第13話 絶対に、おっぱいを揉むのを諦めない

 久しぶりに登校した翌日、僕は寝坊した。身体というよりも心の疲れが大きい。あんな面倒くさい案件に絡まされたのだ。近年、人付き合いのストレスから解放されていた分、その辺の耐性が弱まっているのかもしれない。


 結果的に、朝食を待ちかねた妹によって叩き起こされた。父は早くに家を出てしまうし、母は家事などできないので、妹と兄と犬の食事は僕が用意する。だからって、部屋に乱入してきてヘビーメタルを絶唱するのはやめてほしい。


 重たい身体を起こして、いつものように、朝食をつくり、洗濯して、掃除をする。それらを終えたところで、僕はパソコンを起動させて、ウェブカメラの調子を確認する。想像通りに感度良好。角度がわるいのが難点だが、まぁ、仕方がない。


 とりあえず、これで出席日数を稼げる。僕は、授業の映像の流れるウィンドウを最小にして、音をミュートに設定する。それから、昼食までの間、動画サイトで数学の授業を視聴する。


 昼からは、やる気が起きなかったので、読書。最近話題の歴史書で、かなり重量感がある。本来は電子書籍派だが、この本はなかなか電子書籍化しないからしびれをきらして紙書籍で買ってしまった。今時、同時に電子書籍化しないなんて、時代遅れも甚だしいと思ったけれども、急いた価値はあったと考え直させるほどおもしろかった。


「この本、おもしろいけど、読んでたらテストの点数下がりそう」


 そんな感想を抱きつつ、僕はパタンと本を閉じる。それからキッチンに足を運び、おやつのパンケーキを焼いた。ジンジャーパウダーと蜂蜜を加えて味に深みをもたせる。けれど、結局、パンケーキって、泡立て加減なんだよな。


 すべてが終わったからだろうか。日常に帰ってきた感が半端ない。これから、また、僕だけの和やかな日々が続くのだろう。


 彼女の来訪は、日常へのよいスパイスとなった。まぁ、パンケーキにとってのジンジャーパウダーみたいなものだ。たまには、こういう刺激もいい。


 たまにならば、だけど。


 ――ピンポーン


 ……たまにならば、だけど。


 さて、最近、変な日課が追加された。ちょうど放課後にあたる時間に、クラスメイトが訪れる。見た目は、そこそこ美人なのだけれども、中身がかなりの変人な女学生。


 彼女は、慣れたように家の中へと足を踏み入れ、そして僕の部屋に侵入する。まだ見慣れない淡い青髪と、吸い込まれそうな黒い瞳、派手な制服と膝下のスカート。見るからに女学生の白殿は背筋を伸ばして、形のいい正座をする。


「あら、パンケーキですか?」

「……別に君のために作ったわけじゃないからな」


 白殿は、ちょうど、おやつ時に来るので、度々おやつを振る舞ってあげていた。もはやこの女、おやつ目的で来ているのではないかと思える。当の白殿は、しれっとした顔でパンケーキにナイフを入れ、行儀よく食する。


「で、何でまだ来るの?」

「はい?」


 僕の当然の問に対して、白殿は、白々しく首を傾げる。


「もう、僕を登校させる必要はなくなったんだよね。昨日、そういう話になったよね」

「えぇ、クラス代表を一旦辞めた際に、そちらの依頼も撤回していただきました」

「じゃ、何で、また今日もここにいるの?」

「ただ友人の家を訪れただけですけど」


 え?

 僕が、紅茶を吐きかける一方で、白殿は、飄々とした顔で「冗談です」と継ぐ。


「あなたは、私の友人ではありません」


 あ、そこなんだ。


「じゃ、何しに来たんだよ」

「あなたを登校させるためです」

「はい?」


 白殿は真摯な顔で告げる。まぁ、彼女は、先ほど同じ顔で冗談を言っていたが。


「もうその必要はないんじゃ?」

「えぇ、井尻先生からの依頼は撤回されました」

「じゃ、なんで?」

「私がやりたいからです」


 えー。


「あなたには、学生としての本分をしっかりと学んでいただき、健全で正しい精神のもとで、ちゃんと学校に通っていただきます」

「どうして?」

「私が正しいと証明するためです」

「正しい?」

「学生は学校へ通うものです。あなたは、学校での勉強は非効率だとか、友達なんていらないだとか言いますが」

「いや、友達がいらないとは言ってないけど」


「学校とは、楽しい場所です」


 白殿は、きっぱりと述べた。


「あなたが学校に通う価値がないと言うのであれば、私は学校に通う価値を説きます。これは、いわば、私とあなたの戦争です」

「君、僕と戦争しに来たのかい?」

「言葉の綾です」

「パンケーキ食ってんのに?」

「このパンケーキ、ちょっと甘過ぎますね」


 もう帰ってくんないかな。


「僕は学校に通う気ないんだけど」

「あなたは学校に通うべきです」

「徒労だと思うけど」

「徒労かどうかは私が決めます」


 そう言ってパンケーキを完食すると、白殿は、背筋を伸ばす。


「さぁ」

「さぁ?」

「何をしているんですか? 早く盤を出してください」

「盤って、将棋の?」

「他にあるんですか? これだからコミュ障は困ります」


 その言葉、そっくりそのまま返したいところなんだけれど。


「将棋勝負です。私が勝ったら、学校に通っていただきます」

「君、さっき説得するって言っていなかったか?」

「それはそれ。これはこれです」


 さいですか。


「じゃ、僕が勝ったらおっぱい揉ませてくれよ」

「は?」

「あ、冗談です」

「二度としないでください」


 なんだよー。

 じゃ、僕がやる意味、ほぼゼロじゃん。

 

「まぁ、いいけど。将棋じゃ、僕には勝てないと思うけど」

「どうでしょうか」


 白殿は、駒を並べながら告げる。


「結果のでない努力を徒労と言います。だから、私は徒労に時間を費やしたことなどありません」


 なぜなら、と白殿は、歩駒を構えて、キリッと音をたて、キメ顔を見せた。


「私は諦めたことがないからです」


 そう言われてしまえば、僕に返す言葉もない。仕方なく、僕は盤の上に駒を並べる。


 白殿の考え方も、やり方も、はっきりいって非効率極まりないけれども、ただ、この素直な姿勢と、諦めない心意気だけは学んでもいいのかもしれない。


 だから、僕も決心する。

 

 絶対に、おっぱいを揉むのを諦めない。


 ……でも、白殿のじゃなくてもいいかな。

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