第10話 妹彼氏 実はコ○ケでバイトだった
「お兄さん、お兄さん、起きて下さい」
柳原君に体を揺すられ目が覚める。
起き上がると車の中だった事に気が付く。
「そろそろ出発しますから。僕の後ろについて来て下さい」
「はいは~い。念の為行先の住所を教えて」
「はい東京国際展示場です」
?
「では宜しくお願いします」
そう言って車のドアを閉めた柳原君。
東京国際展示場?
古本市でもやるのかな。
でも後ろの荷物は印刷屋で刷っていたみたいだしなぁ。
気になってひと箱開けてみた。
すると、
『ボールはホモ立ち!!』
すごいタイトルの本が出てきた。
そしてサッカーボールを蹴っている、柳原君の様な人物が表紙に描かれていた。
変な物は載せたくないなぁ、と思っていたのだが想像のはるか上を行く変な物が出てきてしまった。
「うわ~ぁい」
思わず声が出てしまった後、無言で箱を閉じた。
いったいこの人達はどんな本屋さんなのだろうか?
東京国際展示場の近くの駐車場に入る。
そして柳原君が運転するハイエースが停車する横に、私も車を停めた。
少し経つと女性達が出てきて私の車の窓を叩く。
「すいませんが後部ドア開けて下さい」
このくそ暑いのに、なぜかロングコートを着ている激辛プチシューさんが言う。
不審に思いつつも言われたとおりに開けた。
「よーし、じゃあ積み込むわよー」
元気よく言うすりおろし文具さんの服装を見て絶句した。
何とラノベやゲームに出てくる様な、ビキニアーマーを着ていたのだ。
なぜビキニアーマーなの?
でもすりおろし文具さんはとてもスタイルが良いので、ガン見させてもらう私。
しかし、
「ちょっとすりおろし文具、その恰好で絶対に会場入らないでね。今回は私達運営さんに怒られるのが確実なんだから、更に怒られるような事をしないで!!」
激辛プチシューさんが大きな声を出すので、慌ててガン見するのを止める私。
「はいはいわかりましたよ」
仕方ないといった感じでこのくそ暑いのにすりおろし文具さんも、真冬に陸上部が着るみたいなベンチコートを羽織った。
本屋、なんだよねぇ。
今は色々やらないと商売何て出来ない時代ではあるけれども……。
そんな事を考えていたらあっという間に私の車に積まれていた大量の本達は、キャスターや台車に移されていた。
「じゃあみんな集まって」
激辛プチシューさんの周りに全員集まった。
私も車を降りる。
「今回は初のちゃんとした壁だからみんな気合を入れて行こう!! 夢案ーファイトー」
「おー!!」
「夢案ーファイトー」
「おー!!」
「ファイトー」
「おー!!」
何だか部活の様な盛り上がりだ。
全くついていけない私。
「よーし、じゃあしゅっぱーつ」
激辛プチシューさんの掛け声と共に、全員キャスターや台車を持った。
「あっ、そうだ……」
何かを思い出したかの様な声を出した激辛プチシューさんが、急に私の方へ歩み寄る。
「古村さんすみません。実は入場券が人数分しか無くて……」
とても申し訳なさそうに言う激辛プチシューさん。
入場券?
またよくわからない言葉が出てきた。
よく見ると全員、とても申し訳なさそうな目で私を見ている。
「もし行きたかったサークルとかがありましたら……」
「いや、お兄さんはコミケとか知らないから」
柳原君が割って入ってくれた。
「何だそうなの、良かった~」
心底ホッとしたような声を出す激辛プチシューさん。
全員とても笑顔になった。
「じゃあすみませんがこれ、少ないですけどお車代です」
激辛プチシューさんが私に封筒を握らせる。
開けてみたら2万円も入っていた。
「いやこんなの頂けませんよ」
驚き返そうとする私。
「でも……」
「いや本当に要らないですから。これで今日のお仕事帰りに皆さんで呑んできたらいかがですか」
そう言って激辛プチシューさんが着ているロングコートの胸ポケットに、封筒をねじ込んだ。
するととても笑顔になり、私の両手を握る激辛プチシューさん。
「古村さんありがとうございました。ではその様に使わせて頂きます。実は私ちょっとは名の知れたレイヤーなのですが古村さんに後で画像送りますので良かったらライン教えて頂けますか?」
激辛プチシューさんの汗が流れ続けている胸元がエロかったのでガン見し続けたかったのだが、意外にもラッキーな提案を頂いたので喜んで教える私。
「では後程送らせて頂きます。じゃあみんな行くよー」
「おー!!」
こんなくそ朝早くから元気の良い人達だ。
しかしレイヤーって何だ? 零夜? レイ屋? まぁ良いか。
そう思って煙草に火を点けようとしたら、
「どうぞ」
柳原君が高級ライターを私の口元に近づけてくれていた。
どうも、という様に軽く頭を下げ火を点けさせてもらう私。
「お兄さん本当に助かりました」
そう言って相変らずの素敵な笑顔を見せる。
「あの人達とはどういったご関係で?」
一番気になっていた事を聞いてみた。
「伊田ちゃんは高校の同級生で……」
「ヤナギー早く行かないとー」
「……すみません、それでは後程」
「頑張ってね~」
重そうな台車を引っ張り、走って激辛プチシューさん達を追いかける柳原君。
後でどんな商売なのかだけは聞いておかないとなぁ。
少し心配になりながらも私は家に帰る事にした。
車に乗り込み潮の香りが漂う駐車場を出る。
夏の早朝だというのに早くも気温は上がり始めていた。
その日の夜
「お疲れ様ですお兄さん。今日は本当にありがとうございました」
時刻は夜21時。
明日は日曜日なのでたまにはゆっくりしようと思い、キャバクラにも行かずお風呂に入ろうとした時に柳原君から電話があった。
「いいえ~それより本屋さんの売り上げはどうだったの?」
「はい、物凄く売れました。特にメインの暗黒の野菜さんの作品は完売です。ちょっとアンソロジー物は余ってしまいましたが」
ほう。
目測だけど確か1箱200冊位が7、8個あったから1500位売れたのか。
あのタイトルで……
でもあの数が売れるとは大したものだ。
素直に感心する私。
「しかし印刷所で受け取りしていたから自費出版の本屋さんなんだね」
「……いや本屋さん、というか……」
「いやゴメン。正直変な商売かと思っていた。そこは謝るわ」
「えっと……」
「出版しているから出版社か。この出版業界不況の中で1500冊近くを売るだなんて大したものだよ。1冊500円としても1日で75万円かぁ、出版社って儲かるね」
「……お兄さん、メインの本は1冊1000円です」
やけに遠慮がちな柳原君の返答があった。
という事は1日で100万円以上稼ぐのか!!
