#003 『 治安問題 』

 室内に漂うラベンダーの香りにハッと目が覚める。


 目の前には見慣れた天井が広がり、部屋には窓から入るかすかな光だけが辺りを照らしていた。

 意識が戻り、体の痛みも消えたのを確認するとゆっくりと上半身を起こす。


 そこは普段から使う屋敷の部屋だった。ただ、唯一違っていたのは、ラベンダーの花が花瓶に生けてあったことだけだった。

 それを見て、俺は頭を抱えて笑みを浮かべる。


「……生きて、帰ってきたか。」



 一人でに小さく呟く。


 窓の向こう側から僅かに聞こえる街の人々の声や風に揺られて騒ぎ出す木の葉の音が不思議と心を落ち着かせる。

 転生して、早十五年弱。

 外見は未だに子供っぽい姿だが中身は前世の二十二歳で止まっている。

 そのせいもあるからか、どうしても先日のことが頭を過ぎる。


 前世では味わえなかった戦闘によって、もたらされる強烈な興奮と人の命が消える感覚は前世の倫理によって、生きてきた俺を数日経った今でも苦しめる。


 人を殺してはいけない。

 そんな当たり前のことがこの世界では通じないのは頭では理解している。

 だが、それが実際目の前の現象として現れたとき、俺は武器を取るしかなかった。


 殺らねば、殺られる。

 そんな、状況に幾ら方便を立てても変わらない。

 彼らとて、生きる為に盗賊へと身を落とした。

 そして、俺自身も–––––––––––––。


 そんな時、バタンと扉が開く。

 そこへ息つく暇もなく、扉の向こう側から数人が雪崩れ込むように部屋へと入ってくる。


 扉から入ってきた人たちを見て俺は、盗賊との戦闘を脳内から振り払う。


「やぁ、アルトス。相変わらず、酷い目にあったようだけど、大丈夫?」


 笑みを浮かべながら、冗談交じりにそう話しかけてくるのは兄のケイ。

 彼は、俺がどうしてこうなったのかという情報を知っていた。

 それは彼が俺をここにまで連れ戻し、治療を施したからだった。


 盗賊との戦闘後、俺は視察した村まで自力で戻り、助けを求めた。


 その時、幸か不幸か看病してくれた人が原始的な応急処置を施したことで一命を取り留めたものの依然として高熱が続き、安静が必要となった。


 結果、仕方なくケイがここ数日、公務を兼任していたが彼自身の性格上、公務をやるような人柄ではない。

 そのため、ケイはすぐにでも公務という面倒ごとを俺に押し付けるべく、お見舞いと称して、俺の状態を確認してきたのだ。


「久しぶりですね。兄さん。」


 不格好な笑みをしながら応える俺に、ケイは近づき言葉を返す。


「だから、言ったろ。衛兵を連れてけって。」


 あの日、視察へと向かう直前、俺はケイと偶然会って僅かに話した。

 その会話の時にケイは俺に警告していた。

 だが、俺はそれに耳をかさずに、すぐさま視察へと向かった。


 無論、ケイの警告を無視したわけではなく、視察するトレア村は、俺やケイが住むホーリーヘッドの街から南に五キロと離れていない。

 そのため、油断して衛兵を連れて行かなかった。


 それに加えて、前世の世界観が未だ脳裏にこびり付いており、時々この世界の常識が合わないこともある。

 そのため、今回のように判断を誤ったのだ。


「たしかに、そうですね……。」


 力なく応える俺をみて、ケイはバンと背中を叩く。


「まあ、なったものは仕方がないさ。ハハハ。」


 ケイの励ましを受けて、俺も笑みを零す。だが、すぐにその励ましも裏切られる。


「さて、意識も戻ったことだし、後のことは任せるよ。アルトス。」


 一方的に告げて、部屋を出て行くケイに俺は困惑する。

 だが、すぐに“やっぱり、あなたは……”と内心で思い、笑みを浮かべた。


 ケイとの会話が終わり続いたのは執事のフィンが持ち込んできた公務の束だった。


 公務内容は数日前から変わってはいなかったが、兄のケイが代わりにある程度のことをやってくれたおかげで、簡単な公務は殆んど終わっており、残る重要事項は主に、港の拡張事業と治安対策だった。


