#009 『 反乱の狼煙 』
一か月前––––––––
アルトスが盗賊との戦闘イベントに勝利した頃、王都に着いたエクトルはすぐに王城へと駆け付けた。
「王よッ!!!」
王の間の扉を強く開け放ちながらエクトルは叫ぶ。
僅かに響くその声に、王の間で飾りの花を活けていたメイドの女性は突然のことで驚き、困惑する。
王の間を見渡したエクトルは唯一王の間にいる彼女の元へ歩み寄り、王の所在を問う。
「王は何処か。」
力強く、それでいて壮言なその姿に奴隷の女性は困惑しながらも魅入られる。
しかし、エクトルの主人を心配するその視線に負け、彼女はエクトルを王のところまで案内する。
本来、王城というのは王の居住地の他に国内の政治拠点であり、また国の最終かつ最強の軍事拠点である。
そのため、いかに側近の家臣であってもその全容を知ることはできない。
これはその家臣が万が一にも裏切った時に攻略されないためである。
一応、過去に王城の全容を知ろうとした家臣がいたらしいのだが後日その家臣は工作行為を行ったとして処刑されている。
そのことからもエクトル卿は王城の入り口から王の間までの道のりの他に王城の中庭までは知っているが王の居室や王妃の所在などのその他のところは知らない。
事実、公務で王の間で王へ謁見する他に王の開催する新年を祝う舞踏会の際にしか王妃には会ったことがない。
無論、その娘にもであるが……。
そのため、エクトルは目の前にいる女奴隷についていくしかないのだ。
王城内を歩くこと数分。
メイドはついに一つの扉の前で止まり、口を開く。
「ここです……。」
かすかに聞こえる声で告げるその言葉に疑うことなく、エクトルは扉を開け、再び叫ぶ。
「王よッ!!」
王都へ到着してからすでに三時間余り。
その間、どれほど王を心配したことだろうかとエクトルは考える。
だが、王に忠実なエクトルは瞬時に気持ちを切り替えると忠臣としての礼儀をいつ何時でも忘れずに王の元へと歩み寄る。
しかし、一人ベッドに横たわるその王と呼ばれる男はすでにエクトルの思い出す王ではなかった。
体はすでに老衰し、従来あった筋肉も今ではすでに収縮し、筋肉によってわずかに肥大化した皮と体を支える芯である骨だけがあった。
また、その顔にも無数の皴があり、息も浅い。
このままでは王と呼ばれる男がいつ老衰で死んでもおかしくない。
いや、正確にはむしろ今現在息をしているのが奇跡とでも言わんばかりに体が衰弱しているのだ。
それなのにこの男はなおも生きることに固執している。
それは、まるで若き日の彼の人生を思い起こさせるものだった。
◇・◇・◇
およそ、二十五年前。アルトスが生まれるおよそ十一年前のこと。
彼、ウーゼル・ウェストリーは愛馬と共に戦場を駆けていた。
その手に握るは打ち取った敵軍の王の首。
そのわずかに滴る血を見れば、誰もが敵将が討ち取られたばかりであることが伺える。
だが、そこは重要ではない。
むしろ、重要なのはウーゼルの方であった。
確かに敵軍の大将を取ればそれはそれで勲章ものだ。
しかし、今回は少しばかり違う。
ウーゼルは敵軍の王を打ち取るためにおよそ十の騎兵に九十の歩兵を束ねて、総勢五百もいる敵主力へと攻め入ったのだ。
その姿を見た敵主力は瞬く間に混乱し、崩壊寸前であったグウィネズ軍は一気に盛り返し、形勢逆転に成功した。
しかし、ウーゼルはそのことなど気にも留めない。
それは戦争に勝つ以前の問題であった。
ウーゼルは本来、兄がいた。
そして、王位を継ぐのも生まれた時から兄と決まっていた。
それは昔からの慣習であるため、ウーゼル自身も変えることはできない。
事実、ウーゼルよりも兄の方はすごかった。
剣術、槍術、弓術に馬術、どれをとっても抜き出た功績を叩き出した兄は父とその家臣からも大きな期待をされていた。
また、武術だけでなく文学にも精通し僅か十五で中央集権化を考え理論化し、王である父に提唱して自らが実践して見せ、王国の土台を形作った。
そして、一早く戦争における兵站の重要性に気が付き、独自の兵站システムを構築、実戦し勝利をもたらすことにも成功した。
これらの功績によりグウィネズ王の国は発展し、グレートアルビオンの全王家の悲願であった王国統一が兄によって果たされると思われていた。
だが、兄の急速的な革新により諸侯や豪族たちは土地を奪われ、プライドを踏みつぶされた。
もし、兄の考えた革新的な政策の失敗原因は何かとウーゼルに問うのならばこう切り返されることだろう。
兄は文武両道に優れていた。しかし、兄は優しすぎたと————。
ウーゼルの兄は後日。急速的な改革によって、領土と財産を奪われた諸侯たちによって暗殺されたのだ。
奇しくも戴冠式前日にである。
その結果、戴冠式は後日延期となった。
そして、戴冠式の夜になるはずだった時、王位と共に兄の死がウーゼルの元へ告げられたのだ。
その夜、ウーゼルは泣き続けた。
尊敬していた兄が死んで悲しみに暮れているのだと誰もがそう思った。
だが、兄の死でウーゼルは泣いてなどいない。
むしろ、それ以上に己の無力さに悔いていたのだ。
あの日、戴冠式の前日。
ウーゼルは兄に対して兄弟として最後のバカ騒ぎをしようということで隠れて街へと赴いたのだ。
そして、普段なら入らないゴロツキどもがいるところに入り、酒を頬張った。
普段飲む酒や食事とは違い、その味は最悪であったが、身分にとらわれずにバカ騒ぎができることに比べれば、二人には問題なかった。
いつしか、二人は酒ではなくこの瞬間に飲まれていた。
そして、悲劇は起きた。
ウーゼルが酒場にいる庶民の女性を口説いている間に兄は戴冠式のことを思い出し、王城へ帰ろうとした。
だが、ウーゼルは今だこの瞬間に酔っていたのだ。
それが悲劇をもたらすことになり、兄は一人夜道を帰った。
それも、僅かに酔って……。
その瞬間を好機と捉えられ襲われたのだ。
酒にはウーゼルはしかり、その兄も強かった。
しかし、夜も遅くいくら強くても酒は酒だ。
酔いは多かれ少なかれ回る。
そして、眠気と酔いにより行動が僅かに遅れたウーゼルの兄は襲撃された。
戦闘においての隙は致命的である。どこの誰が言ったかのようにウーゼルの兄は殺された。
それも無数の刺し傷によって……。
あの日以降、ウーゼルがあの日のことを語らなくなり、自らを鍛え上げた。
元々、文学も武術もそこそこだった彼はどんな厳しい練習も莫大な学問の羊皮紙も、すべて習得した。
そのため、ウーゼルが即位してから一年後、王国は中央集権化を完遂した。
そして、その数年後には最大版図を成し遂げた。
それは王国の存在するアルビオン島のおよそ、六割だった。
しかし、病に倒れてからは王国の最盛期も衰え始め国内は荒廃し、周辺諸国からは弱った王国へたびたび侵攻を繰り返しては領土も失われていった。
そして、現在。
僅かな息があった王は最後の瞬間をベッドの上で忠臣たちに見送られながら、眠るように静かに息を引き取った。
それも、後継者指名という王の最後の仕事もせずに––––––––。
王の崩御から二日後、王都で正式に王の崩御が宣言され、各地の有力者にも伝えられた。
後に王都を挙げての壮大な国葬が執り行われ、王都に住むあらゆる層の人々が王城へ駆けつけ、王を丁重に弔った。
そして、崩御の報せを切っ掛けに今まで水面下で燻っていた火種が一斉に燃え上がり、平和を享受していた人々に血塗られた暗い影を落とす事となり、運命が大きく変化する事となる。
国民の多くが王の死という悲しみに浸る中、一部の人は王城の閣議室で現実的な問題を抱え、議論を繰り返していた。
「だから、何度言ったらいいのだッ!!!」
会議用のロングテーブルを両手が勢い良く叩き、席を立ちながら叫ぶは初老の様な見た目をした王党派筆頭のコルバート宰相。
元は軍人ということもあり、その風貌は歳を重ねようがあまり変わらない。
そんな彼が苛立ちながらも告げる。
「王位はすでに姫殿下へ継承されている。よって次期女王は姫殿下であり、他の人がどうこうできるわけなかろうッ!!」
その言葉と迫力に同調され、王党派の皆は一斉に賛成の意を叫び、敵対派閥の豪族派を非難する。
だが、豪族派も馬鹿ではない。コルバート宰相の言葉に反論するように、豪族派筆頭の男が叫ぶ。
「王位は姫殿下に継承されども殿下はまだ幼き身。そんな、幼い殿下が国を動かすという重役を務めることなど不可能ッ!!! 貴方達は、自らの権利を保守するためにただ殿下を祭り上げている。よってここは我々、王国地域の大部分を管理する豪族が国家を運用すべきなのだ!!!」
豪族派閥の男が反論を言い放つと同時に豪族派の者達も王党派と同じ様に一斉に賛成し、王党派を非難する。
王党派と豪族派の対立は王国内では根深く存在し、それらは幾度となく争ってきた。
しかし、それらの問題はウーゼルという絶対的な支配者の元で抑えられていた。
それが無くなった今回は初めて両者が直接的に衝突したのだ。
加えて、両者の争っている議題は王の後継という国家の存続を脅かす重大な問題。
王党派は自分の権益を失うのを恐れて豪族派を非難し、豪族派は王党派によって略奪された権益を取り戻そうとして王党派を非難する。
元々、敵対勢力であった豪族派の多くは征服した王党派によって自らの権益を奪われ搾取されてきた。
無論、多くのものは処刑をされたが残った豪族らはそれらを忘れてなどいなかった。
そのため、ウーゼルという脅威が無くなった今、豪族達は王党派を排除し王国を乗っ取ろうとしていた。
だが、それは王党派も承知の上であった。
それ故に生前のウーゼルに幾度となく抗議を行い、粛清を行なって豪族派の力をそぎ落としてきた。
それがここ数年、ウーゼルの病が悪化したことで停止し、豪族派はその勢力を拡大してきた。
そして、つい先日。
ウーゼル王の崩御にて均衡してしまったのだ。
力の均衡。一見平和的に見えるそれは、言い換えれば極度の緊張状態であり、一触即発なのだ。
そんな状態の中で行われる会議には王位継承などの議題の中身など関係なかった。
敵を排除する――――それこそが両者の脳内にある思考だった。
そこへ、一兵卒の兵が慌てふためく様に閣議室へ押し入る。
「き、緊急伝達ですッ!!!」
息を切らしながら入ってきた一兵卒に突如として会議を中断された王党派と豪族派の皆が睨む様な目つきで視線を送る。
「……王都南方のボーフォード家並びに東方のクライル家が手を組み、王国に対し宣戦布告してきました!!」
突然の連絡に王党派も豪族派も思考が停止し、ただ硬直する。
王国の一貴族が宣戦布告を行う。
それは反逆行為であり、謀反であった。
そして、それが伝えられたという事は直ぐにでも敵は攻めてくるということを意味する。
国家の非常時に乗じて、謀反や裏切りを行う輩はどこにでも存在する。
しかし、それの多くは国家における下層階級などの市民もしくは搾取や卑下されてきた一部の有権者だけ。
それも求める物には違いがある。
下層階級の場合は革命もしくは反乱であり、革命は国家の転覆を、反乱は押し付けられた物事に対しての撤廃を目的に行動する。
また、有権者の場合、権益を守るために行うことがほとんど。
一部、革命的に起こすものもあるが成功率が低い。
そのため戦争で負けて自らの権益を奪われる位ならいっその事、裏切って勝ち馬に乗る。
それが豪族であり、貴族なのだ。
だが今回、謀反を起こしたボーフォード家やクライル家というのは、王国のなかでも優遇された上級貴族であり、本来なら王国を救うべき立場の人たちだ。
この場合、彼らは権益を守るために行動などしていない。
つまり、今回の謀反は王国の瓦解を意味していた。
王国の瓦解。それは、まさに王党派、豪族派の両者にとってまさに寝耳に水だった。
王国が瓦解し崩壊する様なこととなれば、今ある自分の権益も何もかも失う事となる。
それを恐れた豪族派筆頭の男はすぐに、我に帰り対策を考える。
ボーフォード家とクライル家の両家が支配する領から王都までは最短でも五日はかかる。
