第3話『けたけた』と『くすり』
山本さんが、俺の顔を、見てくれない。いいのだ。別に、いいのだ。
途方に暮れて、窓の外をぼんやりと眺めた。
今朝、いつものように、通りすがりに「おはよう」と言ったら、あからさまに山本さんが動揺した。いいのだ。べつに、傷ついてなんかない。
「ねえ、ねえ、聞いた!?」
「なに、昨日のあれ?」
「そうそう」
「えー、何、わたし知らない!」
女子の華やいだ声が、俺の哀愁を深くする。女の子たちは、いつだって楽しそうだ。
「ファストフード店でさ、騒いでた子たち、運ばれたらしいじゃん!」
「なにそれー!」
なんだそれ、俺は思わず振り返る。ファストフード店で騒いでたと言えば、昨日の、あの3人組のことじゃないのか。
「なんかさあ、気持ち悪い声出してる子たちがいるって、お店に苦情があって、お店からガッコにクレーム来たみたいでさ。生活指導の柳川が慌てて飛んで行ったらしいの。そしたら、2人とも席で倒れてたって。救急車とか呼んで大騒ぎだったらしいよ!」
「マジでー、やばくない?」
2人? じゃあ、あの子たちと別なのか、それとも、俺が最後に見た時みたいに、1人はそのまま帰って、あのカップルだけが倒れてた?
でも、なんで。
「なんかさ、噂だとさ…」
「うそうそ、やだ。だって、うちの生徒でしょ」
「なんかさ…みたいで…じゃん」
「えー!」
どうして! 肝心なところで! 声を潜めるんですか!
俺は不自然なくらいに息をつめて耳をそばだてた。でも、やっぱり、肝心のところは周りの雑音に飲まれて聞こえてこない。
「でさあ、なんか、2人をカメラで撮ってた人がいるらしくて」
「盗撮?」
「うちの学…だよ」
「えー、じゃあ、その人が」
「…じゃん」
ああ、もう!
がたん。
と音を立てて立ち上がった俺に、こそこそと話していた女子たちがびくっとなる。
「なに、それ、俺も聞きたい」
「なになに、佐伯も好きだねえ。キノコのくせにこの野次馬」
小野さんが俺の脇腹を肘でぐりぐり抉ってくる。
その隣で、山本さんがちらりと俺を見て、小野さんの陰に隠れるようにする。そういうあからさまなの、ちょっと、傷つく。
「昨日俺が見た時、たぶん、そいつら、3人だったよ」
「え、ホントに? でも、運ばれたのは2人らしいよ、見た子たちが言ってた」
「なんかさ、けたけた大声で笑ってて、犬の遠吠えみたいな声も出してたんでしょ? 佐伯も聞いた?」
「聞いた。なんか、クセ強い笑い方するなって」
「クセ強いとかいうレベルじゃないでしょ、それ」
「えー、でもさ、中にいたけどそんな声しなかったって言ってる子もいたよ」
「やだやだやだ、なにそれ。『けたけた』みたいじゃん!」
「『けたけた』外に出てるってこと?」
一瞬、教室内が、しんとなる。
みんなが顔を見合わせて、肩を竦めて、声を潜めた。学校以外の場所で、何も知らないはずのオトナたちが、噂話の存在にすぎない『けたけた』を見ている。その異様さに、誰もが少し怯えを滲ませた。
ちょいちょい、と小野さんが指先でみんなを集める。
「『けたけた』もそうなんだけどさ、ここだけの話、クスリじゃないかって」
「えー! クスリって、ヤバい方の?」
「そだよ。違法だか合法だか知らないけどさ」
「やめてよ」
「カメラ持ってた人が、バイヤーじゃないかって」
「それはないだろ」
つい、強めの声が出た。小野さんは目を丸くして、それから俺の肩に手を掛ける。
「何知ってるんだよ、佐伯、吐いちゃえよ」
「だって、その人、俺がチャリでこけた時、手当てしてくれた人だよ」
「うちの生徒ってこと?」
「それに、カメラ持ったイケメンがフロアの中央に突っ立ってたら、目立ってしょうがないだろ。ドラッグ売るのに不適切だって」
