第2話 抱き枕カバーの作法

 一枚の布きれ、いや、抱き枕カバーになった先輩が、床に落ちている。

 抱き枕カバーの表面には、制服姿のみゆ先輩が印刷されていた。

 目をぱっちりと開けて、小首をかしげた可愛らしいみゆ先輩。


 書聖しょせいがすっと筆を走らせたような、自然にを描くまゆ

 見詰めると吸い込まれそうな深い輝きを宿す瞳。

 控えめな鼻に、ぷっくりとした唇。

 桜色のほっぺた。

 そんなみゆ先輩が、真っ白な布の上に写し取られているのだ。


 みゆ先輩は、三次元を捨てて二次元になった。



「圭介君、抱き枕カバーになったぼくはどうかな?」

 抱き枕カバーになった先輩が訊く。


 抱き枕カバーがしゃべった!



「先輩、ホントに抱き枕カバーになることないじゃないですか」


 それに、しゃべるなんて、エキセントリックにも程がある。


 僕は、床に広がった抱き枕カバーのみゆ先輩を拾い上げて、机の上に広げた。



「いや圭介君、こうやって、思春期の少女が身の回りのモノに変身するのは、決して珍しいことではないんだよ。記録に残っている例で言うと、1854年、当時16歳だったドイツ人の少女、ハンナ・フリートハイムが、宝石箱に変身したのは有名な話だよね。その他にも、旧ソビエト連邦時代にイースターエッグになったオリガ・フラトコフとか、銀の燭台しょくだいに変身したフランスのオデット・ファリエールの話。本邦ほんぽうからも、今昔こんじゃく物語の二十一巻にある、女童めわらわ文机ふづくえになった話は有名だね」


 みゆ先輩は言うけれど、僕はそのどれ一つとして知らなかった。


「思春期の少女というのは、それくらいあやうい存在で、人間でいられるのが不思議なくらいなんだ」


 その危うさは、先輩を見ていれば分かるけれど。


「まあ、ぼくのように抱き枕カバーになったのは、世界でも初めての例だとは思うけどね」


「先輩、そんなことで、世界初を獲得しないでください」


 僕が言うと、みゆ先輩が、ふふふと笑う。



「さあ、圭介君、ぼくを君の家に持ち帰ってくれないか?」


 抱き枕カバーのみゆ先輩が言った。


「えっ、僕が家に持ち帰るんですか?」


「嫌なのかい?」

「いえ、嫌じゃありませんけど」


「君は、ぼくがどこかの誰かに拾われて、その誰かに抱かれてもいいっていうのかい?」


「それは、許せません」


「それなら、どうか持ち帰ってほしい。ぼくも、信頼できる圭介君の前だからこそ、こうして安心して抱き枕カバーになったんだ。実際、抱き枕カバーって、すごく無防備な存在なんだよ」


「でも、抱き枕カバーを迎えるって、順序があるじゃないですか」


「順序?」


「ええ、考えてもみてください。生徒会の役員をするような真面目な息子が、突然、ベッドに抱き枕を置いていたら、僕の両親はどう思いますか?」


戸惑とまどうだろうな」


「そうです。だから、抱き枕カバーを家に迎えるには、それなりの準備が必要なんですよ」


「準備、か……」


「はい、まずはじめに、自分の部屋の壁に、アニメとかゲームの美少女ポスターを貼ります。一枚だったそれを段々増やしていって、壁中をポスターやタペストリーで埋め尽くします。そして、次はフィギュア購入の段階フェーズに移ります。美少女フィギュア一体を机の上にでも置いて、それを徐々に増やしていきます。机から、棚一杯がフィギュアで埋まるまで増やしましょう。そうやって部屋をアニメやゲーム関連の美少女グッズで満たしていって、そこでついに最終的なアイテムとして、抱き枕カバーを迎えるのです。そこまで手順を踏んでいれば、親だって息子が抱き枕カバーを部屋に迎えたことを自然に受け入れられるでしょう。母だって、シーツを洗濯するのと同じ感覚で、抱き枕カバーを洗濯してくれるはずです。抱き枕カバーというアイテムを家に迎えるには、そういう、作法のごとき手順が必要なんですよ」


「なるほど」


 僕が言うと、みゆ先輩は深く頷いた。

 いや、みゆ先輩は抱き枕カバーになってしまって動けないから、深く頷いたように見えただけだ。


「ぼくは、少し行動をあせってしまったようだね」


 先輩の顔が曇った…………ように見えた。


「それでは、君はぼくをここに置いていくのか?」


 先輩が訊く。


「いえ、持って帰りますけど」


「持って帰るのかよ!」


 抱き枕カバーに突っ込まれた。


「だって、みゆ先輩を、他の誰かに抱かせたくないじゃないですか」


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