第9話 妹彼氏 本屋のバイトをする

 更に数日後




 相変わらず求職中の柳原君。

 今月に入ってから恐らく短期バイトもやっていないのではないかと思う。

 よく妹が怒り出さない物だと感心してしまう。

 夏の夜。

 ようやく外が暗くなる19時過ぎ。

 窓を全開にして結構強く吹いてくれる風を楽しみながら自宅マンションでくつろいでいる時、そんな彼から電話があった。

「お兄さん、今日お酒呑みました?」

 ?

「いや、呑んでいないけど」

「良かったぁ~。すみませんがちょっと呑まないでおいて頂けないでしょうか」

「何? どうしたの?」

「実は今、短期バイトをしているのですがちょっとお兄さんにもお願いしたい事がありまして……」

 嫌な予感がした。

 また何か変な事をやっているのかなぁ。

 でも私に電話をしてきたという事はまだ止められる、という事でもあったので渋々ながら了解した。

 電話を切った後外を見る。

 涼し気に吹いていた風が急に止まった様に感じる。

 夏の暑さが少しだけ私を苛立たせていた。



 ピンポーン



 夜20時。

 約束の時間ピッタリにインターホンが鳴った。

 昔自衛隊にいたからか時間には本当に正確で、待ち合わせていると15分前には必ずいるし何時に伺います、と言うといつも定刻に来る。

「どうぞ」

 ドアを開けると相変らずのイケメン。

 柳原君が笑いながら立っていた。

「急にお時間取らせてしまってすみませんお兄さん」

 今日はやけに明るい。

 それはそれで嫌な予感が倍増するのだが。


「お兄さん、本屋の短期バイトをぜひ手伝っては頂けないでしょうか?」

 部屋に上げて座ってもらってコーヒーを出すと第一声がそれだった。

 ?

 本屋の短期バイト?

「本当に申し訳ないのですが、どうしても車を運転できる人手が足りなくて」

 私は教養が無いけど本は好きだ。

 本屋という職業は良いと思う。

 しかし短期、という所と車を運転出来る人が足りない、という所がどうしても引っかかってしまう。

「お願いします、みんなとても困ってしまっていて」

 ものすごい勢いで頭を下げる柳原君。

 うーん。

「本屋のバイトで車を運転できる人が必要なの?」

「はい、搬入にどうしても必要なんです。出来たらいつもお兄さんが乗っているワゴン車で来て頂きたいのですが」

 時計を見る。

 こんな遅くからねぇ。

 まぁでも今回は本屋でまともそうだし私が行った事で柳原君が少し長くそこの本屋さんで働かせてもらえたら有難い、と思い了解する事にした。

「ありがとうございますお兄さん」

 爽やか笑顔で私に抱き着く柳原君。

 相変わらず良い香りである。

 しかし余程売れる本屋さんなのかな。

 このまま彼を就職させてくれたら良いなぁ。



 社用車のランサーワゴンに乗り込む私達。

 仕事でしか使っていないが按分を二分の一にしておいて本当に良かったと思う。

 本当はデートで使えるかも、と思ってそういう風にしたのだが、その様な使い方をした事は殆ど無かった。

 くそっ。

「ところでその本屋さんはどこにあるの?」

 カーナビに住所を入力する為に尋ねる私。

「いや……本屋……というか……」

 やけに歯切れが悪い柳原君。

 一体何だと言うのだろうか。

「あっ、僕が入力します」

 助手席から手を伸ばす。

 相変わらずの綺麗な手でカーナビを操作する。

 その何だかエロい手つきを眺めながらやっぱり帰ろうかなぁ、と思う私。

「終わりました。ではすいませんがお願いします」

 へいへい。

 柳原君の声に押される様に車を出発させた。



 カーナビの誘導通りに国道6号線を上って行く。

 千葉から東京に入って約30分。

 左折の指示があったのでそこで曲がり、暫くすると細い道に入る。

 そして暫く行った所で、

『目的地です。運転お疲れ様でした』

 と、カーナビが到着を告げる。

 しかし周りを見ても本屋どころかお店もない普通の住宅地。

 目的地は普通の学生アパート風の建物で、お店が入っている感じも無い。

 何だこれ?