「なに、イケメンなの!?」
「やだあ、食いつくとこ、ちがーう」
「でもさ、でもさ、ドラッグじゃないなら『けたけた』でしょ。どっちにしたって、ヤバくない?」
「おい、こら、お前ら。けたけた、だかクスリだか何笑ってんのか知らねえけど、チャイムはとっくに鳴ってんだよ」
振り向くと、苦虫を噛み潰した顔の犬飼先生が、腕を組んで顎をしゃくった。
全員が一斉に散り散りになり、示し合わせたかのようにすとんと同時に椅子に座った。
◆◆◆
「佐伯くん」
授業終わりのチャイムと共に購買に走ろうとしたところを、山本さんに呼び止められた。
俺の昼のパンが、でも、山本さんが何か言いたげだ。購買部に走り去っていくクラスメイトの背中を目で追いながら、俺はあたふたと言葉を探す。
「ええと、あー」
「あのね、あの、佐伯くん…」
山本さんは言葉を詰まらせたまま、下を向いて、もじもじとしている。せっかく山本さんが声をかけてくれたのだ、ここは俺から謝るところだ。
意を決して、とはいえ、見切り発車で俺は口を開いた。また見当違いのことを言ってしまったらどうしよう、と目が泳いでしまう。
「あー、ごめん、山本さん」
「え?」
「昨日の『けたけた』の話、さ」
前髪の隙間から覗き見れば、顔を伏せたままの山本さんが、小さく震えていた。あれ、これ、やばくない? 咄嗟に手を伸ばして、山本さんの細い肩に触れる。華奢な身体が、びくりと跳ねた。
「あ、あの、ごめん、山本さん」
くすくす
震える山本さんの顔のあたりから、小さな笑い声がする。
あはは
髪に隠れていた顔がゆっくりと上向き、山本さんが、嗤う。
けたけたけた
ぎょっとして、思わず後退った背中が、誰かにぶつかった。俺の耳を掠めるように、低く落ち着いた声が後ろから響く。
「おい、山本。お前、ナントカ委員だろ。向こうのあれがなんかして大変だから、お前、ちょっと来い」
肩越しに、犬飼先生が謎なセリフを口走りながら、山本さんの腕を掴む。仰向いて笑っていた山本さんが、びくりと揺れる。犬飼先生が、少し強めに握った山本さんの腕を、ぶん、と振った。はっとした顔で、山本さんが犬飼先生を見上げる。
「佐伯、お前」
「な、なんもしてないっすよ」
「そうじゃない」
咄嗟に逃げようとした俺の顔の横を、犬飼先生の腕がどん、と塞ぐ。こんなところで、先生に壁ドンされる日が来るとは思わなかったが、当然ときめくわけもなく、どちらかといえば殺気を感じるのですが、気のせいですか。
「お前、何が何でも、今日の放課後、来いよ」
「は、はい…でも」
「でももヘチマもねえよ。いいか、来ねえと」
山本さんの腕を掴んだままで、犬飼先生が俺の耳にぐいと顔を寄せて囁いた。
「噛むぞ」
がちん、と耳のすぐ横で、金属質の音がした。
思わず、息が止まる。
「じゃ、そういうことで。またな、佐伯」
唐突に身体を離すと、ひらひらと背中を向けて手を振って、犬飼先生は山本さんを引きずるように廊下の向こうへ消えた。
ざわめきではっと我に返ると、廊下の壁際で、女子たちが俺を見て口々にさざめいている。なんでちょっと嬉しそうな顔をしているのか。
ほっとしたからか、ずしんと身体が重たくなった。
「ごちそうさま、佐伯さん」
漫画研究会の石原さんが、眼鏡のブリッジを押し上げながら、片頬でくすりと笑って通り過ぎていく。やめてくれ、ちょっと、違う。そういうのじゃない。
購買のパンも、山本さんへの淡い恋心も、女子からの信頼も、全てが遠のく心地がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます