#007 『 夢 』

 フィンの嘆きを他所に宿屋兼食事処のクロネコに入ると外とは違い、まるで酒屋のように繁盛していた。

 宿泊しているであろう男たちの多くが酒を呷るあおるように飲み、運ばれてきた食事を手で取ってはそのまま口まで運び、食べていた。


 まさに中世という雰囲気の中、俺は波風立てないように男たちのいるテーブルを避け、奥にひっそりと置かれたテーブルへ行った。

 そっと長椅子に腰掛け、被っていたフードを取るとそれを見たフィンも同じようにテーブルの長椅子に腰を下ろしフードを取った。


 俺とフィンがテーブルに座ってから数秒後、先ほどまで慌ただしくテーブルを右往左往していた若い二十代くらいの娘が俺たちの存在に気が付き、足早に歩み寄ってくた。


「ごめんね。この時間になると忙しくって……。あっ、注文は?」


 もし、転生前の日本だったら完全にアウトな接客に俺は不覚にもギャプを感じ、照れるように笑う。


「ああ、すまない。悪気はないんだ。えっと、注文はエールを二つと腹持ちの良い食事を二つ。よろしく頼むよ。」


 エールとはこの国における一般的なお酒だ。

 “酒”とは言ってもアルコール度数は低く、香りも複雑で濃厚なフルーティーさがある。

 そのため、この国の人は皆、水分補給程度に飲むことが多い。


「わかったわ。メインはチキンでいいかしら?」


「そこんところも含めて、君に任せるよ。」


「後悔しないでよ。じゃ、持ってくるわ。」


 娘が一瞬、意味深な笑顔をするものの足早に去っていく。

 その背中を眺めながら向かいに座ったフィンが突如として小声で話しかけてくる。


「アルトス様、良いのですか? 今日会ったばかりの都市民の人に給餌を任せて。毒を盛られて殺されますよ。」


 まるで主人を守るために当たり構わず吠える犬のようにフィンは俺に近づく人々を疑っては警戒を続けていた。


 そんな心配性のフィンに俺は言葉を返すように説明する。


「いいか、フィン。相手が都市民であるからと言ってすぐに殺そうとはしてこない。」


「ですが……。」


「理由その一、そもそも俺が領主の息子だと知られていない。理由その二、人目のあるところでわざわざ襲うほど相手も馬鹿じゃない。ここで襲えば即座に見回りの兵が駆けつける。そうなれば向こうは終わりだ。」


「確かにそうかもしれませんが……。万が一もあります。ここは普段生活している所と比べれば……少し荒れています。」


「そうだな。いざと言う時は……。」


 剣をチラ見せしながら告げる俺にフィンは軽く頷くと少しばかり落ち着きを取り戻した。


「お待たせ! ローストチキン一羽に特製スープ二つとエール二杯。そして、これはおまけのブロートパンよ。」


「こりゃ、大層だなぁ。俺はこんなに頼んだ覚えはないが……?」

 

 笑みを浮かべながら意地悪く言う俺にウェイトレスの娘は同じように意地悪く答える。


「だって、お兄さん方はお金持ってそうだから。」


 そう言いながら、さりげなく目線を俺の顔から体へ移す娘に俺は自らの失敗を思い知られる。


 それを傍に見ていたフィンが即座に対応しようと剣に手をかけるがそれよりも先に娘がワシのような鋭い目つきで一瞬フィンを睨み牽制するとそそくさと去っていく。


「じゃ、私はこれで。ああ、そうだ。それはそうとお代、頼むわね。」


 笑顔で去っていく娘に軽くあしらわれた俺とフィンはテーブルに並べられたほのかに暖かいローストキチンと特製のスープとエールを慣れた手つきで食した。



◇・◇・◇


 食事を終えて数分、俺は僅かに残ったエールを呷りながら今後のことについてフィンと話し合う。


「さて、これからの事だが……翌朝、早速攻めるぞ。フィン。」


「翌朝……ですか?」


「ああ、朝日が登ったと同時に攻め込み、一気に流れを掴む。そうすりゃ、あのグライド司令官も言い訳できまい。なんせ、領主の息子が訪問したのにもかかわらず馬車一台も出していないからな。」



 悪い笑みを浮かべながら言う俺にフィンは軽く同調する。


 本来、領主の息子は委任状を持っても持っていなくても領主の代理とされ、領主と同様の対応をしなければならないと言う慣習がある。


 仮にそれを怠れば不敬とされ、その場で首を跳ねられてもおかしくない。

 つまり、今回それを怠ったグライド司令官は言い訳が出来ない。


 逃げ道を完全に塞いだ上で処罰するのはあまりにも高圧的で横暴のように聞こえるが、転生してからのこの世界ではもはや日常茶飯事のように行われていることであり、今更感が俺の中にはあった。


「お兄さん。うちはもう終いの時間よ。」


「そうか、すまないな。良かったらでいいんだがここってまだ空き部屋あるか? できれば一泊したいんだが。」



 好印象を与える口調で言うとウェイトレス娘は目の色を変えて、明るい口調で応える。


「お兄さん、宿探していたの? なら、良かったわね。うちは空き部屋まだあるから。一人一部屋で一泊、三ペニーよ。食事と合わせて一人、十二ペニーよ。」


「少し食事が高い気がするが……。」


「そりゃ……お兄さんたちがたくさん食べてくれたからね。」


意地悪く笑顔で応えるウェイトレス娘に、笑いながらもお金を渡す。


「部屋は二部屋で良いかしら?」


「ああ。大丈夫だ。」


「わかったわ。じゃ、部屋の鍵を取ってくる。ちょっと待ってて。」


 そういいながら満足そうに体の向きを変えて足早にカウンター奥へ消えていく。


 ウェイトレスの娘が帰ってくるまでの間にビアマグの内に残っていたエールを俺はグイッと一気に喉奥へ流し込んだ。


 数分後、ウェイトレスの娘は持ってきた鍵をテーブルの上に置くと説明を始めた。


「部屋は二階の角部屋二つよ。それと泊まって行くのは構わないけどトラブルはよしてね。隣人がうるさくて眠れなかったなんてことは知らない。わかった?」


「ああ、わかった。」


「それと、明日の昼までに出て行ってよね。ちなみに明日の昼からは別料金だから。」


 笑顔で対応しつつもしっかりと取るところは取るというウェイトレス娘の姿勢に俺は笑みを浮かべた。



 数秒後、食堂を後にした俺とフィンは二階へと続く階段を上り、廊下奥に唯一ある窓からの僅かに差し込む青白い月明かりを頼りにウェイトレス娘の言っていた奥の角部屋を目指す。


 窓から差し込んでくる月明かりが弱いせいか、それとも夜もかなり深けているためか二階の廊下は暗く、空気も下の食堂とは異なり冷たかった。床板も所々、ギィギィと音を立てていた。


「では、アルトス様。私はこの辺で。何かありましたら、連絡をくださればすぐさま行きます。」


「ああ、わかったよ。それと、ここでは名前ではなく偽名で俺を呼んでくれ。どこに耳があるかわからんからな。」


「了承しました。では、なんとお呼びしますか。」


「そうだな。なら、グレンで。」


「わかりました。」


 そういうとフィンは自身の部屋へと消えていった。


 俺もフィンに続くように今晩泊まる角部屋の扉に軽く手を触れる。するとスゥーと扉がゆっくりと開き、部屋の全容が見えてくる。

 

 扉が開き、部屋の中を覗くとそこには十畳くらいの大きさに質の悪そうなセミダブルベッドが一つ、その隣りには小さな丸いテーブルと背もたれのない椅子が二つ置いてあった。


 そんな中、窓から差し込む月明かりがテーブルの上に置かれた一輪のウィステリアを輝かせる。


「見た目はともかく、心配りはすごいな…………。」


 関心しつつ、ウィステリアを手に取る。

 刹那、刃渡り十五センチほどのナイフが首元を僅かに抉る。


「誰だッ!!」


 剣を抜き、周囲を見回すも何もない。

 部屋は暗く、光は僅かに入り込んでくる月の光だけ。違和感を感じるも本能が殺意を感じ取る。

 自分以外誰もいない部屋で微かに感じる殺意に何とか意味を見出そうと脳をフル回転させる。

 誰が。どうして。という疑問が未だぬぐい切れない現状において、身構えるがどこからやってくるかわからない見えない攻撃に俺は警戒心を高める。

 しかし、そんな警戒をあざ笑うかのように虚空から再びナイフが現れ、鎧の隙間を縫うように飛び、隙を伺う。

 次から次へと現れるナイフに俺は敵の居場所を予測する。


 ナイフが投げられた方向から逆算し、敵がいるであろう方角に向かって勢いよく突進した。

 瞬間、目の前に先ほどは見えなかった人影現れるが殺意ある相手に手を緩めるはずもなく、俺は剣を床すれすれを擦るように構えると円を描くように斬りかかる。


 だが、人影もただモノではないようで俺の攻撃を瞬時に見切り、回避すると反撃とでも言わんばかりに懐から出したナイフを投げつけてくる。

 至近距離での投擲に俺は咄嗟に屈み回避するが敵はそれを想定していたかのように体制を立て直し接近戦を挑んでくる。


 接近されて初めて敵の輪郭を捉えた俺は迫りくる僅かな間で敵を観察する。

 表情や装備はフード付きのケープによって阻まれてみることはできないが敵の持つ武器は刃渡り三十センチもある短剣だった。


 そんな敵に俺は剣を構えて出迎えると互いに鬩ぎ合う。

 火花が二人の間で瞬く間に発生しては消える————そんな鬼気迫る一進一退の激しい攻防に一瞬、敵がよろめく。

 激しい攻防故の疲労からかもしくは俺の剣の技量に押されているのかわからなかったが俺はその隙を逃さず、右肩から胸の中央に向かって斬りかかろうと勢いよく剣を振るう。


 しかし、それを知っていたかのように敵は途端に態勢を変えて攻撃を繰り出した俺にカウンターを仕掛ける。

 敵の見せた隙————それは俺自身を誘うためのブラフであり、罠。

 そんな初歩的なものに騙され、俺は奥歯を噛み締め強引に体の重心をずらし、強引にも態勢を崩す。その結果、敵の思惑とは裏腹にカウンター攻撃は空気を斬り裂く。

 だが、敵のカウンター攻撃を避けようとするあまりに足元へと横転した俺は敵にとってただのカモであり、形勢が一気に敵へと傾いた。


 次々と繰り出される素早い敵の猛攻を回避したことで生まれた僅かな時間によって態勢を整えた俺は反撃へと出る。

 再び火花と金属音を部屋中に響かせながら迫る俺にしびれを切らした敵は重たい蹴りを腹に叩き込む。

 ナイフに気を取られていたこともあり、俺は敵の蹴りを正面から受けた。腹をけられた衝撃で俺は後方へ飛ばされ、ドカンとンきな物音を立てながら壁と激突した。


 激突した際に当たり所が悪かったからか意識が困惑し始める。

 完全な敗北に悔しさがこみ上げる中、徐々に頭から流れる血によって視界が阻害された。

 しかし、なぜか敵はとどめをささずに忽然と姿を消した。


 謎の襲撃者が消えてから数秒後、疲労と損傷によって弱っていた体に突如として酔い潰れたかのような感覚が体中を巡り、意識を持っていかれた。



◇・◇・◇


 意識を失ってから数分後、俺は突如として森で目を覚ます。


 謎の襲撃者との戦闘で受けた傷は全てなかったかのように傷口が閉じていた。

 だが、確かに戦闘を行ったようで服にしみ込んだ僅かな血が今だ乾ききれていなかった。


 僅かに聞こえる波風と潮の香りによって海の近くだとわかるがそれ以外の情報は一切ない。

 一瞬、誘拐という文字が浮かぶが、それにしては手口も動機もわからなかった。


「ここは、何処だ…………?」

 

