第3話 となりの二人

「麻人、おはよう。元気か?」

 底抜けに明るい笑顔で話しかけてくるのは、東郷修司だった。


「おはよう。元気だよ。そこそこには」

「そうか。元気か。それはよかった。世界一めでたいことだ」

「うん、僕も僕が元気で嬉しいよ」

「そうだな。めでたい。正月とハロウィンとクリスマスがいっぺんにきたぐらいめでたい」

「うん。あまりにめでたいから、元気な僕を、元気じゃない世界中のみんなが崇めたてまつればいいと思う」

「そうだな。まったくもってその通りだ。小川麻人という唯一絶対の神がいなければこの世は始まらないから、そうなればいいな」

 

 真顔でひとしきりバカな言い続けて、顔を見合わせて笑う。東郷修司との関係性はいつもこうだ。



 だけれど、いつまでもそういう会話を続けるわけにはいかない理由がある。

 少し目線をずらすと、「……なにを言ってんの、こいつら」という目で見ているひとりの女子がいた。


 寺山景だ。


 黒髪のショートに、切れ長の目。孤独に生きる、孤高の女の子。


 そんな彼女が、心なしか、こちらをにらんでいるように見える。


 なんだか無性に「怒られる」と感じて、とっさに、「すみません」と謝っていた。


「なんで謝るの?」と聞いてきた。

「いや、怒っていらっしゃるように見えたから」

「怒ってないけれど」

 真顔で答えてくる。目が怖い。

「いや、とにかくすみません」


 修兄が―僕らは一学年上の彼のことをそう呼んでいるのだが―、呆れたように言う。


「お前の対人恐怖症、まだ治ってないのかよ」


 僕は弱々しく答える。

「しょうがないと思ってください……」

「まあ、実際しょうがないか。中1から引きこもって、塾以外じゃ、未だに外出れないんだっけ?」

「……お恥ずかしいことに、そうです」

 

 答えながら、「引きこもり」と言われたのはなんだか久しぶりだな、と感じる。

 中1の、それこそ引きこもりだしたころには家族や周りにずいぶん言われた気がするが、2年も経つと家族も若干諦めが入ってきたのか、温かく見守るべきだと主治医に言われたせいか、誰も言わなくなった。それに、家族以外では、そもそも言ってくれるような関係がない。


 けれど、東郷修司は違う。彼は、こういう性格だ。

 他人が言いにくいこともずばり言う。歯切れがよすぎるくらいに言う。そのせいで、ときどき他人からは「空気が読めない」と言われるそうだ。

 かと言って、まったく思いやりがないわけではない。冷たさと優しさの両面を併せ持っている男だと思う。

 僕は彼のそういうところが気に入っていた。

 ついでにどうでもいいことだが、彼は明るくて背が高くて整った顔をしている。


 そんな彼が、

「ごめんね。景ちゃん。麻人には後で俺がみっちりコミュニケーションについて教えとくから」

「いや。別に。気にしてないし……」

 そんなことを言う。

 自分が悲しい。

 

 けれど、同時に、そんな軽口が言える仲の友人を持てていることに、今さらながら驚く。

 

 僕はひとりの修羅であり、こんなにコミュニケーションがとれていること自体が珍しいのだ。


 東郷修司は、話がうまい。寺山景は、コミュニケーションが下手なところが、自分と似ている。

 そんな空間に安心する。


 そして、もう1人……。


「君たち、おしゃべりはそこまでですよ。授業を始めます」


 秋野先生は、この空間を作り出している僕らの先生だ。


 この空間は安心する。

 ここで、今日も授業が受けられることに、その奇跡に、感謝したくなる。


 2年前、1年前に比べたら、ありえないレベルでの進歩だ。


 今日も授業が始まる。

 秋野先生の授業は、学校と違って一癖も二癖もあるから、楽しい。毎日が楽しい。





 ……その感情が嘘でないからこそ、余計に思う。

 今日も、帰ったら、あの地獄のような時間が待っているのか、と。


 僕だけではないはずだ。

 多分、修兄も、景さんも同じ。

 毎日かどうかは知らないけれど、定期的に同じような感情に襲われる、と、それぞれに聞いたことがある。

 みんな、暗闇のなかにいるのだ。



 

 秋野塾に通う、小川麻人、東郷修司、寺山景は、秋野聡一の弟子だ。


 僕ら3人はみな、不登校を経験している。

 

 

 そして、みんな、どこかが欠けている。

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