩は、開かずの間の近くを彷徨い歩いている。
「でも、どうして井上先輩が」
部長は難しい顔をして、灰色の鉄扉を振り返る。
赤い眼鏡の女子は、さらさらの黒髪を後ろに払って、部長を見上げた。
「きっと、不安なんだと思う。私たちを、信用できないんだ。だって、あんなに好きだった部なのに廃部になっちゃうかもしれなくて…。だからきっと、いても立ってもいられなくて…。私たちのせいだ」
だから、と開かずの間を振り返って、強い声を聞かせる。
「私、行ってくる。井上先輩と話を、してくる」
「ま、待って」
「君のせいじゃないの。ごめんね、巻き込んだりして」
迷いのない足取りで、細い身体は廊下の奥へと進んでいく。
小さな背中が、灰色の扉を開く。
女の子を一人で行かせるなんて、俺はなんて、臆病なのか。ついさっきの出来事を思い返すと、まだ膝が震えた。だけど、先輩がもういないのなら、なおさら一人で行かせるわけにはいかない。
覚悟を決めて、俺は後を追った。
◆◆◆
開かずの間の入り口を開いて、中に入る。床に落ちていた鎖がつま先に当たって、じゃらりと鳴った。
目の前には、肩下まで黒髪を垂らした、頼りない後ろ姿。
「井上先輩? いるんですよね。聞こえてますか?」
小さな身体から、凛とした大きな声がする。
「もう、こんなこと、止めてください。私たちで大丈夫ですから。絶対に、守ってみせます。だから」
懸命な声に応えるように、暗がりからすっと、影が現れる。レンズが闇の中で、きらりと光った。まるで、涙を湛えた、大きな瞳のようだ。
「だから、先輩」
こつ、と靴音を立てて、小柄な姿が闇に向かって進む。
「いい加減に、もう、学校来るの止めてもらえません? マジで先生に言いつけますよ?」
ぐっと伸ばした手が、先輩の襟元を引っ掴んで、暗がりから引きずり出す。
「わ、わわわ、危ないって、紅緒さん? あぶなっ」
「危ない、じゃない! もう、ほんと、いい加減にしてくださいよ! 先輩のせいで写真部に変な噂が立って、新入生は入ってこないし! 本当に廃部になっちゃいますよ?」
先輩がばつが悪そうに頭を掻いて、俺を見てへらりと笑った。
「え? 生身? 本物の、人?」
「何言ってるんですか、人に決まってます」
「だって、さっき、先輩はもういないって…」
「卒業してますから、3月で」
「しょうがないじゃないか、写真部が心配なんだから」
「先輩のせいです、部員が減ったのは。先輩目当てで入って来た、どーでもいい女子たちが抜けて。先輩のオカルト写真とオカルト話で釣られた子たちは、オカルト研究会立ち上げて。ちゃんと残ったのは、今のメンツの4人です! 5人いないと愛好会に格下げになって、部費が…カメラが…」
「だからスカウトしてきたんじゃない。この美少年を撮りまくって、勧誘用のポスター作って、写真集を学祭で売ったら、きっと新しい機材が買える」
紅緒さんと呼ばれた赤眼鏡の人が、訝し気に眉をひそめて俺を見る。
「美少年…?」
「そ、美少年。さっき、口説いたら、全力で逃げられちゃって」
「…美少年?」
指をさすな、こんな至近距離で。紅緒さんは説明を求める視線を先輩に送り続けている。失礼だな。
「美少年だよ、ほら」
先輩が俺のマッシュルームカットの厚ぼったい前髪を、勝手にめくりあげた。
黒髪乙女の紅緒さんが、片眉をひょいと上げて、意外そうな顔をした。
「ふむ…いいね」
片手を顎に当てて、紅緒さんは俺をつま先から頭のてっぺんまで、じろじろと眺めまわした。
「いける」
「でしょ」
嬉々として、先輩が目を輝かせた。
「学園の新アイドル! さあ、僕に魂を売らないか? 自我を捨てて、なりきろう、広告塔に!」
「や、ちょ、待って…」
「さあ、さあ、撮ろう。ファースト写真集だ! フィルム一本撮りきったら、君はどこまで人気が出ちゃうかな」
ばしゃばしゃと、シャッターを切りまくる先輩。満足げに見守る紅緒さん。いつの間に入って来たのか、写真部のメンバーも、うんうん、と頷きながら俺を見ている。
俺は摩耗して、消えてなくなりそうだった。
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