第23話 クリスマスイブの事
髪形良し、鼻毛良し。
服装確認、ジャケット良し、チノパン良し、シャツ良し。
革靴確認、汚れ無し。
いつも妹に言われているデート前確認をする。
いつもより念入りに。
今日はとうとう待ちに待ったクリスマスイブ。
35年の人生。
いつも他人の幸せそうな顔を横目で見る事しか出来なかった日。
それも今日の日を楽しく迎える為の試練だったのかもしれない。
そんな風に考えられるほど心に余裕があった。
今日は仕事も休んだ。
そして昨日の騒動による疲れをしっかり癒した。
起きたのはお昼過ぎ。
朝食も食べていないので、少し何か食べようかとも思ったのだがこの後首藤さんがクリスマス手料理を作って下さるのでトマトジュースだけ飲む事にした。
寝起き一番で携帯電話を確認したら首藤さんから返信があって安堵した私。
最後にもう一度台所、洗面所、風呂場、そして寝室を確認する。
よし、綺麗。
完璧だ。
満足した私は待ち合わせ場所に向かうべく家を出た。
夕方17時。
千駄木駅の近く。
まだ新しいマンションの下に車を停める。
少し待ち合わせの時間より早く着いてしまった様だ。
煙草を取り出し火を点け……いかんいかん。
慌てて煙草をカバンの中にしまう私。
(煙草臭いキスは最低人間の証)
という妹名言集を思い出し、ガムを取り出す。
キス。
クリスマスにキス。
そんな位置に自分がいる事を再確認したような気分になり、更に高揚する。
車の座席を倒し寝ころぶ私。
早く帰ってこないかな。
ホワイトクリスマスとはいかず、むしろ暖かい位だ。
私の気持ちの中を世の中が気温で表したのか。
そんな自惚れた気分で首藤さんの帰りを待つ。
コンコンコン
車の窓ガラスをノックする音がした。
慌てて飛び起きる私。
「お待たせしましたぁ」
そこにはジャイ〇のコートに白のフェイクファーを首に巻いた首藤さんが立っていた。
ジャイ〇の服は妹も好きなのだが、着ている人でこれほどまで差が出るものだとは。
明るい水色のロングコートに白のフェイクファー、白い靴。
難しいアイテムを上品に着こなしていた。
靴は新しい物だとすぐにわかった。
首藤さんも今日は特別な日だと思ってくれている様で、何だか嬉しくなってしまった私。
「お待たせしました。これ後部座席に置いていいですか?」
首藤さんが笑顔で大きな袋を持ち上げる。
今日の食材が入っているのだろう。
どうぞどうぞ、と後部座席を開けるとドサッ、ドサッ、っと結構な重量のある袋が積み込まれた後、助手席に座る首藤さん。
「じゃあ運転お願いします」
彼女の少し低い清らかな声を合図に車を発進させた。
車が走り出して間も無く、
「昨日はすみませんでした」
ちゃんと謝る私。
しかし、
「いえ別に。何だかよっぽどの急用みたいだったから。あっ、これお返しします」
笑顔で財布を返してくれる首藤さん。
良かった。
そんなに怒って無い様だ。
心底安堵しながら車は千葉県に向ってひた走る。
少しぽつぽつとフロントガラスに落ちてきたので雪かと期待したら雨だった。
「雪かと思ったら残念」
首藤さんも同じ事を思った様だ。
雨をかき消すように自動ワイパーが動く。
窓ガラスをちゃんと拭いていなかったので少し跡が残った。
マンションの駐車場に車を停めた頃にはすっかり雨も止んでいて、寒さが増していた。
そして強い風が吹き始めていた。
「うわー寒い」
車の外に出た途端、両手を擦る首藤さん。
「早く家の中に入りましょう。こっちです」
緊張するかな? と思っていた自宅に入ってもらうという第一関門は意外とすんなり通過する事が出来た。
「おじゃましまーす。わぁ綺麗」
うちの玄関を開けた瞬間、首藤さんの第一声がこれだった。
それもそのはず。
室内のあらゆる所を散々綺麗に磨いたし、靴箱の上には電飾がついた小さなクリスマスツリーを載せていた。
「ふふっ、可愛い」
