#010 『 激動の夜明け 』

 閣議室を出たエクトルはすぐさま籠城戦をすべく準備に取掛る。


 王都の堅牢な城壁があれば万を越す大軍でも落ちる事はない。

 故に敗北自体はありえない––––––––だが、この世に完璧なものなど存在はしない。

 一度、籠城すれば敗北こそないが勝利もない。


 そもそも籠城戦は外部からの援軍があって初めて成り立つ戦術。

 守りが強ければ強いほど援軍が来るまでの間持ちこたえることができる。

 それはまさに本来の城塞都市の姿であり現王都の正体なのだ。


 しかし、現実問題。

 外からの援軍など存在しない————よって、この王都はいずれ落ちる。

 それが敵による侵攻か、食料の枯渇による内乱か、両者とも可能性がある以上分からない。

 ただ、唯一言える事があればこの戦いに勝利はないということだけ。


 王国の地方はすでに食糧難であり平民による暴動は時間の問題。

 それに加えて比較的裕福な都市などの中心部は社会不安による秩序の崩壊。

 また、王の崩御により枷鎖のはずれた一部の貴族などの支配者階級は独立への道を模索し始める。


 それは現体制の崩壊を意味し今まで死んでいった者たちの犠牲が無になってしまう。

 それだけは阻止しなければならない————そう硬く、決意してエクトルは王城を後に兵舎へと急いだ。


◇・◇・◇


 一方、王城の奥深くでは、黄金に輝くサラサラとした美しい髪を風にはためかせながら一人の妖艶で華麗な女性を中心に幾人かのメイドが揃って水浴びをする光景が広がっていた。