これはすごい。
じゃあ今日みたいな本の即売会が1か月に4回もあったら年商5000万円位に!!
「因みにあの会社、社員はいるの?」
「社員は……いませんけど……」
「よし、じゃあ君はあの会社で社員にしてもらいなさい」
「えっと、何というか……」
何だか歯切れの悪い柳原君。
何か隠しているのだろうか。
しかし凄まじい書籍を取り扱っていたり、面白い格好をしている店員もいるが紛れもなく自費出版の出版社だ、という事は今日私が確認した。
何でここに就職させてもらわないのだろうか?
柳原君何だかんだ言って働くの嫌いそうだから面倒なのか。
同級生が経営者の所では働きたくないのか。
女性スタッフが多い所だからまた女性トラブルが嫌なのか。
色々考える私。
しかし妹と結婚はして頂かないと本当に困るので、結婚の条件となっている正社員に1年でも良いからしてもらえば? と言おうとした所で電話の奥からヤナギー早くぅーと言う女性達の呼ぶ声がした。
「ごめんなさいお兄さん。呼ばれたのでこれで失礼します」
「はいおやすみなさい」
「おやすみなさい、今日はありがとうございました」
慌しく切れる電話。
室内には静寂が流れた。
まぁ色々あるのかな。
そう思い私はお風呂に入る事にした。
お風呂から出てビールを飲みながらラジオを聞いていたら携帯電話が鳴った。
出てみたら激辛プチシューさんだった。
「今日は本当にありがとうございました。お陰様で売り上げも過去最高でした」
物凄く興奮した様子で捲し立てる激辛プチシューさん。
「いえ大した事も出来ずにかえってすみません」
「そんな事無いですよぅ~。ところで~古村さんって社長さんなんですかぁ?」
激辛プチシューさんなのに甘ったるい声を出して言う伊田さん。
「ええ、まぁ。そんなに稼げもしないですけど」
「そんなーご謙遜を~」
相当量のお酒が入っているのか、やけにテンションが高い伊田さん。
「事業を立ち上げて継続していくなんて凄い事ですよ~。借金も10か月で全部返済して開業以来毎年単年度黒字なんですって?」
これはチャンスが来たぞ。
よし言おう。
「いやまぐれですよ。開業したての頃は柳原君に仕事を随分助けてもらいました。彼がいなかったらこうはならなかったと思います。そこでですねぇ」
「はい?」
「彼を、柳原君を伊田さんの出版社で正社員として雇っては頂けないでしょうか。営業職としてとっても優秀ですよ彼は。今私の所は……増員の予定が無くて彼を雇えないので出来ましたら御社で雇って頂けないものでしょうか」
「ちっちょっとちょっと古村さん?」
「はい」
「あの、何か勘違いをされているみたいですが」
「えっ?」
「今日のイベントはコミケですよ」
「はい?」
「ですからコミックマーケッ○。略してコミケです。私達は夢案というサークルで出版社じゃないですよ」
楽しそうに笑いながら言う伊田さん。
「あの、コミケって、自作の漫画を売ったりコスプレをしたりして楽しむ、テレビでも報道されているあれですか?」
「はーい」
そうか。
がっかりする私。
柳原君に良い就職先だと思ったのだがなぁ。
「あの、古村さん。ところで」
「はい」
「ご結婚されていないと聞きましたが彼女はいらっしゃるのですか?」
キターーーーーーーー
「いえ、彼女なんて暫くいないですよ」
今日はマジで手伝ってよかった。
心底そう思う。
まさか伊田さん私の事。
ドキドキしながら次に出る伊田さんの言葉を待つ私。
「そうですか。実はですねぇ」
「はい」
「職場の友達に社長が好きな子がいまして~良かったら会ってみませんか。ちょっとサバサバしていますけど凄く可愛いですよ」
おお。
何という事でしょう。
社長が好き、という所が多少引っかかったが提案自体は素晴らしかったので、
「ありがとうございます。ぜひお願い致します」
明るくお願いした。
「わかりました。じゃあ今度その子も入れて一緒に呑みませんか」
「はい、ぜひ」
「じゃあまた連絡します。今日は本当にありがとうございました」
電話が終わった後、物凄くガッツポーズをする私。
よっしゃよっしゃ。
たまには良い事もなくっちゃね。
ソファーに寝転がりクッションに抱き着く。
しかし少しだけ不安が私の心をかすった。
オタク趣味が嫌いで柳原君が他の女の人と仲良くするのも嫌な美咲は、この事を知っているのだろうか。
窓から外を見ると夏夜の暗闇が、今日はやけに深く感じてしまった。
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