クリスマスツリーにぶら下がっている雪だるまを人差し指でつつく首藤さん。
いやあなたの方が可愛いですよ、と言おうとしたのだが緊張しすぎてそんな事言える状態では無かった。
「じゃあ取り合えずリビングに行きましょうか。まずは一服しましょう」
「はい」
彼女が脱いだコートを預かりハンガーにかける。
「どうぞ座って下さい。今コーヒーを淹れますから」
「ありがとうございます」
コーヒーを淹れている間、用意していた物を部屋から持ってくる。
「あ、あのー」
「はい?」
「すみません。お酒が入る前に渡しておきたい物があるのですが」
そういって大きな高級ブランドの袋に入った物を差し出す。
「えーこんな高い物頂けません」
焦った感じで驚く首藤さん。
「いえ、そんなに高い物ではないので。たしかお好きだと伊田さんからお聞きしたので」
「伊田ちゃんそんな事言っていたのですか? もう、こんな凄い物貰える訳ないのに」
「どうぞ、開けて下さい」
「じゃあ、すみません……って」
「はい」
「アハハハハハ」
袋を開けて笑い出す首藤さん。
中身はうま〇棒100本詰め合わせだった。
「もう、古村さん~。ビックリしたー」
子供の様に笑う首藤さん。
ここで怒り出さないのが今まで付き合ってきた女性達とは違い、とても好感が持てた。
やっぱり結婚するならこの人だ。
本気でそう思った。
「駄菓子がお好きだと聞いていたので。その中でも特にこれが好きだそうですね」
「確かに。一番好きですよ。こんなにたくさんありがとうございます」
嬉しそうにうま〇棒の袋を撫でる首藤さん。
「じゃあこれもお持ち帰り下さい」
二木の菓子の袋を渡す私。
「わぁまだあるのですか? 太っちゃうかも……ってええっ!!」
慌てて中身を取り出す首藤さん。
「おやどうしました。そんなに太るものは入れていないと思いますが」
笑いながら聞く私。
「ビックリしすぎて痩せちゃうかも」
困った様な笑い顔の首藤さん。
今度の中身はルイヴィト〇のクレーベルだった。
「ハンドバッグも欲しがっていたと聞いていたので。色も首藤さんがお好きそうな物を選んでみましたが好みに合いましたでしょうか」
ドッキリが成功して笑いながら言う私に、
「もう、本当に、何から何まで私の好みで」
素敵な笑顔で答えてくれた。
「じゃあ私も。こんなに高い物では無くてごめんなさい」
そう言って袋を取り出した。
「開けても?」
受け取り聞く私。
「どうぞ」
笑顔で答える首藤さん。
おお。
中身はポー〇ーの通勤鞄だった。
「こういうの欲しかったんですよ。ありがとうございます」
しかも形も色も大きさまでちょうど私の好みだった。
「お仕事で使ってらっしゃる鞄が少しくたびれている様に見えたので。喜んでもらえて良かったです」
そうか。
ちゃんと私の事を見てくれていたのだな。
起業してからというもの、私の経済状況やお金を見てくれている女性は沢山いたけど、ここまで私自身の事を見てくれた女性がいたであろうか。
「首藤さん」
近づく私。
「はい」
身構える事無く自然体で受け入れる様に微笑む首藤さん。
ガターン!!
突然ベランダの方から大きな音がした。
「ビックリしたー」
驚く首藤さん。
何なんだよ凄く良い雰囲気だったのに。
くそっ。
「いや本当に。大きな音でしたね」
邪魔された怒りを抑えながら冷静に言う私。
「泥棒かも」
少し怯えた様子の首藤さん。
「まぁ大丈夫だとは思いますが一応見てきますよ。ちょっと失礼」
ベランダの方へ行こうとすると、
「じゃあ私も行きます」
首藤さんは後ろからついて来てくれた。
これですよこれ。
妹にも今まで付き合ってきた女達にも見せてやりたいと心底思った。
背中に暖かい人肌を感じつつ、私はベランダへ向かった。
カーテンを開けベランダに出た。
暗いベランダ。
しかしよく見るとシーツと共にアルミ製の物干しざおも一緒に倒れていた。
ああ、柳原君が干してくれていたやつかな?