 王城で唯一の男子禁制として知られるその場所は女性の花園であり、国王陛下以外の男性は立ち入ることはできない。

 そんな場所を占拠し治めるは国一の美女と謳われる女性。

 気高く、気品があり、賢明な女性。


 その妖艶で華麗な女性は年齢がすでに三十路であるにも関わらず、その美しさは衰える事はおろか、日増しに増幅するように若々しく魅力的である。


 そんな彼女の名は、オルティア・グウィネズ女王陛下。


 そんな妖艶で華麗な女性もとい女王陛下の下に先ほどの伝令が二十歳くらいの若々しいメイドの一人から告げられる。


「女王陛下、南方及び東方より軍勢が迫っています。その距離はおよそ二日ほどです。」


 膝をつき、臣下の礼を取りながら淡々とした口調でメイドは伝令を伝える。

 伝令を聞き届けた女王陛下は一呼吸すると何かを悟ったかの様に告げる。


「左様ですか……。」


 女王陛下の艶のある透き通る声で紡がれる言葉に報告した二十歳くらいの若いメイドは一瞬にして魅了され、うっとりする。

 しかし、その様子を他所に女王陛下はなにかを悟ったかのように両腕を拭いていたメイドたちを下がらせ立ち上がる。


「皆に女王として命令します。本日を持ってあなたたちを私の専属から外します。」


 女王陛下の突然の命令にあたりにいたメイドたちは静かに驚愕する。

 一部のメイドたちは目を見開くなどの表情が変化するものの咄嗟に表情を戻し、何故そうなったのかを考える。


 果たして何が悪かったのか……。何が気に召さなかったのか……。

 もしかして、先ほどの伝令に関係が有るのか。


 あらゆる思考が一瞬にして脳内を駆け巡るもののその回答は一向に出ない。


 そんな彼女らの疑問は自分たちは女王陛下のメイドというメイドの階級で言えば最高職であり、名誉でも有る立場にあるからだった。


 女王陛下直属のメイドというのは様々な厳しい条件クリアした者の内、女王陛下に認められた者のみが許されるからである。


 文字の読み書きは当然、馬や馬車の扱いはもちろんのこと、家事、育児、その他世話なども一流にこなさなければいけない。

 また、たとえどんな無茶振りでも答えなければならない。


 それ故に精神力や忍耐力が必要である。

 加えて、いざという時には女王陛下をお守りする衛兵として活躍しなければならないため、武器の扱いにも長けていないいけない。


 そして、最も重大で必要なのは容姿。

 これは別に差別的な意味ではなく、そもそも王城のメイドは各地より集めた屈指の美女が行う。

 これは王の妾として存在するためだからであり、その中で美女たちをまとめ上げるのは歴代女王の務めとされてきた。


 つまり、この禁断の花園はいわば王のハーレム兼女王陛下の生活を補助するメイドたちの生活圏である。

 故にそこから外されるというのはメイドとして重大な失態を起こしたかもしくはその魅力が衰えたかの二つの場合にのみ限られる。


 つまり、女王陛下の告げた言葉というのはメイド達にとって今までの人生を否定されるかの様なあまりにも衝撃的な事だった。


 そのため、ある者は失意に暮れ始め、ある者はぐっと涙を堪える様に唇を噛みしめる。

 だが、それらを見抜く様に女王は続ける。


「何も、貴方達が悪いわけではありません。遅かれ早かれ、ここは戦場となるのです。貴方達には遠方に家族がいる方が殆ど。ならば当然として、私は貴方達をここへ留めるわけにはいきません。今まで、ご苦労様でした。」


