第3話 ドラゴンと飲む酒

「いらっしゃい、おっ、また来たね」

赤提灯の店主はわたしではなくドラゴンを見て言った、ドラゴンは片手を上げて挨拶をする、顔なじみらしい。

しかし、店主も客も誰も驚かないところはなぜなのだろう、そんなにここではよくある顔なのか?

それとも誰も他の客になど気を払わないから?まさか、わたしにだけ彼がドラゴンに見えている?

そのどれでもないしどれもの気もする。

「生一杯」

「わたしも」

とりあえず生で乾杯、さて、ここは和風小料理だったかなぁ。

「あといつもの」

「はいよ」

ドラゴンは慣れた風に店主に何かを頼む。わたしも何かおつまみを頼もう。

「えぇっと、枝豆と……」

しばらくしてしまった、と一人呟いた、わたしはドラゴンの好物を知らない。刺身でよかっただろうか?

「枝豆と?」

店主は気のいい笑顔で聞いてくる、まぁとりあえず刺身が当たり障りがないのかなぁ。

「おすすめ刺身盛り一丁」

「はいよ」

店主は調理に映る、調理場に見えるあの動物の骨は何かのダシに使うのだろう、しかしこの駅前もひさしぶりだなぁ、なんでも昔は畑しかなかったそうだが今や新興住宅があちこちに建って、畑の持ち主だったのは皆ほくほくだという。

わたしも地主になるかなぁ、まぁそんな甲斐性はないが。

「で、どんな会社で働いてるんです?わたしはしがない××商社の事務ですけれど」

わたしは枝豆をつまみながらドラゴンの彼に話しかけた。 

「あぁ、ほらカリビーですよ」

あぁ、わたしは軽く返事をして吹き出した。

「え、大企業じゃないですか」

「××商社さんとも取引あるようですね、これがわたしの名刺です」

そうして受け取ったものはどこに出しても恥ずかしくない人間の名の書かれた名刺で、カリビー商品企画部、課長とある。

「えっ、その若さでですか」

わたしは言ってからしまったと思った、ドラゴンって、寿命がかなり長くなかったか?

「わはは、よく言われますよ。何せわたしもほんの齢400年のぺいぺいですからね」

しかしそれは彼には気の利いたジョークとして受け取れたようで、わたしは彼にドンドンと肩を叩かれた。

しかし力加減を知っているらしい彼の叩き方は全く痛くない。きちんと人間の礼儀がなっている。と、いうか、そこらの人間以上に手ぬぐいで手を拭くなどといった動作は洗練されている気もする。

「おはずかしいのですが、いちおう、これがわたしの名刺です」

わたしも名刺を渡す、こんな平社員の名刺、彼の仕事に役立つとはとても思えない。

「これはどうもごていねいに」

きちんと礼を言われる、悪い気はしない。わたしは彼に枝豆を勧め、かれは一つぶ摘まむ。

「……おはずかしい話ですが、わたしはあなたのような存在をちと誤解していたようでして」

ビールのコップを置く、わたしは彼に詫びることが一つあったのだ。

「ほう……?」

「英雄物語では、ドラゴンはだいたい悪役だ。ドラゴンは、宝も姫も奪えばいいのだと思っていましたよ。しかしあなたはきちんとした社会人のようだ、どうかご無礼をごゆるし下さい」

わたしは椅子から降りて土下座を試みた、ドラゴンは焦って、わたしを制した。

「どうか頭を上げて下さい。人間が神話や英雄伝説でドラゴンをどんな風に扱ってきたかは、わたしも知っています。

しかしあなた知っていますか、かつての人間は確かに神話の英雄や武器にでも頼らないとわたしたちを倒せないほど弱かった。

今はどうです、戦車、飛行機、原子爆弾、原発……追いやられるのは私たちの方だ。わたしたちはそれでも金銀財宝に囲まれた生活をするために、人間の社会になじんだのです」

「そうだったのですか」

「しかしやってみるとこれがなかなか。金銀財宝は、しっかり働いて身に着けるに限りますねぇ」

「はぁ」

まぁ、まっとうに稼いだ金を何に使おうが他人の自由だ、彼はそれが好きなのだろう。

 彼の高そうな腕時計をしげしげ眺めていると、動物の肉と骨の煮込みが出て来た。しかも大きい、ちゃんこ鍋ぐらいあるのではないだろうか。

「おまたせ」

「おっ、これこれ、やっぱりこれが来ないとね」

彼は鍋をかき回し、さっそく大きなレンゲで肉の塊にかぶりつく。

 わたしは驚いた、……なんだあれは?鍋のようだが。

「あの……」

「あぁ、これは失礼、さぁどうぞどうぞ」

彼に勧められるまま一杯よそって煮込みを食べる。……旨い。

 まず味は薄いがそれが逆に素材の味を引き立てている。根菜と白菜の味がしみていて、大根もほっくりと箸が通る。そしてこの肉のほぐれ具合はどうだ、骨まで食べてしまうほど煮込まれて、そしてその出汁がさらに野菜の味を引き立てている。

 塩味は薄い、しかししっかりとした出汁の、これは、いい鍋だ。

「どうですか?」

「旨い」

「どうどうぞ、お代わりいくらでもありますよ」

「ではお言葉に甘えて」

わたしは鍋をかっ込んだ。こんな旨いものは何年ぶりだろう?彼はわたしの美味そうに食べるのを見て微笑みながら彼もまた食べる。

「ここに来たらねぇ、ダシに使った野菜を捨てるなんて言うんですよ。もったいないことです。こんなにおいしいものを。まぁこの煮込みも今や隠しメニューの一つですけれどね」

ダシ、どうりで旨いわけだ。彼は「いつものキープボトルを」と頼んだ後、ようやく刺身が来た。

 お造りも無い、こんなもの、彼には口汚しにもならないだろうな。

「いいですか」

「どうぞ」

しかし彼はそれは美味しそうに一切れつまんで刺身を食べた、わさびと醤油は付けない。生魚を、そのまま美味しそうに。

「うん、甘いですねぇ」

「甘いですか」

わたしは刺身の味などわさびと醤油でしかないと思っていた。

「えぇ、ほらこの辺りは港が近いでしょう?あそこからいい魚が入るんでしょうねぇ」

そんなものだろうか?わたしは醤油とわさびを少しだけ漬けて刺身の味を確かめる。

 確かに甘い、気がした。

「それで、企画部でどんなの作ったんですか?」

わたしはビールのお代わりを飲みながら聞いてみた、彼の仕事に興味があったのだ。

「あぁ、これですよ」

彼は『ドラゴンのおやつ』と書かれたスナックをカバンから出した。ヒット作だ、見たことがある、骨付き肉の形で、ずいぶん肉の味がしっかりするらしい。

「これ、知ってますよ」

「わたしもなるべく持ち歩くようにしているんですよ。人気作ですし、こうして渡すことも出来る。それ、差し上げます」

「ありがとうございます」

しかしドラゴンのおやつ……?わたしは疑問を抑えられない。

「ところで……これ、もしかして……」

「あぁわかりましたか。そうです、これは私たちドラゴンが食べても人間が食べても美味しくなるように企画しました」

「やっぱりそうでしたか」

わたしは安堵する。彼はわたしの想像していたようなファンタジーのトカゲではなく、立派なビジネスマンだった。

 彼は『竜殺し』と書かれたひょうたんを傾けてわたしに一杯すすめ、酒の弱いわたしは一口舐めるだけで口から火を噴くかと思った。

 夜もいいころあいになって、わたしたちは再会の約束をいつにともなくして別れた。

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