うちの部員を紹介します

中村ハル

第1話写真部とか、どうですか

「おい、佐伯。お前、写真とかどう?」

「え? は、ど、どうって?」


 現国の犬飼先生が、藪から棒に俺に尋ねる。

 もちろん、授業中ではない。2限の終わりのチャイムが鳴って、いつも通りに机に突っ伏して中休みをやり過ごそうとした時に、つかつかと歩み寄って来たかと思えば、突然前の席に座って、ぐるりとこちらを向いた。

 よれよれのシャツに緩めに巻いたネクタイを、さらに指で解きにかかりながら、俺を横目でちらと見る。


「お前、部活とかまだだよな。写真部とか、どう」

「どうって言われても…」


 うちの学校、帰宅部とか、なしだっけ。というか、秋の風が吹き始めた今更に、部活とか言われてもピンとこない。

 入学以来ほったらかしにし、夏休みの間にすっかり伸びてしまった前髪の隙間から、犬飼先生を見返す。ぼさぼさの髪に無精ひげ、こんなにだらしなくて、いいのだろうかと、しげしげと眺めてしまうが不潔感はない。こう、かさっとしたワイルドなおじさん、という感じでかっこよくもある。


「よし、決まりだな。これ、はい、入部届」

「や、先生、俺まだなんも言ってない」

「佐伯、部活はいいぞ、青春だ。明日の放課後、2階の一番奥の部屋の前で待っとけ。先生、皆を紹介するから」

「ちょっと、先生、俺、部活とか興味ないんだけど」

「まあまあ、入ってみればどうにかなるって、じゃあな、明日な」


 白紙の入部届を押し付けて、ひらひらと手を振りながら、犬飼先生は教室を後にした。


「佐伯、なんか、災難な」

「おう」


 通りすがりのクラスメイトが憐れむ目つきで頷く。

 ひょっとして、いつも一人でいるから、いじめられてるとか思われたんだろうか。

 別に、俺はいじめられているわけではなく、どちらかといえば好んで一人でいるのだが、今のご時世、先生たちも世間も何かと神経質になっているのかもしれない。一人でいる自由も尊重してくれ、パワハラじゃないのか、これ。

 はがきサイズほどのぺらぺらの入部届を目の前にぶら下げて、俺は小さく溜息を吐いた。


 仕方がない、といえば、仕方がないのだ。

 この春から俺の通う公立高校は、自由な校風が売りの進学学校なのだが、ここ最近、学校内が荒れていた。特に目立ってやんちゃな生徒がいるわけでもなく、校則などあってないようなものなので反発する理由もないのだが、校内の空気がざわざわと落ち着かない。

 頻繁に生徒同士で言い争いを起こしたり、自転車事故が増えたり、校内での怪我が増えたり。取り立てて騒ぐほどでもないが、春先まではもっと、和気あいあいとした雰囲気だったはずだ。

 それに、先日のクレーム。学校近くのファストフード店で、うちの生徒が大声で笑ったり奇声を上げたりでやかましい、と数件のお叱りがあったそうだ。

 今年の異常なまでの暑さのせいで、気が立っているだけかもしれないが、先生たちだって、黙って見過ごすわけにもいかないだろう。有り余る学生たちの体力を、健全で健やかな方向に発散してほしいと思うのも無理もない。


 だからきっと。

 部活にも入らず、教室でひとりアウトローを気取っている(ように見えるだけであって、別にそんなつもりはさらさらない)危うい高校生男子を、優しく導いてくれようとしているに違いない。


「写真部、存続が危ないからじゃない?」


 今さっきまで、犬飼先生が座っていた席に、すとんと座って、同じクラスの山本さんが小首を傾げた。


「部員が激減しちゃってさ、部費がもらえないんでしょ。だから、幽霊部員でもいいから頭数が欲しいんだよ。犬飼センセ、写真部の顧問でしょ」

「そうなの?」

「みたいよ。なんか、イケメンの先輩がいなくなって女子部員ががっつり抜けちゃったのと、残りの男子が学校内の噂を解明するんだってオカルト部を立ち上げて、そっちに流れちゃったから」