 ついぞ、こぼす言葉に彼女は現れ、艶めかしい魅力的な声で応える。


「ここは、アイリッシュ島よ。大丈夫、安心して。危害を加えるつもりはないわ————アルトス。」


 そう言いながら白いフードを深くかぶる謎の女性が徐々に近づいてくる。

 謎の女性が近づいてくるのを視認した俺は腰にかけていた剣を握り、即座に抜刀し臨戦態勢をとる。


「荒事は嫌いだがこうさせてもらおう。なぜ、俺の名前を知っている? 次に、俺に何をした? 最後に何が目的だ?」


 語気を強めながら間合いを取る俺に彼女はそっと歩みを止め、応える。


「まず、そうね。私の目的はあなたとの会話よ。それに私はあなたを此処へ連れてきただけで別に何もしていないわ。」


「ならなぜ、俺の名を…………?」


「それはだからよ。」


 そう告げると女性は今まで被っていたフードを取ると顔が露になる。

 突き通るような白い肌にダークブラウンの瞳。薄い緑のような髪と艶めかしい魅力的な声で俺は思い出す。


 はじめて、この世界に転生して来て出会った人物の一人であり、あの雨の日以降、会うこともなかった人物。


「私はあなたの名付け親よ。アルトス。————そして、近い将来あなたは私と同じように”運命”を背負うことになるから、話に来たの。」


「話って、何のだ?」


「これからの事よ。」


 そういいうと彼女は目線を逸らし、夜空に青白く輝く月を眺めながら続ける。


「今、世界は大きく変わろうとしている。その原因は定かではないのだけれどもその渦中にあなたがいるの。だから、私はあなたに問うわ。————あなたはこれから先、何をどうしたいの?」


 彼女の質問に俺は頭を悩ませた。顔を伏せ、剣を地面にさして立ち尽くす。

 自分が何をしたいのか。その質問に俺は、転生前で味わった就活を思い出す。


 将来の仕事は何をするのか。どこの企業、業界へ行きたいのか。そういった悩みが日々積もりながら、様々な業界の説明会へとスーツを着込んで歩き回った。


 行きたい業界はあれども自分ではその業界に入れるほどの者ではなかった。

 やりたい仕事も自分の実力不足故にできずにいた。


 そんな感情からか、俺は次第に就活に疲れ、妥協をするようになった。

 実力のない者は夢を見る資格すらない————いつしか、そんな考えを持つようになり、俺はこれからの人生を考えた。


 可愛らしいパートナーに幸せな家庭、車に家はもちろんのこと、何不自由のない生活。そして、喧嘩とは無縁の夫婦生活と二人の子供達。


 そんな淡い憧れを胸に俺は嘲笑する。

 叶わぬ夢ならば、そんな夢を見させるな。何度もそう思いながら俺は人生を迷走した。


 結局、何をすれば正解なのかわからぬまま、俺はとある企業へ就職した。

 だが、そんな就職も最初の入社式の帰りに俺は事故に会い、亡くなった。


 先の短い人生に俺は思い返すように考える。俺のしたい事、成したいことは一体何だったのか。

 そんな中、今まで心の奥で燻っていたどこに向けていいのかわからない怒りや悔しさが溢れ、俺は自分の中で何かの殻を割るように彼女の質問に応える。


「俺は…………ッ!!!」


 俺の出した答えに彼女は一瞬、フフッと鼻で笑うと合わせた目線を一瞬、逸らした。


「………そう。わかったわ。」


 笑顔で告げるその姿に俺は目を奪われる。だが、彼女はそんな俺を意に介さずに近づいてくると、そっと顔に触れる。

 彼女の体温が頬から僅かに伝わってくるのを感じると俺は無性に恥ずかしくなった。


 まるで思春期の男子のように彼女から距離をとるが彼女の驚いたもののすぐに笑顔を向けてくる。そんな笑顔に翻弄された俺は次の瞬間に再び例の感覚が襲い始めていた。


「くッ…………。」


 奥歯をかみしめ、剣に体重を乗せるが先ほどよりも強い為か、抵抗する間もなく一気に意識を飛ばされた。



◇・◇・◇


 その後、再び目を開けるとそこは宿泊している部屋だった。

 まるで夢を見ていたかのように俺は激突した壁に腰を下ろしていたが傷口は閉じており、頭から流れていた血も止まっていた。だが、疲労だけはあるようで、まだ立つことはできなかった。

 戦闘の跡は部屋中から見受けられるものの襲撃者につながる証拠は何一つなかった。


 しかし、そんなことなどどうでもいいように俺の脳内は謎の女性でいっぱいだった。


「————彼女の名を聞きそびれてしまったな……。」


 また次、会うことがあれば聞いて見ようと脳裏の隅に留めるものの、彼女の言う“変革へ向かう世界”に少しばかり気がかりを感じる。


 もしかしたら、それのせいなのか…………?


一人、考えながら花瓶に生けてあるウィステリアを手に取ると俺は夜空に浮かぶ月を眺めた。





同じ頃、アイリッシュ島でアルトスと話していた彼女は一人、夜空に向かって呟く。


「やっぱり、彼はあなた達の息子ね…………。」

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