 そう思っていたら、

「お兄さん、ここの駐車場にあるハイエースとカローラの間に車を停めて下さい」

 柳原君の指示があったのでそこに停める。

「さぁお兄さん行きましょう」

 そう言ってアパートの2階に向かう。

 何か嫌な予感がするなぁ。

 そう思いながら私も後をついて行った。



「皆さんお待たせしました。車と運転できる方を調達出来ました」

 そう言って柳原君がアパートの1室に入って行くとわぁ、と複数いるであろう女子の歓声が上がった。

 私はとても嫌な予感がした。

「お兄さんも中に入って下さい」

 そう言われアパート内に入るとえっ? なにこの輩は? みたいな反応をされた。

 以前は柳原君に彼女を紹介してもらう事もあったのだが、全員ほぼこの反応なので以後断念した過去が私にはあった。

 くそっ。

 室内には6人の女性がいた。

 しかし肝心の本が全然見当たらない。

 どこが本屋なのだろうか。

「そんな隅っこじゃなくてどうぞこちらへ」

 この中で一番しっかりしていそうな女性が私に話しかけてくれた。

 綺麗だがいかにも意識高そうな女性で、オタサーの姫っぽい感じも出している不思議な女性だ。

「あっ、どうも初めまして。古村と言います」

 挨拶をする私。

「古村さんですか。私はこのサークルのリーダーをやっています伊田と言います。今回は本当に助かりました」

 そう言って名刺を差し出す伊田さん。

 サークル? 

 リーダー?

 本屋のサークルとは何なんだろうか。

 何だか怪しさ満載だ。

 部屋の隅っこでは女の子がずっと泣いているし。

 大丈夫なのかよここ。

「心配無いよ暗黒の野菜ちゃん。ヤナギーが運転できる人連れてきてくれたし」

「ごめんなさい恋する裁判所さん、ヒック、私のせいで、グスッ、せっかく壁になれたのに……」

 暗黒の野菜?

 恋する裁判所?

 何だそれ。

 名前なのか?

「大丈夫よ暗黒の野菜さん。それより明日は楽しみましょう。ほらカタログでも見て待っていましょう」

「……えーん、激辛プチシューさーん」

 伊田さんの事を激辛プチシューさんと呼ぶ暗黒の野菜さん。

 何だ何だ?

 ペンネームか何かなのか?

 という事はこの人達は作家さんなのかな。

 しかし状況が全くわからない。

「激辛プチシュー、印刷所から電話は?」

 柳原君が話しかける。

「……まだよ」

 深刻な表情の伊田さん。

「間に合わなかったらどうする?」 

 タンクトップにホットパンツ、というやたら私が好きな格好をしている女性が伊田さんに話しかける。

「すりおろし文具! そんな事言わないの」

「ごめんなざーい、えーん」

「……ゴメン暗黒の野菜。そんなつもりじゃ」

「無理矢理調整区域、キャスターの用意は?」

「アイス肉まんとホットクーラーが昨日車に積んだ」

「よし、じゃあ後は連絡待ちね」

 全員深刻そうな顔をして話をしていた。

 

 私以外は。


 何だよ暗黒の野菜に激辛プチシュー?

 すりおろし文具に無理矢理調整区域?

 アイス肉まんにホットクーラー?

 

 すげーネーミングセンスだなぁおい。


 もう笑いたくて仕方がなかったのだが、この場が何だかお葬式の様に暗く、深刻な空気だったので必死に笑いを堪えるしかなかった。

「まぁ暗いまま待っていたって仕方がないわ。全員明日に備えましょう。まずはシャワーでも浴びない?」

 リーダーらしく激辛プチシューこと伊田さんがみんなに提案する。

「それもそうね」

 すりおろし文具さんが同意する。

 無理矢理調整区域さんも頷く。

 ようやく場の空気が少し和らいだ。

「じゃあヤナギーから入って」

 伊田さんがバスタオルを柳原君に投げる。

「大丈夫、持ってきた」

 爽やかな笑顔でバスタオルを投げ返す。

 私も家を出る時に着替えとタオルを持って来る様に言われていた。

 今日はどうやらここに泊まる様だ。

「……そう」

 少し残念そうな声を出す伊田さんの肩をポンポンと叩き、

「お先に」

 と言ってバスルームに向かう柳原君。

 私もあんな風にさり気なく女性に接したいものである。

 伊田さん耳真っ赤になっているし。

 


 バスルームのドアが閉まると女子全員、泣いていた暗黒の野菜さんも含めドアの前に集結した。

 そして少しドアを開けて様子をうかがった後、伊田さんが中に入り素早く柳原君のTシャツとポロシャツを持って出てきた。

「よっしゃ」

 ガッツポーズをする伊田さん。

 さっき泣いていた暗黒の野菜さん含め、全員ニヤニヤしている。

「えっとそれは柳原君の服ですよね」

 一応確認する私。

「ええそうです。今回手伝ってくださるお礼にアイロンして差し上げようと思いまして」

 更にニヤニヤしながら言う伊田さん。

 モテる奴は違うんだなぁ、と羨ましく思いながら彼女達の作業を見る私。

 全員嬉々としてアイロンがけ作業をおこなう。

 何もみんなでやらなくても……と思っていたら、

「あの、古村さんはヤナギーとどういったご関係なんですか?」

 すりおろし文具さんが私に話しかけてきた。

 全員の視線がこちらを向く。

「えっと、私の妹が柳原君と結婚を前提にお付き合いをしていまして。まぁ将来的には義理の兄になる予定です」

 言い終わった瞬間、室内に何か冷たい物が走った。

 特に伊田さんが私を思い切り睨んでいる。

 何これ。

 物凄く怖いんですけど。

 そう思っているのも束の間、彼女達は無言でアイロンがけを再開した。

 


