chapter.4 失われた記憶
イザ・エヒトは記憶喪失だ。
今から五年前、月で墜落事故が発生した。
約千人規模の乗客を乗せた旅客ロケットは全壊。宇宙での事故は生存確率がゼロに近く、生き残った者は誰一人いないとさされていた。
しかし、その中でイザは奇跡的とも言える唯一の生き残りであったのだ。
身元がわかるものはボロボロになったパスポートの写真と名前のみ。
出生や出身、遺伝子情報から職歴などありとあらゆる詳細な記録がデータとして事細かに管理されている時代において、イザ・エヒトなる人物はこの世界に存在した形跡は全くなかった。
テロリストの可能性を疑われ逮捕されるまで至ったところをイザは救われる。
そんな正体不明の青年に手を差し伸べたのは一人の老婦人だった。
◆◇◆◇◆
「住み慣れた我が家よありがとう! このイザ・エヒト、軍人と言う職を棄て自由の身となった!」
何もない広い部屋に虚しく声が反響する。
特別試験運用隊は解散となり、イザはアンヌ副社長の怒りを勝って別の部署へ移動することなくパイロットをクビにされてしまった。
自室も追い出されることになり、いらない物を売り払い全部キャッシュに変えて、現在イザの所有物は小さなカバン一つに入る分だけ。
「つまり、これから何にでも成れると言うことです。星の大海原に出るか、地球の重力に引かれるか……可能性は無限に広がっているが我が人生は一つ、選ぶべき道は月」
ポジティブ思考なイザは意気揚々と部屋を出ると、脛を硬いものへ思いきりぶつける。
「うっ、うーん……これはこれは遠いところから、ご機嫌麗しゅうございますマダムリュウカ様」
決して足の傷みを誤魔化すためではなく、イザは跪いて車椅子の老婦に挨拶した。
「ごきげんよう、イザ。相変わらず話題に事欠かさない男ですわね?」
気品の溢れる老婦マダムリュウカこと、織田竜華は口に手を当てて笑った。
今年で七十八歳になる月の大企業TTインダストリアル──日本での経営から続く前身のトヨトミインダストリー──の先々代社長である。
「アンヌとは仲良くやっているようですね?」
「今度会うようでしたなら言っといてくださいよ。女の子はおしとやかに振る舞いなさいって。あれでもマダムの孫なんですかねぇ」
今は経営を孫娘達に託して隠居中の身だか、その影響力は衰えを知らず現在は月から最端にあるジャイロスフィアの外宇宙研究研究所の顧問を勤めている。
「そんなわけで仕事を無くしてしまいました」
「貴方の実力ならもっと上を目指せますでしょう。出来ることがあれば何でも言ってちょうだい」
「残念ながら僕の役割(ロール)は次元が違います。天に昇れば、あとは落ちるだけ。重要なのは誰の横に就くかです」
「あら、そうなの? では私の横に?」
『それはココロが許さないですヨッ!!』
少女の声のような電子音が竜華の背中から聞こえる。ピンクのウサ耳がピョコピョコと肩から揺れ動いていた。
「ん? やあココロ。君はいつも元気だね、ロボットの癖に」
『いーっつも余計な一言が多イ! それに君より歳上なんだから敬語使うべきジャン!』
人間そっくりな見た目をした少女、ウサミ・ココロはアンドロイドであった。彼女は足の不自由な竜華の為に身の回りのお世話役を買って出ている。
半世紀近く稼働しているらしい彼女だが自称〈人間の十六歳〉らしくロボットと呼ばれるのを嫌う。
「ハハハ、部品を取り替えて長生きの出来るロボットに年齢ですか、これは傑作ですね?!」
顔が付いたウサミミ帽子の鼻をツンツンと突くイザ。
『ココロはロボットじゃなイッ! 列記としたレディなのヨ!』
「声帯の調整が甘い。人間らしく振る舞いたかったら、ちゃんとハッキリ喋りたまえ」
『ムキーッ!!』
じゃれ合う二人。大体いつもこんな調子でイザがからかってはココロが怒ってる追いかけ回すのだ。
「それくらいにしておきなさい」
廊下で暴れる二人に竜華がピシャリと言い放つ。彼女の言うことには逆らえないのか二人は即ふざけるのを止める。
「イザ、言い過ぎよ。ココロさんに謝りなさい」
「……………………レディに対する失礼な発言、実に申し訳ありませんでした」
『……フンッ!』
形だけの握手で一時的な仲直り。折れそうなぐらい力を入れるココロにイザも対抗するが力では流石に勝てない。
