第16話 妹彼氏 その心の内

「お兄さんのご意見はよくわかりました。美咲ちゃんにその様な事があったなんて知りませんでした。美咲ちゃんと一緒の時はもう少し女性と距離をとりたいと思います」

 私をしっかりと見る柳原君。

 良かった。

 わかってくれた様だ。

「しかしお兄さん」

「何?」

「男女問わずですけど話しかけてきた人に対して優しくしなかったり、完全に無視したりするのは僕にはできません」

 はっきりと私に向かって言う。

「僕は勉強が出来ないから家庭内で兄と比べられ、ずっと嫌な思いをしてきました。なので話しかけて無視されたり、邪険にされたりする辛さが痛いほどわかるんです」

 無風の室内。

 空気まで止まっている様に感じる。

「なのですみません。気を付ける様にはしますが、お兄さんの思う様には対応できないかもしれません」

 そう言って深々と頭を下げる柳原君。

 そうか。

 彼も苦労したんだな。

 傷の深さは妹と同じかもしれない。

 それでも、

「僕は自分の中の素直な気持ちに従って行動しています。それが美咲ちゃんや周りに受け入れられないなら」

 ここで言葉を区切って少し考えた後、

「受け入れてもらえる様、努力するまでです」

 笑顔でそう言った。

 

 自分の中の素直な気持ちに従って行動


 全ての人にそれが受け入れられるとは思わないでほしい


 そう言おうとしたのだが


 それは何だか


 言わない方が良い様な気がして止めた。


 まだカーテンをしていない窓から入ってくる外からの明かりがなぜか、いつもより少し暗く感じた。


 


 朝が来た。

 ゆっくりとベッドから起き上がる。

 昨日はあの後何だか気まずくなったので、ステーキハウスに連れて行って栄養を取ってもらう事にした。

 食後、女性の扱いを直して頂けないようなのでせめて就職はしてもらおう、とそれに関する話し合いをした。

「多分美咲は正社員じゃなくても良いんだと思うよ。ただ親父殿が出した結婚の条件がそれだから悪いけどそれで探してきてくれる? あと出来たら接客業は止めて頂きたいなぁ~。それとなるべくで良いから女性があまりいない職場でお願い」

