#006.5 『 逃亡の果て 』

 アルトスがホーリヘッドでまだ昏睡状態だった頃、エクトルは必死の逃亡劇を繰り広げていた。


「急げ––––––ッ!!」


 豪雨の中、エクトルは叫ぶ。

 走るのはすでに舗装された道ではなく、舗装されていない足場の悪いぬかるんだ道だった。

 そんな道でエクトルは二頭の馬に牽かせた馬車を走らせていた。馬車の中は酷く揺れ動き、馬車を牽く馬もぬかるんだ道で余計に体力を奪われていた。


 そんな中、馬車を護衛するはエクトル卿及びその護衛隊、合計十三名。皆、精鋭でありながらもすでに七名の犠牲を出していた。


「いたぞ————ッ!!」


 エクトル一行の後方より図太い男の声が雨の中響き渡った。

 男の声にこたえるように五名の騎兵が速度を上げて追いかけてくる。その様子をエクトルは歯ぎしりりながら呟く。


「クソッ!! もう、見つかったか…………。」


 すでに三回も見つかっては撒いていたエクトルにも僅かながら疲弊が見え始めていた。

 だが、追跡してくる敵を見て、すぐさま判断を下す。


「グレン、ドーム、ハイブ、後方を任せるッ!!」

「「「ハイッ!!!」」」


 三人は覇気のある返事でエクトルに応えると迫りくる騎兵に向き直すとすぐさま激突する。

 豪雨の中、足場の悪いぬかるみの道の上で三人は剣を抜きと敵めがけて突進する。同時に敵の騎兵も同じように剣を抜くとお互いの間合いを詰めるように馬を加速させる。


 刹那、両者の剣と剣がぶつかり、金属のもつ独特な鈍い音が豪雨の中で響き、火花が散る。


 雨のせいで体は冷え、装備が重くなる。加えて、馬はぬかるみに足を取られて勢いを失い、疲弊する。

 そんな過酷な状況の中、グレン、ドーム、ハイブの三人は背後に見える馬車を横目に騎兵に対抗する。


 騎兵五人に護衛兵三名で立ち向かうのは一見して愚策にも見える。だが、護衛兵の練度は並の兵どころでは相手にできないくらい強い。

 また、エクトルという最強の武家貴族の直属。そんな騎兵五名に護衛兵三名というのは過剰な戦力だった。



 護衛兵が騎兵をあしらっている間にエクトルは馬車の速度を上げた。

 幾多の戦場を共に過ごし、生き延びた戦友たちが自分の命令一つでその命を失う。幾度も体験した感情に罪悪感を抱きながらも救出し戦友だけでなく自分さえも救ってきたエクトルは今回ばかり何もできないことを歯痒く思い、小さく「すまない……」とだけ言い残した後、グレン、ドーム、ハイブの三名を敵中に取り残す。


 残る護衛は自分を含めてすでに十名。そう考えながら、エクトルは自身の領地へ帰還すべく、死に物狂いで馬車を走らせた。



◇・◇・◇


 あれから数時間後、騎兵に捕捉されて追ってこられることは一切なかった。無論、その対応に当たらせた三名の護衛の兵も同じく—————戻ってくることなかった。


 豪雨を降らせた雲はすでに消え、今では地平線の隙間から夕日が僅かに顔を覗かせていた。

 夕日のほのかに暖かい日の光を受けて、エクトル一行は緊張の糸が緩んだ様に馬車の速度を緩めた。


 馬は疲れ果て、今にでも倒れそうだったが替えの馬はなく、替え馬のある街に行こうにも捕捉される危険性があるため行くことはできなかった。

 荷馬車に積めた食糧も残り少なく、飲み水も各自が持っている革袋の中身しかほとんど残っていなかった。そんな状況で、エクトルの心の中で後悔と不安が積もっていった。


「これから、どうすればいいのか……。」


 馬車の御者席で一人、エクトルは嘆いた。そんな中、前方より一人の騎兵が近寄ってくる。


「エクトル様!! ここから北西の方向におよそ三マイルほどの場所に、人気のない湖があります!」


 小一時間前に、エクトルは比較的元気な護衛兵を先に偵察として送り出し、周辺の様子と休息のとれる隠れ場所を探っていた。

 その結果、護衛兵は人気のない湖を見つけ、エクトル元へ戻ってきた。


「湖の周辺状況は?」


 疑念を抱きながらエクトルは偵察を行った護衛兵、クロムに視線を向ける。


「木々が生い茂っていますが、休息の取れる安全な場所もあります。それに加えて、周囲から湖の様子を窺おうにも木々があるため湖自体の偵察は難しいです。故に周囲の目から隠れられるかと。」