出会った頃からなにかと対立し、日を跨げば直ぐに再開する犬猿の仲だった。
「それでマダム。どう言ったご用件で?」
「あら、そうでしたわね。では場所を変えましょう」
◆◇◆◇◆
イザにとって竜華という人間は特別だ。
命を救ってくれた恩人であり母親のように慕い尊敬できる存在である。
暇潰しの遊び代わりにやっていたSVシミュレーターでパイロットとしての素質があるとわかり、竜華の力で特別にジャイロスフィアのTTインダストリアルで新型機のテストパイロットとして雇われた。
元社長権限でやりすぎとも言える特別待遇に他の者から疎まれていたが、イザは全く気にしておらず、それが当然であると自覚した。
この五年間。
イザの記憶は段階的に取り戻しつつある。
その一端が、宇宙で遭遇した巨大な《剣》であった。
◆◇◆◇◆
TTインダストリアル支社、特別試験運用隊の宿舎がある工業区域から車で五分。社員たちが住む一般居住区にある来客用ホテルにイザは招かれた。
最上階のVIPルーム。豪勢な装飾品や家具に囲まれて心が踊り、イザは子供のように物色する。
「移転先に貰えませんかね、このクローゼット」
『ショールームじゃないってーノ!』
「イザ……《ソウルダウト》には会いましたね?」
テーブル席に付いた竜華が真剣な表情で話を切り出す。
「あの《剣型SV》のことですか? 記憶の中より実際はとても美しい……“魂を疑う”とは変わった名前だ」
「貴方が思い出した名です」
「そうでした、そうでしたね」
実際のところ記憶に関しては曖昧だ。
自分と言う人間が何者なのかはわからないが、頭の中に響く“声”のようなものに従って突き動かされてる。
『ほイ』
ココロはぶっきらぼうに熱々のティーカップをイザに押し付けた。甘くて良い香りがイザの鼻孔をくすぐる。竜華がココロが淹れた紅茶を一口飲むのに続きイザもカップに口を付ける。
「第三のexSV、あれを僕は知っている。しかし、中には生命反応が、操縦者がいなかったのが気になる」
『色々と暴れてるらしいけド、何なのアレハ?』
「本当にexSV(エクストラサーヴァント)と呼ばれるマシンは、これまで二機しか存在しなかった。あれの建造者は一人の男。もしも《ソウルダウト》と関わりがあるとするならば……」
竜華は幼い頃に件の男と会ったことがある。思い出すだけで悲しさと怒りが同時に沸き起こるほど辛く嫌な思い出だった。
竜華が初めて対面した時に男は三十代だった。
現在、生きているとすれば百歳を越えているが、統連軍により指名手配され行方を追っているが消息不明で半世紀以上になる。
「しかし、exSVは世界の窮地に現れる。つまりは地球に危機が迫っていると言うことなのです」
『でも、そのせいでただでさえ悪い地球と月の関係が余計に拗れているじゃなイ? むしろ混乱の原因というカ……アッ』
言いかけてココロは両手で口を塞いだ。
余計なことを、とイザは呆れる。
『いや違う、違うのヨ!? 月を追い出されたのは竜華のせいなんかじゃないっテ! ココロだってもっとリターナーの母役として強く言っていれば』
「いいのです、もう。私が月の暴挙を止めることさえ出来てさえいれば、こんなことにはならなかった……はずなのに」
悲しげな表情を浮かべる竜華。
どうにかしなければ、とイザは竜華に頼みたかったことを思い出した。
「それで僕からなんですけど、月へ」
『竜華、タイヘン!? タイヘンッ!!』
イザの言葉を遮るように突然ココロの両目が発光し、口からけたたましいアラーム音を鳴らして始め七転八倒する。
「慌ててどうしましたかウサミさん?」
『地球からの戦艦が……攻めてきてる!?』
ウサミの目がピカッと光り、宇宙の映像を壁に投影する。
映し出されたのは地球統連軍の艦隊だった。
その数は六隻、SVを次々と発進させながらジャイロスフィアに迫ってきている。
「これは……面白いことになりましたねぇ」
敵の攻撃が始まったのかホテルが激しく揺れる。
転んで仰向けになるイザは、これからの展開を予想してニヤリと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます