吾輩は厄である

 私は「厄」である。名前はもう覚えていない。

 私は公園の隅っこの暗がりに置かれた段ボールに入っていた。暗闇に紛れていると安心するのだ。時々大きな生き物がやってきて中を覗いては、「厄」「不吉」と言って顔をしかめて逃げて行くが、私は私がそれほど恐ろしい姿をしているとは思わない。彼らがそう思うらしかった。彼らは人という生き物だ。


 ある晴れた日に、私が入っている段ボールを人が抱え上げた。私は段ボールと一緒に人の家へと運ばれる。人はにこにこしていた。驚かせてやろうと思って、床に置かれた段ボールから飛び出してみたら、人は笑って「元気が良い」と言った。私は怖いぞと毛を逆立て凄んでみたが、なだめられ背中をポンポンと整えられた。拾われたのは段ボールではなく私だったらしい。私はこのようにして住処を得た。


 厄を拾うとは物好きな。

 私を遠ざけたのも人であり、招き入れたのも人である。私は私でしかなく、厄であれなんであれ知ったことではない。災いを呼び込むなんて芸当は出来ないのだが、私が道を横切ると人は追い払おうとしたり目を逸らした。暗闇に紛れて蠢けば叫び声を上げて逃げられた。やかましいことだ。

 それを思うと今の住処は快適だった。ご飯が出る。家は広く日当たりが良い。庭を掘ったら怒られたけれど私はやめない。広く明るく清潔で自由で、そして私を厄と呼ぶ者がいない。

 夏は涼しくて、冬は凍えるほど寒かった。食卓の椅子のうち使われていないものが私の定位置になった。人数に対して椅子が一つ多いのだ。私の席ということだろうか。私の席はストーブが近いので、冬はここから動きたくない。トイレは階段を上がった場所にあって、そこに至るまでは長い廊下と玄関近くと水場を通らなければならないので、行って帰って来る頃にはすっかり冷えてしまう。一度「トイレが遠い」と訴えてみたのだが、人は私の言葉を知らなかった。私は人の言葉を知っているのになあ。トイレとご飯と見回りに出歩く以外は、机の下の闇に紛れて、ストーブの火に照らされながら眠った。


 外を歩くと、自分と同じ形をした者に時々会う。厄は街の片隅の陽だまりに転がっている。良い場所は奪い合いになる。厄は同じ場所に二つ固まっていたくない。

 たまに空き地で会議をする。何も話さず終わる。

 同じ形の厄に聞いてみたことがある。

「おまえは厄か?」

「そう呼ばれることはないね」

 そいつは陽だまりの色をしている。


「ふくふくとしているね」

 こいつは「福」というらしい。私の住処に唐突に現れた。私と同じくらいの大きさだ。フクフクというか餅のようだった。つるんとしていて手足はむちむちだった。歩くのが下手。大声でよく鳴く。餌も取れない。大きいわりに何も出来ない。おまけに私を追い回す。災いだった。人は福を見て笑った。福は手が掛かる。それに対して私は大人だ。あまり構ってもらえなくなった。災いだ。暗闇から睨んでやった。


 福は世話されながら育った。あまりにも世話されすぎて、みるみる大きくなり、二足歩行で歩くようになり、人の言葉を話すようになり、小さい人となった。福は私を追い回し、背中をむんずと引っ掴んだりする。二足歩行に慣れないのか注意力散漫なのか私が見えていないのか踏んづけられそうになることも度々ある。大きい人は時々私から福を引き離すものの、福は人のわりに人の言葉を解さない。威嚇すると暫くは寄らなくなるが、その時だけだ。災いだった。私は福には近付かないようにする。私の定位置に座って闇になる。闇の中でぎろぎろと睨んでやる。


 ある日私が疲れて日向で寝ていると、福を伴い家の者たちが寄って来て、私を取り囲んだ。何事か。いつでも逃げ出せるように座り直す。家の者は私の背中や頭を静かに撫でた。

「こうやって撫でるんだよ」

 福はところ構わず逆撫でするし引っ張るので噛みつこうかと思ったが、家の者が嗜めたので私は黙ることにした。

「頭を撫でてあげるといいよ」

 家の者の言葉を理解したのかしていないのか。福は人の行いを真似ることが好きだから、人と同じように私の頭まで手を伸ばして静かに撫でるようなことをした。この時この瞬間である。私は福と、福は厄と、遭遇を果たしたのだった。共に生きるには互いに違いすぎるけれど、それぞれの存在を認識するところから始まる。上手く住み分けていこうじゃないか。


 福との生活はそれほど長くなくて、家にいたうちの二人は福を連れて別の場所で暮らすようになった。すぐに戻って来るつもりのようで荷物なんかはそのままにして、何回か夜が来る度に戻って来てはいたが、荷物が埃を被ることが多くなる。家には私の他には一人だけになり、急に静かでがらんとした。私は時々席を移動して、椅子の闇や埃を払ってやる。広くて静かで日当たりの良い家で、年老いた人と二人で暮らした。

 年老いた人は、厄のような暗闇のような私を膝に乗せて撫でながらよくこう言った。「幸いだ、幸いだ」と。

 私は幸いとなったようだった。今日も暗闇に紛れて過ごす。

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