 鋭い眼光を向けられながら丁重に話すクロムにエクトルはわかったとだけ告げると、すぐに目的地をクロムの見つけた湖に指定し、案内を偵察してきたクロムに任せた。

 一行は休息を得るべく湖に向かって歩み出した。



 その後、およそ三時間ほど進んだのちにエクトルは湖の森へと入る。

湖の森は動物が少なく、木々が生い茂っていた。だが、幸いにも馬車一つ通るだけの道があり、一行はそこから湖近くに入る。


 湖は横長に大きく、中心に向かってかなりの深さがあるものだった。そのため、いくつかの魚は湖に住み着いていた。

 野宿するにはちょうど良い場所を見つけると馬車を止め、エクトルは御者席から降りる。それを合図に他の護衛兵もエクトル同様に馬から降りて、馬を木々に繋ぎ止める。



「四人は、四方の警戒。残りの者で、馬の世話と食事の用意、野宿の用意をしろ。」

「「「「「ハッ!!!!」」」」」


 エクトルの命令に護衛兵は一斉に動き出す。

 クロムを含む若年者は馬の世話を、中年者は完全武装のまま四方の警戒と食料採取の為に散らばり始める。


 そしてエクトルは一人、馬車の状態を念入りに確認すると馬車の車輪には、軸にヒビが木目に沿うように刻み込まれていた。


「これは、もうダメだな…………。」

そう思うと同時に、エクトルは馬車の左右にある扉をコンコンとノックする。


「今日は、ここで野宿になります。食事等のご用意は私が行いますので、心配はいりません。

 カーナヴォンまで、後三日くらいかかりますが馬車の車軸が既に限界です。ですので馬車はここに捨て、明日以降はもう一方の荷馬車での移動になります。」


 扉を開けずに一方的に話し終えると、エクトルはそっと馬車から離れ、湖の岸まで降りて湖の水で顔を洗う。

 そこへ偵察として湖を見つけたクロムが来て、エクトルの隣に座り、話し始める。


「グレン、ドーム、ハイブ…………帰ってきませんでしたね。」

 悲しげに話すクロムにエクトルはただ沈黙をした。

 西の空に広がる夕日の光が湖の水に反射して輝く中、エクトルは彼らのことを思い出す。


 グレンは隊の中でも兄貴のような存在だった。時に揶揄ってきたりしていたが、飲み込みの悪かったクロムに剣と槍の使い方を親身に教えてくれていた。


 ドームは、大柄の男の割には繊細で優しかった。そんな彼の夢は、まだ幼い兄弟達と共に一緒に暮らすための家を買い、病気で寝込んだ母を治療して幸せに暮らす事だった。


 ハイブは見た目こそ犯罪者のような風貌だが地元に住む、病弱の幼馴染みを救う為に必死に働いては、給金のほとんどを送っていた。時々、隊の奴に酒を奢れと迫っていたがそれでも仕事は真面目で実力も申し分なかった。