「そうですか、わかりました。じゃあその条件で明日からハローワークに行ってきます」

 にこやかに言ってくれた柳原君。

 早く仕事決まると良いなぁ。

 そう思いながらリビングに行くと、もう着替えて出かけるだけになっていた柳原君がいた。

「おはようございます。朝ごはんはもう出来ています。良かったら食べて行って下さい。僕はもうハロワに行きますから。では行ってきます」

「ちっ、ちょっと待って」

 慌てて止める私。

「これ少ないけどガソリン代」

 そう言って1万円を握らせる。

「こっこれ何ですか?」

「良いから取っておいてよ。あとスーツやワイシャツが必要だったら遠慮なく言ってね」

「……何だかすみません。就職したら返します」

 柳原君がお金が無い事は何となくわかっていた。

 別に返さなくても良いけどね。

 妹さえ返さなけけば。

「じゃあ頑張ってね。良い就職先がある事を祈っているよ」

「はいありがとうございます。じゃあ行ってきます」

 早朝の風の様に爽やかな柳原君。

 風の様に軽やかに出かけて行った。

 セルシオのエンジン音がしたので外を見る。

 空は少し雨雲が出ていた。



 私も柳原君の作ってくれた朝食を食べて出勤する。

 マンションから割とすぐな所にある私の事務所。

 通勤のストレスも無く室内も快適。

 正に理想の職場。

 彼にもそんな理想の職場があると良いけど。

 そんな事を考えていると、


 テテーテテーテテテーテテ~


 陽気な携帯電話の着信音。

 電話に飛びつく。

 私はかけてきた人によって着信音が変わる様に設定している。

 この音楽は首藤さんからのものだった。

「お疲れ様です古村さん。今お電話大丈夫ですか?」

 いつもの様に冷静で、聴き心地の良い首藤さんの声。

 電話マナーも最高峰で、私がよく行く店のキャバ嬢や妹みたいにどうもー、とかおいテメー、みたいな上品な言葉遣いで話さない。

「はい大丈夫ですよ。どうしましたか」

 例え仕事中でも首藤さんからの電話なら大丈夫です。

「実はこの前言っていた『空手CEO異世界』のブルーレイが今日届く予定なんです」

 おお、大企業のCEOになった空手家が全ての問題やトラブルを空手で解決してしまうあの大人気小説がアニメ化したやつか。

 私はブラック企業にいた頃、離島に飛ばされてやる事が無いのでアニメばっかり借りていた時期があったし、首藤さんはあんなクールなのに意外と子供が見るアニメにも精通していたのでお互い結構なアニメ好きだった。

「それでもし良かったら、なんですけど一緒に見ませんか」

 とても素晴らしい提案だ。

 て事は家に来てくれるのか!!!!

 そんな訳無いか。

 また首藤さんのマンションでルームシェアしているお姉さんも一緒で、見る事になるのだろう。

 首藤さんはガードが固すぎて、未だに彼氏彼女が絶対やる事をやらせてもらえないでいた。

「ですけど1つ問題がありまして」

「ほう、何でしょうか?」

「はい……実は私の家のブルーレイドライブが故障してしまっていて」

 え、じゃあ。

「今回は古村さんの家で見せて頂けたら嬉しいのですが」

 何という事だ。

 非常に良い申し出。

 思わずやったー、と叫びそうになったがそれを押し殺す様に、

「それは大変でしたね。では私の家で見ましょうか」

 勤めて冷静に言う。

 あれっ。

 ここで重大な事に気づく。

 うち今柳原君がいるんだった。

 肝心な事が出来ないじゃーん。

 思わず倒れそうになる私。

 どうしよう。

 首藤さんが来る日はビジネスホテルにでも泊まってもらおうか。

 でも万が一、早く帰ってきた柳原君と首藤さんがバッティングしてまた柳原君ファンが増えてしまっても困るし、気を利かせた柳原君がマンションを出て行ってしまったらもっと困る。第一時間を気にしながら……をするのは何だかせわしない。