また、両家がどれほどの戦力で来るかわからないが、王都には常時五千人の軍が駐留している。
それに加えて王都の守りは堅牢で有名。
ちょっとやそっとじゃ崩れるどころか、手痛い反撃を与えられて終わってしまう。
そのため、王都を落とすつもりであれば最低でも万を越す大軍が必要である。
だが、両家とも万を超える軍を賄う程の財力はない。
不自然で全く生産性のない無意味な行動に豪族派筆頭の男は疑念を抱く。
そこへ更に、追い討ちをかける様に伝達を伝える一兵卒の走る足音がガシャガシャと聞こえてくる。
途端に豪族派筆頭の男は考える事を止めると閣議室にいた王党派と豪族派の皆が同時に悪い予感を感じる。
そして、先程と同じように押し入る二人目の一兵卒が引き攣った顔で告げる。
「王都から二日の距離に南方及び東方より、多数の騎兵と歩兵の混成集団を確認。真っ直ぐに王都へ近付いていますッ!!」
瞬間、硬直していた豪族派や王党派が二人を残してパニック状態となり、不安や恐怖が閣議室を支配した。
中でも比較的に受け止めていた王党派筆頭のコルバート宰相と豪族派筆頭の男がパニック状態と化した閣議室を収めるべく、落ち着くよう促すが効果はない。
不安や恐怖のみが伝染し、蔓延する。それが思考を停止させ対応を遅らせる。
そこへ、まるで水面に一石を投じるかの様にテーブルが粉砕する音が閣議室に響き渡った。
テーブルを粉砕したのは閣議室にいた唯一の武家貴族。王党派のエクトルだった。
エクトルは王国内でも有名な実力者でありながら、長年に渡って王家に支えてきた忠臣。
普段は誰に対しても優しく、それでいて正義感にあふれる男だが一度、戦場へ赴けば彼の後には屍の山ができると言われる最強にして最恐の騎士。その男が、拳を握りテーブルを粉砕した。
その光景を見ていた王党派、貴族派の人達はたちどころに沈黙する。
だが、それは決して落ち着きを取り戻したという訳ではなかった。
彼らの持つ純粋なる逃走本能がそれをさせていたのだ。
そして、低くそれでいてゆっくりとエクトルは口を開き告げる。
「若造が……。」
その目には、殺意が込められていた。
普段の彼からは思いもしないオーラが溢れ出る。
それは相手を脅すために使う恐怖ではなく、殺意と呼ばれる純粋なる畏怖だった。
閣議室という閉鎖的な空間でエクトルは殺意をばら撒きながらゆっくりと椅子から立ち上がる。
その姿に閣議室にいた王党派、貴族派、伝令兵、衛兵などが尻餅を付き、理性と冷静さを失った。
本能が彼らに最大限の警笛を鳴らす。
だが、彼らは動かない。否、動けない。
彼らはもはや自身の身体の制御も出来ず、ただ出来るのは椅子に尻餅を付き、僅かに身震いするということだけしか出来ない。
頭では理解していたとしても、抗えない生物の絶対的な本能。
それがエクトルの持つ強さであり最恐の騎士にした最強の武器。
ほんの数秒で、エクトルは閣議室にいた皆を無力化し、王国の中枢を麻痺させた。
その実力はまさに唯一無二であった。
戦場において、恐怖に屈するとは死を意味する。
迫り来る死の恐怖に抗い、生にしがみつく事こそ戦場を生き抜くコツであり、生物に刻まれた生き抜く術である。
その言葉を地でいく男。それがイーサン・サー・エクトル辺境伯。
別名にして屍の騎士。
「では、行くとしよう。宰相殿。」
一呼吸し、先ほどとは打って変わって、エクトルは冷静な声で同じく椅子にもたれながら震えるコルバート宰相へと告げる。
エクトルの畏怖を受けてまともに立っていられたのは後にも先にも先王ただ一人。
事実、コルバート宰相も意識こそあれども、完全に腰が抜けており立つことはおろか下半身の感覚を失っていた。
エクトルが閣議室を出て数十秒。
音を聞きつけた召使い達が閣議室に入るとそこにはまるで、恐怖に打ち震える各大臣や貴族の人たちが見るも無残な姿で倒れていた。
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