 将来は、隊長になるくらいの実力を持っていたが今回の件で彼ら三人は文字通り、帰らぬ人となった。


 ばつが悪そうになりながらもエクトルは口を開き、クロムに応える。


「…………そうだな。」


 それを聞いて、クロムはついに溢れ出す感情を抑えきれず顔を伏せる。

 大地にポタポタと涙が滴りながら、クロムは静かに涙を流した。


 なぜ、彼が死ななければならなかったのか。自分たちは一体何をやっているのか。

そんな、疑問が脳裏に浮かび上がっては自問自答する。

 本当に自分たちが正しいことをやっているのか。そんな自問にクロムは頭を左右に振って、払拭するが脳裏に浮かぶ仲間の顔が余計、困惑させる。


 水面に写る僅かな夕日の光を眺めるエクトルに涙を拭いたクロムが続けて訊ねる。


「エクトル様。私たちは何をしているのでしょうか? 一体何がそこまで大切なんでしょうか?」


 純粋に思う疑問がエクトルの胸に深く刺さり、エクトルは視線を下げる。


 共に戦ってきた仲間が死ぬのは何もこれが初めてではない。

 だが、だからといって人の死を微塵も感じない程の冷酷さを持ち合わせていないエクトルにクロムの質問は重くのしかかる。


 数日前、王都で秘密裏に女王から直々に頼まれた極秘の任務。

 その内容は極秘であるため、そう易々と言うことはできない。だが、それでは仲間を失ったクロムや他の護衛兵は満足などしない。


 どうにか彼の抱える疑問を解決しなければ、他の護衛兵までも目的を見失うことになる。

 そうなれば統率などできなくなる。

 そうならないために、エクトルはクロムの質問に対する答えを濁らせた。


「今、我々がすべきは故郷へ帰ることだ。お前や他の奴もそれだけを考えろ。あとのことは私に任せなさい。そうすれば、全てがまとまる。」


 エクトルの答えを聞き、クロムは深呼吸をすると気持ちを落ち着かせ、立ち上がる。


「私は、エクトル様に憧れて護衛隊に入りました。ですから、私はエクトル様を信じます。」


 去り際に告げるクロムの答えにエクトルは顔を上げ、再び湖の水面を眺める。

 クロムの出した答えに数十秒間、エクトルは考えながらも胸の奥に広がっていく罪悪感を押し殺すように閉じ込めてしまう。


「すまない、クロム。私は君の思うほど清廉潔白な人ではないのだよ。」


 最後に一人、呟いたエクトルはそっと立ち上がると再び馬車の方へ戻った。



 その夜、狩りと偵察に出掛けた兵も交えて焚き火を焚き、森で狩ってきたウサギと湖で取れた僅かな魚を調理して食すと早々に火を消し、クロム含む護衛兵は寝始めた。



 ただ、一人寝付けないエクトルは月夜の中、雲ひとつない夜空を眺めながら革袋のキャップを開けて中の水を飲む。


「どうして、俺なんかに任せたんだ。オルティア。」


 一人、酒と幼なじみを恋しながらエクトルは嘆く。幼なじみが自身に残した最後の願いを聞き届けたエクトルは長らく封じ込めていた思い出を思い出す。

 オルティアやウーサー、マーリン、ゴルロイス、そしてイグレイン。

 懐かしい友を思い浮かべてエクトルはその夜、思いに耽るように眠りについた。





 明朝、日が微かに昇り始めた頃。エクトルや護衛兵の徐々に起き始める。

 それを見たエクトルは出立準備の命令を即座に出し、命令を聞いた兵はすぐに慌ただしく出発の準備を行う。


 昨日、狩ったウサギや湖から汲んできた水を荷馬車に載せながら確実に出立の準備を進める中、エクトルが馬車から一人のフードを深く被った人物を下ろす。


そんな、フードを深く被った人物に対してエクトルは耳もとで囁くような小さな声で語りかける。


「カーナヴォンまで少しの辛抱ですが、お願いします。」


 その声に、応えるように謎の人物はフードを上下に揺らす。


 エクトルとフードを被った人物の会話をしている光景に兵は一瞬呆然とするがエクトルの指令を思い出し、作業へ戻る。

 だが、そのような些細な出来事を見逃さないエクトルは、深く深呼吸するとクロム他護衛兵に告げる。


「我々の任務は、彼の者の護送だ。故に手を出すな、また敵にも手を出させるな。彼の者の正体も聞くな。––––––いいな?」


 特有の殺気を兵に向けながら訊ねるエクトルに、クロムや他の護衛兵も恐縮するが、すぐに覇気のある声で応える。


「「「「「ハイッッ!!!!」」」」」


 朝日が眩しく木々を照らし出す頃にはすでに準備を整えた一行はエクトルの掛け声を合図に馬を走らせた。

 馬に跨り受ける風は冷えていたものの心地よく、一行は胸を張るように馬を走らせた。

 昨日にはぬかるんでいた道はとうに乾き、疲弊しきっていた馬もすでに十分な休息に食料、水を与えたことで元気を取り戻していた。


 兵の士気も前々から続いていた襲撃からか疲弊していたものの久方ぶりの休息に安堵したこともあり上々していた。


一行が湖の森をぬけて目指すは、エクトル領内の軍事城塞都市カーナヴォンだった。

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