「ちょっとー俺のポロシャツどこー」

 暫くすると柳原君が上半身裸でバスルームから出てきた。

 細い体に広い肩幅。

 しっかり筋肉がついている腕に6個に割れた腹筋。

 相変わらず良い体をしている。

「シャツがシワだらけだったから綺麗にしてあげたよ。はい」

 物凄い笑顔でアイロンをかけたポロシャツとTシャツを渡す伊田さん。

 ふと見るとみんな柳原君の肉体を物凄い顔でガン見していた。

 そうか。

 この為にわざわざ服を外に出したのか。

 中々知能犯である。

 呆れる私。

 柳原君が服を着ている間中、女子全員その様子を物凄い顔でガン見していた。

 そうか、ああいう風にみっともない物なのだな。

 私も女性をガン見する時は注意しよう、と思った。



 柳原君が服を着終わると、

「じゃあ次は私が入る」

 そう言ってバスルームに向かおうとする伊田さん。

「えーちょっとそれずるい」

「そうよ、次は私が入るの」

「えっと、私も次に入りたい」

 今度は誰が柳原君の次にバスルームに入るかで揉め出した。

 あれだけ泣いていた暗黒の野菜さんまで加わって争っている。

「じゃあ順番はじゃんけんで決めたら?」

 柳原君がナイス解決策を言う。

「それでみんなが順番を決めているうちに、お兄さんが入れば良いんじゃない?」

 柳原君がナイスじゃない解決策を言う。

 女子全員から刺す様な視線が私に投げつけられる。

「いや、俺は……さっきスーパー銭湯見つけたからそっちに行くわ」

 私はその視線に耐えられず、外に出る事にした。



 スーパー銭湯でコーヒー牛乳を飲みながら一服する。

 そして時計を見る。

 もう0時を過ぎていた。

 こんな時間に本屋の仕事って何をやるんだ本当に。

 そんな事を考えていたら携帯電話が鳴った。

「お兄さん、大変申し訳ないのですがそろそろ戻って来ては頂けないでしょうか?」

 柳原君からだった。

 はーい、と言って電話を切る私。

 さてどんな仕事が待っている事やら。



 伊田さんこと、激辛プチシューさんのアパートに帰るとみんなが慌しく何やら用意をしていた。

「あっお兄さん、そろそろ出発します」

 柳原君も何か手伝っている。

「えっと、俺は何かする事はないのかな?」

 一応聞いてみるが特に今の所無いそうなので携帯電話のゲームをしながらゆっくりとさせてもらう事にする。

 


 それから10分位経った。

「それじゃあ今から出発するわよ」

 激辛プチシューさんが立ち上がり、みんなに聞こえる様に言う。

「今回は緩衝地帯じゃない初のちゃんとした壁なのに前日搬入になってしまいました。しかしメインの暗黒の野菜ちゃんの作品が無くてはうちが壁になる事なんか無かった、というのはみんながわかっている事だと思います」

 緩衝地帯?

 壁?

 紛争地帯にでも行くんかいな?

 話が本当に全然見えてこない。

「勿論今回は運営から怒られるとは思いますが、この失敗を次に繋げて、明日……もう今日か。今日は全力で頑張り、そして楽しみましょう!!」

 はい、と元気のよい声が室内に響く。

 運営?

 怒られる?

 なんのこっちゃい?

 もうさっぱり意味がわからない。

 わからないがみんな意気揚々と外に出ていくので、私も一番後ろをついていく事にした。



 柳原君運転のハイエースに女子全員が乗り、私の方には誰も乗らなかった。

 どうやら私のランサーワゴンで荷物を運ぶ様だ。

 あまり変な物は運びたくないなぁ、と思いながら柳原君の運転する車の後ろをついていく。

 


 30分も運転したであろうか。

 ちょっと大きめの商店街にある印刷屋の前でハイエースがハザードを出して停まった。

 私もその後ろに車を停める。

 しかし誰も車から出てこない。

 おかしいな? と思っていたら携帯電話が鳴った。

「お兄さん、今少し時間がかかる様なのでもう少し車内でお待ち下さい」

「あ~い」

 もうこの時点でどうでもよくなっていた私。

 適当な返事をした後、シートを倒し仮眠する事にした。

 



 ドスン

 ドスン

 鈍い音が後部座席の方からしたので慌てて起き上がり、後ろを見る私。

 いつの間にか後部ドアが開いていて、何やら荷物が運び込まれていた。

「あっ、起こしてしまいましたか。搬入は僕達でやっておきますので、お兄さんはそのまま寝ていて下さい」

 笑顔の柳原君。

 次々と運び込まれる段ボール箱。

 一体何が入っている事やら。

 気にはなったが眠さが勝ってしまい、私はそのまま寝る事にした。


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