「オカルト部…」

「そだよ、知らないの。最近その手の話題でもちきりじゃん!」


 俺は小首を傾げ返して、山本さんを見る。小柄で、朗らかで、今日も変わらずかわいらしい。

 俺の反応の鈍さに、山本さんは嬉しそうに身を乗り出してくる。


「やっぱ、知らないんでしょ。もう、この話知らないの佐伯くんくらいだよ! 誰かに話したかったんだけどさ、みんな知ってるじゃん。驚いてほしいのに、つまらないじゃん!」


 きらきらとした目で、俺を見る。惚れそうになるから、やめて。


「なになに、佐伯くん、知らないの『けたけた』」

「ちょっと、私が話すんだから!」


 集まってきた2、3人に山本さんが唇を尖らせる。


「佐伯、こういうの強そうなのに!」

「強そうってなにが」

「なんかさ、ほら、髪型とかマッシュじゃん」

「わかる、ウケル」

「わかんねえわ」

「もう、ちょっと、休み時間終わっちゃうじゃん!」


 しっしとギャラリーを追い払う仕草で手を振って、山本さんは改めて、俺を上目に見据えた。


「あのね、今、流行ってるの。『けたけた』の噂」

「おう」

「学校内でね、けたけた笑う生徒がいるの。誰もいないところで、ひとりでけたけたって笑ってて。それでね、見かけた人に『誰だった?』って聞くと、何組の誰ちゃんだった、とか別のクラスの他の子に見えたよ、とか! 一緒に目撃したはずなのに、全然違う人に見えてたりするんだって!」

「お、おう」

「…ちょっと、怖くないの」

「ええと、怖いのは、けたけた笑ってるところ? それとも、一緒に同じ人を見たはずなのに別人に見えたところ?」

「もーう、ちょっとお」


 山本さんがぷうっと頬を膨らませる。やばい、そこはどうでもいいところなのか。なんとなく、怖い気がする、が正解だったのか。

 でも、山本さんのざっくりとした話し方だと、多分、何を話しても怖く聞こえない気がする。怪談て、語り手の語彙力や雰囲気づくりなんかの話術が要求されるんだな、と変なところで俺は感心をしていた。


「佐伯くん、まじめか。こんなキノコ頭だからいけないんだ」


 訳の分からないいちゃもんをつけながら、山本さんは自分がつけていた花の飾りのついたピンで俺の前髪を押し上げる。


「あれ、佐伯くん、この傷、どうしたの」

「あ、これ、この間、自転車で転んで」

「痛そう、大丈夫?」

「ああ、うん、もう平気」

「なに、佐伯、どんくさーい」


 けらけらと、横で聞いていた小野さんが笑う。その笑い方に、ふと、俺は思い出す。


「それ、そういう笑い方してた子がいて。自転車置き場のところでさ、なんかけらけら笑ってて、電話してたのかもしれないけど、周りに誰もいないから『何だあ』って思ってそっち見ながら走ってたら、タイヤが突然回らなくなって、コケたの」

「えぇ、佐伯、それマジで。ヤバくないまんま『けたけた』じゃん!」

「え!? やめろよ」

「うそ、佐伯くん、けたけた、見ちゃったの?」

「なんかさ、けたけたに会うと、体調悪くなるって聞くよね」

「平気?」


 心配そうに眉を寄せて俺の額を覗き込んだ山本さんが、ほんの一瞬、固まった。


「…やだ…」

「へ?」

「…やっぱ、ヘアピン返して」

「え?」


 山本さんは何故かそそくさとピンを奪い取り、俺の前髪を指で散らして元通りのすだれ状態に戻す。なんだ、なんなのだ。


「どうしたの、やまー」

「いいから、いこ」

「ちょ、けたけたの続きは」

「続きなんてないよ、ばか佐伯」

「…え、ええー」


 山本さんは、すぐそばにいた小野さんの腕をとって、さっさと自分の席へと戻っていく。周りの憐みの視線が、痛い。

 俺が一体、何をしたって言うんですか。

 呆然とした俺を取り残して、3限始業のチャイムが鳴り響いた。

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