 後光が僅かに女王陛下を照らし、幻想的に煌めく。

 それはまるで天より舞い降りた女神の様に写り、女王の告げる言葉に感激したメイド達は自然と膝を屈し、臣下の礼を行った。


 目の前に映る光景と女王陛下からの優しいお言葉を貰ったメイド達は涙を抑えきれずに涙を流す。

 そこにもはや絶望も失意もなく、ただ今までの人生を捧げてきた者からの感謝の言葉だった。


 今まで朝早くから起きては支度をし王家に自分の人生を捧げてきた。

 それは何も自分がそうしたいからしたわけでは無かった。


 自分の元いた故郷が戦争に敗れ、グウィネズ王国に支配された。

 それ故に半ば強制的にやらされていた。


 最初こそは自分たちの故郷を滅ぼしたこの国が憎く、家族からも切り離された。

 そんな、辛さを皆心のどこかでいつも思っていた。


 だが、憎しみや辛さでは腹は満たされず、生きてはいけない。

 だからこそ、己の身をささげた。明日生きるために————大切な家族を守るために。


 自分たちの故郷は食べようにも食べ物がなく、病気や犯罪が横行していた。

 しかし、それでも自分たちは平和に暮らしていた。

 それが『戦争』という人災によって全てが崩れた。


 愛する故郷は焼かれ、家族とも引き離された。

 自分たちは見知らぬ土地へと連れ去られ、孤独となった。


 戦争で敗れた者達が戦後、人の様に扱われない事は承知していた。

 だけど、認めたく無かった。感情がそれを許さなかった。

 自分は自分だとそう言い聞かせて、朝を迎える。

 そんな日を続けていく中でいつの日か憎しみを忘れていた。

 苦しかった日々は無くなり、次第に考えが変わった。されど、家族と会う事はただの一度すら無かった。


 休日は女王のおかげもあり、週に一度はあったが王都から離れる事は許されなかった。


 王都の街並みを見ては楽しんだ。

 故郷では手に入らない珍しい品々。故郷では味わえない経験に新しい発見。

 毎日が驚きと感動だった。日増しに大きく、綺麗に、それでいて人が溢れる王都を見て、自分の認識を改める。


 何故、故郷が滅んだのではなく、何故故郷はこの国に挑んだのかと————。

 今までの自分はまさに井の中の蛙だった。

 世界を知らずに生きていた。

 いや、正確には知りたくもなかった。


 世界がいかに大きく、自分がいかに小さいのかを。

 自分たちは恐れていた。自分たちが想像もしないものをやってのける人がいることを。


 だからこそ、自身の目の前に佇む女王陛下には頭が上がらない。

 女王陛下は戦場という言葉の意味を知っている。それは何も身分の低い自分たちでは理解のできないものだ。


 女王陛下は今の自分たちには見えない未来を見ている。だからこそ、女王陛下は告げている。


 自分たちまでここにいる必要はないと——————。


 自分たちまで再び、戦火に焼かれることはないと————。


 女王陛下の言葉は優しく、心にしみわたる。


 だからこそ、自分たちは理解している。

 これはただの願望であることも、これは無意味なことであることも。

 しかし、これは生まれて初めて自身で選んだ道なのだ。

 故に声を上げるのだ。己の存在する意味を問うがために————。


「「「「「我らの命、女王陛下のためにッ!!!」」」」」


 メイドたちが一斉に告げる臣下の言葉に女王は、感銘を受ける。

 まるでロマンチックなシュチュエーションで構成された壮大な物語の一部を実際に経験しているような甘美で情熱的な雰囲気の中で、女王は覚悟を決める。


「では、行くとしましょう。我々の新しい未来を切り開くために。」


「「「「「仰せのままにッ!!!!」」」」」


◇・◇・◇


「それを……本気で仰っているのですか。女王陛下。」


「……ええ、もちろんです。」


 王都侵攻の知らせを受けてから数時間、すでに日は沈み月夜が王都を僅かに照らしていた。

 そんな中、突如呼ばれた王城の謁見の間でエクトルはオルティア女王の“娘を王都から逃がす”という言葉を聞いて耳を疑う。


 今更、娘を逃がすとは言えどもそう簡単なことではない。

 敵の先遣隊はすでに王都襲撃の報を受けて王都周辺に潜んでいるだけでなく、一日くらい離れた距離に敵の主力がいる。

 その中での逃亡は城で育った娘には非常に酷なことであり、常に狙われるという脅威は城で育ち生きてきた者にとって想像以上に精神と肉体を疲弊させる。

 夜は眠れず、食欲もわかない。そんな中での必死の逃亡は、時に逃亡者を衰弱させることもある。


「……彼女には悪いかもしれませんが……耐えてもらわねばなりません。これも、ほかならぬ彼女ためなのですから……。」


 そう告げる女王の顔には悔しさと苦々しさがあった。

 女王としてのその言葉を聞いて、エクトルは全てを悟った。


 女王としては娘を逃がし、王位を守らねばならないという責務がある。

 また、一人の母親としても戦火に巻き込ませないためにも逃がしてやりたいという願望がある。

 しかし、それはどちらも自分にとってもう二度と娘に会うことはないということを意味する。


 女王である自分はたとえ何があろうとも王都から逃げることは許されない。

 それは国を、兵を、民を裏切る行為だからだ。

 民を一度裏切った者は、二度と民から信頼されない。そうなればすべてが終わってしまう。


 そんな、女王の死の覚悟を無駄にしてはいけないと考えたエクトルは女王の、いや幼馴染のオルティアの覚悟を受け止め、理解したエクトルは必ず守ると心に誓い、返事をした。


「仰せのままに、陛下」


 短く告げるとエクトルは立ち上がり謁見の間を後にした。


 その後すぐにエクトルは教えられた姫の部屋へ殴り込み、半ば強引に力づくで押さえつけると白いローブを着させ、王城より連れ去った。


 何も告げられずに訳のわからないオリヴィアは当初、エクトルに抵抗するように暴れたもののすぐに薬で眠らされたことで抵抗をしなくなった。

 馬車で眠りについたオリヴィアをそっと優しく乗せるとエクトルは護衛の兵を即座に集め、明朝早くに人目を忍んで王都を脱出した。




 エクトルが娘と王都を脱出してから数分。

 最後に一人、謁見の間に戻ったオルティア女王は頭を抱えこみ、ポロポロと涙を流した。

 生まれてからこれまで愛情を注ぎこんだ唯一の娘を戦火に巻き込まないために手放すのは、一人の母親としてどれほどつらいのか。

 それがわかったとしてもそうせざるを得ないというのはオルティアにとって苦しみだった。


「頼んだわよ、エクトル。どうか、私の娘を……オリヴィアを……どうか助けてあげて……。」


 賢明で気高く、気品にあふれた妖艶な女性であるオルティア女王は普段は絶対に見せない己のか弱い姿を誰もいない謁見の間で見せた。

 己を守ると誓った国王の夫には先立たれ、最愛の彼との娘を守るために己の意思でこの手から手放すことになった。

 民には、剣を掲げられ女王としての権威も今や失墜しつつある。


 そんな得たものを次々と失う状況の中でオルティアは思い出す。

 己らが犯した罪を……十三年前の惨劇を……。




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