第2話ファストフード店で嗤う犬

 傷心の俺は、ポテトとコーラの乗ったトレイを持って、とぼとぼとファストフード店の階段を上がっていた。

 ちょっぴり、山本さんのこと、いいなと思っていたのに。なぜあんなに急に、素っ気なくなったのだろう。やっぱり、女子の話は納得がいってもいかなくても、褒めておくべきなのだろうか。いや、きっと、そうじゃない。俺には分からない何かが、山本さんの気に障ったのだ。

 山本さんのとっておきの話だったのに、噂ではなく実際に俺が『けたけた』と思しき人に遭遇したりしたからか。


 そもそも俺は人見知りなのだ。大概ぼんやりしているから、あんまり人と上手くコミュニケーションが取れたためしがない。忖度とか、空気を読むとか、苦手なのだ。この髪型だって、バリケードみたいなものだし。

 伸びすぎた前髪を指でかき混ぜ、溜息を吐く。

 自棄コーラでもしないと、やってられない。


 フロアを見回すが、カウンター席はいっぱいだ。

 2人がけのテーブル席が空いてはいるのだが、少し賑やかなのが気になる。

 大きな笑い声が響く方を見れば、2人用のテーブルをくっつけて4人ブースにした席のソファ側に、男子1人、女子2人がぴったりとくっつきあって座っている。うちの高校の制服を着ているが、別の学年なのか、見覚えのない顔だ。

 3人で額を突き付けて何か見ているのか、こしょこしょと小さな話し声がしたかと思うと、途端に大きな笑い声が上がる。

 その声の大きさに、周りの何人かが顔を上げるが、すぐにみんな伏目がちに無関心を装っていた。まあ、箸が転げてもおかしい年頃だし、しょうがない。俺だって、もし友達とわいわい騒ぐような度胸があれば、あんなもんだろう。

 きょろきょろと辺りを見回して、3人組と仕切り壁を挟んだ席に、背中合わせに腰を掛ける。背中側に座っていれば、多少大声を出されても、聞こえにくいだろう。俺は、一人反省会を繰り広げるのだ。


◆◆◆


 もくもくとポテトを頬張ったまま、俺は後ろを振り向いた。

 先から、話し声が気になって、反省会は進んでいない。話し声、というよりは、正確には笑い声と謎の声、だ。

 背後から、犬の遠吠えに似た「うおぉーうぅう」という、細く高い声が、時々響く。「うおー!」という雄叫びではない、尾を引くように、獣が天に向かって仲間を呼ぶときのように、遠吠えをする。

 それに加えて「ヴぅあーうぉ」とでもいったらいいのか、表記に困る音声の唸り。

どちらも同じ女の子の声で、たぶん、あの3人組からしている。


 いつの間にか、女子2人がソファ、男子1人は向かいの椅子に座っている。男子生徒は低くぼそぼそと何かしゃべるのだが、ぴったりとくっつき合った女子がときおり少し大きな声で何か返事をしている。そして、その合間に、けたけたという笑い声。


「ん?」


 俺は何かが引っかかって、ポテトをごくりと飲み込んだ。


「うおぁーうぅううー」


 遠吠えが、細く長く響く。

 俺の向かいに座っていた女性が、ぎょっとしたように立ち上がって、そちらを見て、すとんと、また座った。上目にじっと息を殺しているが、また聞こえた遠吠えに、そそくさとトレイを片して席を離れる。


「あヴぅーあう」

けたけたけたけたけた


 また一人、席を立つ。

 俺は首を伸ばして後ろを振り返ったが、3人の姿勢に、おかしなところはない。多少だらしなく座ってはいるが、普通の高校生だ。

 店内に響く獣じみた遠吠えと、けたけたという笑い声を抜かせば。


「そうか」


 思わず、口から声が漏れた。

 先ほど感じた違和感。そうだ、俺は、この声を、前にも聞いている。

 額の傷に知らずに指が触れて、鈍い痛みに顔をしかめた。


 山本さんが話していた『けたけた』。

 学校内に出没し、誰もいない場所でひとりでけたけたと笑っている。目撃者によれば、その顔は、知っている顔にも見えるが、見る人によって変わるので、誰だか特定ができない。

 俺があの日、自転車置き場で見た女子生徒。どこのクラスの子かは分からないし、知らない顔だと思ったが、自転車置き場の端っこで、何もない方を向いて、ひとりでけたけたと声を立てて笑っていた。

 あの時の、どこか作り物めいた、感情の入っていない笑い声に、似ているのだ。


 自転車に乗っていた俺は、そのままそちらにくぎ付けになり、わき見をしながら走っていたが、突然タイヤが回らなくなり、前つんのめりに転げ落ちた。

 自転車が後輪を上げて半回転して俺を放り出し、盛大な音と共に、お釈迦になった。スポークに何か絡まったみたいな感触だったが、タイヤを見ても何もない。

 額からだらだらと流血しながら女子生徒の立っていた方を見たが、そこにはもう、誰もいなかった。

 代わりに爽やかなイケメンが俺に駆け寄り、てきぱきと俺の額を止血して去っていった。

 きっと、山本さんだって、ああいうのが好きなんだ。優し気で、頼もしくて、カメラがよく似合うオシャレボーイ。

 そう、ちょうど、あんな感じの。


「あれ、あの人だ」


 さらりとしたサマーセーターを着た色素の薄いイケメンが、フロアの真ん中に立っている。首からカメラをぶら下げて、まるで構図決めをするみたいに、店内を眺めていた。

 なにをやっても、様になる。ただ、ファストフード店にいるだけなのに。

 あの時、俺の額の傷を手当てしてくれた人だ。


 声を掛けようか散々迷って、小心者の俺が下した結論は「俺のことなんか覚えてないだろう」だった。声を掛けたのに、誰だっけ、という顔をされるのが怖い。

 見つからないうちに帰ろうと、空になったポテトのケースに紙ナプキンと丸めたレシートを突っ込んで、そそくさとゴミ箱に向かう。


 3人組の傍を通ったときに、また遠吠えがして、ぎくりと肩を竦める。『けたけた』が遠吠えするなんて山本さんは言っていなかったし、それにここは校外だ。

 こないだ苦情が来たっていう、奇声の犯人、こいつらなんじゃあないのか。


 手早くごみを捨ててちらりと振り返ると、いつの間にか、女子が一人いなくなっていて、残った男女2人は親し気に額をくっつけて微笑み合っていた。

 トイレにでも行ったのだろう。お邪魔虫だったのか、あの子は。お気の毒様。

 ふいにどっと、疲れが背中を這いあがり、俺は大きく欠伸をして、イケメンの視界に入り込まぬように、そっと階段を下りた。

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