第56話 白殿零とは誰なのか

「くだらない」


 白殿父は、吐き捨てた。


「聞くにえない。すべてがおまえの独断だろう。何の根拠もない言いがかり。これ以上は時間の無駄だ」

「はぁ、子供の会話に口を出さないでくれますか? 程度が知れますよ」

「なっ! おまえ! それが大人に対する口の利き方か!」

「大人だったら大人らしく子供を見守ったらどうですか。過干渉は今時流行らないですよ」

「大人として、子供が間違った方向に行きそうになったら注意しなければならない。今がまさにそのときだ」

「そうやってあんたは、娘の考える機会を奪ってきたんですよ」

「何だと!」

「考えるということは、自己を確立するということ。その機会がなかったから、彼女には自分がない。あるのは、あんたが定義した白殿零だけだ」

「何を言っているんだ、おまえは? 仮にそうだったとして、それの何がわるい。おまえは言葉を選んでいるが、それはということだろう」

「そうとも言えますね。ですので、一概にわるいとは言いません。だから、僕はと尋ねているんですよ。あんたの娘に」

「その必要はない!」


 僕の返答に、白殿父は声を荒げる。


「おまえは、私を悪人にしたいようだが、私は私で零のことを思ってしつけをしている。時には厳しいことも言うだろうが、すべては零のためだ。そして、零も私の考えに納得して従っている。何度も言うように、おまえなんぞに口を挟まれる筋合いはないんだ!」

「だったら、どうして彼女は髪を染め直さない!」


 僕は告げる。


「時間は多分にあったはずですよ。それでも彼女は髪を染め直していない。、今もなお、髪を染めていないということが、あんたの判断を疑っている証拠でしょうが」

「おまえのせいだろうが! おまえが零を誑かしたから、零が混乱してしまったんだろう!」


 誑かした、か。

 ここでもこのフレーズを聞くのかと、僕は思わず笑いそうになってしまった。


「では、やはり本人の意思を確認するべきでしょう」

「だから、その必要はないと!」

「先ほど、彼女はあんたの考えに納得しているから従っていると言いました。それが根拠だと。けれども、今、彼女が混乱していると言いました。これは前言の根拠と矛盾しますよね」

「なっ! 揚げ足取りを!」

「いえいえ、これは真相だと思いますよ。あんた自身が、彼女の変化に気づいているんでしょ。だから、尋ねるのが怖いんだ」

「そんなわけ!」

「じゃ、質問してもいいでしょ」


 タイミングがよかったのか、この言葉で、白殿父は、うっと返答に詰まった。


「僕はね、お父さん、別にあんたが間違っていると言いに来たわけじゃないんですよ。そもそも、あんたと教育について議論するつもりもなかった。この場に、あんたはいなくてもよかったんだ。僕は、ただ、白殿零とは誰なのか、と尋ねたかっただけなんですよ」


 そして、そのまま、僕は白殿零に視線を向ける。


「君は、親の願望を叶える良い子なのか、先生に従順な優等生なのか、クラスメイト想いのクラス代表なのか、僕の言葉を否定ばかりする性悪娘なのか、それとも、そのどれでもないのか」


 反応のない白殿零に僕は尋ねる。


「なぁ、白殿。君もいい大人なんだから、そろそろ他人に自分を定義させるのをやめた方がいい。なんて、どうでもいい。大事なのは君がどう思うかだ」


 結局、僕はまた同じことを繰り返しているのかもしれない。母に注意されたことを、白殿父が懸念していることを。単なる言葉遊びで、悪戯に白殿零の心を乱しているのかもしれない。


 それでも、言わずにはいられなかったのだから、仕方がないだろう。


「君自身で、殿


 言葉をろうすることを悪とするのならば、できるだけシンプルに、僕の想いを告げよう。たった一言、僕は君にこれだけが聞きたくて、ここに立っているんだ。


「君は誰だ? 白殿零!」


 言い切ってから、やはりレトリックが過ぎるなと思ったけれど、それでも想いは込めたと割り切って、僕は彼女の反応を待った。


 しばらく、時間が止まったかのような沈黙が降りてきた。ごくりと唾を呑む音が、時の刻みを告げて、そして、ゆっくりと、しかし、優美に、彼女は、その大きな瞳を見開いて、すっと視線を僕に向けた。


「私は、青色が好きです」

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