取り込むのをすっかり忘れていた私。
「さっきの音の原因は多分これがどこかに当たったんだと思います」
笑顔で物干しざおを直す私。
しかし首藤さんの目は私の方を見ていなかった。
その目が見ている方向を見る。
もう一本ある物干しざおの端にかけてある選択物干し。
そこには男性物の下着と女性物の下着が仲良く並び、洗濯ばさみに吊るされて揺れていた。
それを無言で凝視し続ける首藤さん。
「それ妹と妹彼氏の物です。昨日泊まっていたので」
どうしたのだろう? と思いながら話しかける私。
「あっ、ああ、妹さんと、その彼氏さんの物なんですね。あはは」
何だか焦りながら言う首藤さん。
「じゃあそろそろお食事作らせて頂きますね。お台所お借りします」
そう言って部屋の中に戻る。
しかし妹のはまた派手だなおい、と思いながら洗濯物達を取り込み私も室内に戻った。
ダイニングで待つ間、お皿を出し、キャンドルを用意し、クラッカーも並べる私。
こんなに楽しいクリスマスは初めてなので、心の中では子供の様にはしゃいでいた。
キッチンを見ると首藤さんが楽しそうに何やら作ってくれている。
何ができるのだろうか。
楽しみな私。
そして食事の後も。
楽しみな私。
浮かれていた。
本当に浮かれていた。
ギャー
物凄い悲鳴がした。
クールな首藤さんが物凄い雄たけびの様な悲鳴を上げた。
何があったんだ!
まさか火傷とか!!
「どうされました!!!」
慌てて駆け寄る私。
呆然と立ち尽くしている首藤さん。
何やら生ごみのゴミ箱の中を見て固まっている。
ゴキブリでもいたのかなぁ。
私もその中を見ると、
なんと、
そこには、
大量の使用済みコンドームが捨ててあった。
しかも尋常な量ではなかった。
下手すると1箱位使っているのではないか、という位の量が捨ててあったのだ。
「何なのよこれ。やっぱり他に女がいたのね……」
怒りを含ませて言う首藤さん。
「えっ? どういう事ですか?」
本当にわからなかったので聞いてみる。
「私といる時にしょっちゅう電話が来るし、あんな女性物の下着は干してあるし、それにこれ……」
ゴミ箱の中の惨状を指さす首藤さん。
「いやあの電話は妹や妹彼氏関連のものですし、あと下着は妹と妹旦那の物ですし、それに大量のこれは多分妹達の物です」
説明する私。
「そうですか。じゃああのよくかかってきた電話は妹さんや妹彼氏さんからだったんですね」
「はい」
「で、あの洗濯物は妹さんと妹彼氏さんの物なんですね」
「はい」
「この大量の使用済みコンドームは妹さんと妹彼氏さんが使った、という訳ですか。あのシーツも妹さん達が洗ったのですかね」
「はい」
「誰がそれを信じるというのですかー!!!!!!!!」
思い切り怒鳴る首藤さん。
ビクッとする私。
「いや、これ全部本当の事なんですよ~」
しどろもどろに弁明するが、確かに私が首藤さんの立場だったら同じ勘違いをすると思う。
どこの世界に兄の家で大量のコンドームを消費する位セック〇をする妹とその彼氏がいるというのだろうか。
「帰ります」
エプロンを放り投げ、真顔になってコートを掴む首藤さん。
「ちっ、ちょっと待ってくださいよ」
「帰ります!」
「誤解ですって」
「帰ります!!」
「いやちょっと待って下さいよ」
「帰ります!!!!」
「……はい」
気おされて後ずさりする私。
作りかけのクリスマス料理をそのまま残し、首藤さんは帰ってしまった。
私は全てを失った。
呆然と立ち尽くす。
テーブルに置いておいたクラッカーを1つ鳴らしてからその場に倒れこむ。
何気なく外に視線をやると、私を慰めるかの様に星が控えめに優しく光っていた。
2日後
「おい、私達仲直りしたからよ。てかお前何でジャケット着ながら寝てんの?」
妹が来た様だ。
私はあれから2日間、ほとんど動けないでその場で寝続けていた。
周囲を見渡して何が起こったかを何となく察した妹。
そのまま帰ろうとした様だったが、
「あー」
大きな声を出す。
「これルイヴィト〇だろ。なぁ、これルイヴィト〇だろ」
寝転がっている私を足で蹴る妹。
「わぁ私にぴったり~」
何がぴったりなのかわからないが。とにかくピッタリらしい。
「どうせクリスマスイブに渡す予定だったんだろ。これ貰ってやろうか」
誰のせいでこうなったと思ってんだ、と言おうと思ったが声すら出ない私。
「なぁ、もういらないんだろ。くれよ、くれ、くれ」
私の事を蹴りまくる妹。
地味に痛い。
もうどうでもよくなって、
「好きにしろ」
ようやくそれだけ言う私。
「まじありがと~大切にするね~」
意気揚々と帰っていく妹、
その後ろ姿を寝転がりながら見送る。
静寂。
また涙が出てきた。
もう2日間何も食べず飲まずだがまだ涙は出るのだな。
そう思いながらまた私は目を閉じた。
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