 断腸の思いではあるが今回は断ろう。

 彼が就職してここを出て行ってくれたらその時は来てもらおう。

「すみません。申し訳ないのですが今義理の弟になる予定の人が就活の為私の家に泊まっていまして……。なのでブルーレイ買ってあげますので一緒に買いに行きませんか」

 提案する私。

「えっと、義理の弟さんが泊っているのですか?」

「はい。そんなに長い事はいないと思うのですが。就活中の人の横で楽しく映画鑑賞、というのもどうかと思いまして」

 物凄く残念な気持ちと共に言う私。

 受話器の向こうからため息の様なものが聞こえた気がした。

 でも、

「わかりました、じゃあお家に伺うのは次の機会にでも。ブルーレイプレーヤー高いですからそんな物買ってもらっては申し訳ないので漫画喫茶で見ませんか?」

 明るく返答してくれた首藤さん。

「ええ、すみません。その代わりご飯は奮発させて頂きます」

「……いつも高い所に連れて行って頂いていますから、そんなに毎回奮発なさらなくても良いですよ」

 勤めて明るく返答してくれているが、何だか、少し、言葉の端々に険がある様にも感じてしまう。

「今日も急に電話をしてすみませんでした。ご迷惑でしたか?」

「いえ全然。とても嬉しかったです」

「じゃあ一緒に出掛けて下さるのですね」

「勿論です」

「あー良かった。何かご迷惑だったかなーと思ってしまって。じゃあ何時もの所で」

「はい。じゃあクリスマスイルミネーションの下で待っています」

 電話が終わり受話器を置く。

 何時もは感じないが、快適なはずの事務所内が今日はやけに寒い。

 冬は深まりつつあった。



 私が家に帰ると柳原君も帰っていた。

「お兄さんお帰りなさい。すみません私も今ハロワから帰ったので食事の用意していなくて。すぐやりますから少しお待ち下さい」

 うちに来てからというもの、外食の時以外は全て食事を作ってくれている柳原君。

 こういう所も妹が彼と別れない原因の1つなのかな、とも思える。

「ごめん、電話したんだけど出なかったからラインしておいたんだけど、今日は……仕事の話を外でしてこなくちゃならないからいらないよ」

 彼女と出掛ける、なんて言って一緒に帰って来る事を想像してこのマンションから出て行かれてしまうと困るので内緒にする事にした。

「そうでしたか、気付かなくてすみません。お兄さんいないならカップ麺で良いかなぁ」

 私だけ外食だと申し訳ないので、ステーキでも食べてくれと無理矢理1万円を握らせた。

 


 夜のお茶の水駅近く、クリスマスイルミネーションのそばで首藤さんを待つ私。

「お待たせしました」

 スーツ姿の首藤さん。

 仕事帰りでそのまま来てくれたのだろう。

 クールな姿が更にクールになっている。

「いえ、全然待っていないですよ。じゃあ行きましょうか」

 そう言って今日行く予定のお洒落バーに向かって歩き出そうとした私。

「あの」

 その私の背中に話しかける首藤さん。

「どうされました」

 少し間の空いた後、

「私、で、良いんですよね」

 何の事だかわからない事を聞いてきた。

「どういう事ですか?」

 本当にわからなかったので聞き返す私。

「だから、私が、古村さんの、彼女で……」

 言葉を区切りながら小さな声で確認してくる首藤さん。

「勿論ですよ。なぜその様に思うのですか?」

 驚きながら聞く私。

「そっ、そうですよね。変な事を聞いてしまってすみませんでした。じゃあ行きましょうか」

 急に笑顔になった首藤さん。

 彼女が何を言っているのか、何が言いたいのか、さっぱりわからない私。

 一体どうしたというのだろうか。

 何か首藤さんの事を嫌う様な発言を私はしてしまったのであろうか。

 だったらこうするしかない。


 女の子は言葉にして言ってあげないとわからないんだからね。


 妹にいつも言われていた言葉。

 それを実行しよう。

「私は貴方と、将来的には、けっ、けっこ……」

 今心の内で思っている事を言おうとしたのだが、上手く言葉が出てこない。

 本当に出てこない。

 不思議そうな顔で私を見続ける視線。

 それに気づいて尚更出てこない。

 そんな苦戦している私を見て、

「よくわかりました。さぁ行きましょう、ねっ」

 今度は心底笑いながら私の腕に抱きついてくれた。

 良かった。

 何やら誤解は解けた様だ。

 腕に胸の感触を感じながら歩き出そうとしたら、


 デ~デデ~デッデデ~デッデデ~


 〇ースベイダーの着信音が鳴り響く。

 私はかけてきた人によって着信音を使い分けているが、この音楽は妹からの物だった。

 今は出るのが嫌だったので無視をする。

 しかししつこくかけてくる。

 それでも無視していたら今度は1秒鳴らして1秒で切る、という嫌がらせが始まった。

(着信全部自分にするつもりだな)

 相変わらずだ。

 本当にこいつは変わらない。

 意外とうるさい着信音にイライラが募る。

「鳴っていますけど、出なくて良いんですか?」

 訝しげに聞いてきた首藤さん。

 もうしょうがない。

 嫌だけど出る事にした。

「出られるなら早く出、ろ、よ!!」

 開口一番文句が出た妹。

 本当に人間として終わっていると思う。

 俺にとって今一番大事な時間なんだよ。

 文句を言いたい気持ちを抑えて聞く。

「要件は何だ」

 どうせろくな事ではないわ、と思って聞いていたら、

「おい、カズ君お前の家にいないか?」


 本当にろくでもない事だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る