「アルトス様、お願いします。」


 そう言ってドッと渡される羊皮紙の束に若干呆れながらも、一つ一つ丁寧に目を通す。


 無論、傍には書類を持ってきたフィンが立ち、ほかのメイドは部屋に置いてある花瓶の花を変えたり、軽い軽食を置いてくれたりと身の回りの世話をしてくれた。


 そんな、一通り羊皮紙の書類を見て告げる。


「港の拡大事業はとりあえず、凍結で。今は治安に出来るだけ税を回したい。」


 そう言う俺に、フィンはすぐさま言葉を返す。


「ですが、アルトス様。港の拡大事業は時間を要します。これ以上長引かせては経費が無用に嵩むかさむかと。」


「それは、百も承知だ。税が少なく社会不安がある今だからこそ、治安が先だ。」


 “今の俺を見て、モノを言え”と告げる目線で俺はフィンを睨む。


 領主の息子という肩書を持つ俺がこのように襲撃され、手傷を追う羽目となった。

 無論、相手の盗賊はそれ以上の対価を支払ったが……。

 一農民や商人では、こうはいかない。


 農民の場合、男は殺され、女は輪姦された挙句に殺害され、子供は奴隷として売られるのがこの世の常だ。


 商人も商人で、流通にかかる費用が増幅する。

 正直、これだけならまだかわいいが最悪なのは、流通が完全に滞り、経済に深刻なダメージを与えるということ。

 そうなれば、もはや問題は一商人の問題ではなく国全体としての問題だ。


 それ故に、俺はフィンの疑問に少しだけ怒気を上げて答える。

 それを感じ取ったフィンはすぐさま、謝罪し承諾した。


 フィンはすぐさま、持ってきた書類から港の拡大事業をだけを取り出して、残る治安関連の書類を渡してくる。

 それを見て、俺はある疑問をもつ。


「これは……」


 俺がそう呟くと、隣に居たフィンが反応する。


「どうしました? アルトス様」


 だが、俺は執事の声を無視して、脳をフル回転させる。

 そして、ある結論へと至る。


「やはりか……面倒だな。」


 そう言うと俺はベットから立ち上がり、メイド達が作ってくれたサンドイッチを一口頂くとフィンに命令する。


「すぐに馬車の用意を。」


 それを聞いて、慌ててフィンは止めようとするがつい先程の事もあり、強くは言えず、言葉を飲み込むと了解し、急ぎ足で部屋を出る。

 それを見届けた俺は振り返り、窓の向こう側に映る街の景色を眺めた。





 「アルトス様、ただいま馬車の用意ができました。」


 フィンからの報告で俺は部屋を出る。

 特注に作らせた亜麻の白ワイシャツに、オーダーメイドの青と金を基調とした羊毛ベストを中に着込んだ姿に、フィンは一瞬驚き困惑するもすぐさま表情を戻す。


 腰には愛剣を携え、オーダー品の青いジャケットを羽織りながら廊下を歩く姿に、すれ違うメイドたちの顔がにわかに赤く染まる。

 二階の角部屋から出て、階段を降りると玄関前にはすでに、馬車を運転する御者が待っていた。

 執事のフィンと共に、御者に案内されるまま、屋敷を出る。


「では、行こうか。」


 そう言って、不敵な笑みを浮かべると俺は堂々とした態度で玄関をくぐり、四人乗りの馬車へと乗り込む。

 同じ様に、御者とフィンも馬車の外にある運転席へ乗る。

 ゆっくりと走り始めた馬車が屋敷を後にする。


「アルトス様、目的地は……」


機嫌を損ねないようにフィンが訪ねる。


「ああ、そういえば言ってなかったなぁ。」


 そういいながら脚を組み、わざとらしくとぼけながら目的地を告げる。


駈歩かけあしでスランゲヴニへ、行ってくれ。」


 不敵な笑みをこぼしながら告げる俺に、執事のフィンは“何故、そんなに早く……”と疑問に思いながらも、渋々了解する。


 御者も目的地がわかったことですぐさま進路をとり、徐々に馬車のスピードを上げていく。


 門をくぐり、都市部へと馬車は進む。

 そんな中、背後に見える出てきたばかりの建物を馬車の窓から眺める。



 小高い広い丘の上に佇む城のような巨大な建物。

 周りを城壁で囲い、いくつもの塔が立ち並ぶその様はまさに城。

 だが、実際に城壁の中は幾つかの屋敷に、兵舎と馬舎などの防衛施設のみがあり、一般的な城のような天守閣はない。

 イメージとしては、城と言うよりもちょっと豪華な軍事基地だろう。


 しかし、傍から見ればエクトルやメアリー、ケイと俺が住む屋敷は城壁の高さを超え、城壁までをも見下ろせるくらい高い為、実質的には城と言えなくない。


 また、このホーリーヘッドと呼ばれる都市はエクトルが治める前から国境を守る街として栄え、今まで幾多の人が拡大事業を行ってはここを統治した長い歴史を持つ。

 そのため、この都市はすでに堅牢な城塞都市となっていた。


 エクトルやメアリー、ケイや俺が住むのは基本的に城館区と呼ばれる場所であり、そこで生活ができるのは領主の家族と一部の使用人。

 そして、護衛のための兵だけ。


 その他の人は都市区と呼ばれるホーリーヘッド内の居住区と商区。

 そして、エクトルの時代になって始めて拡張された新たな区。港区。


 なお、街の構図は北西から海岸線に沿って南東に向かって伸びている。

 ホーリーヘッド内の人口も中世初期前後の文化水準とは思えないほど多い一万千四百となっている。

 しかも、エクトル曰く年々増えており、新たに拡張した港区もすでに半分が埋まっており、このままでは都市内の秩序維持や食料消費も後々の問題として浮き彫りになると頭を抱えていた。


 無論、前世の知識と記憶を持つ、俺は一万千四百人と聞いて以外にも少ないなと思ったが……。

 されども、この世界では異常な人口増加であることは間違いない。


 人が都市へと流れれば地方は過疎化が進み、土地が荒廃する。

 そんな問題、前世ではあまり重視していなかったため何が問題かわからなかったが、この世界に転生して、改めて何が問題であったかが分かった。


 地方の土地が荒廃することは一次産業が廃れることを意味し、税収の低下及び食糧生産力の低下が招かれる。そうなれば後は、民衆が武器を取り、革命が起きて終了。


 そうならないためにも、エクトルは日々都市内の治安に力を入れてきたし、税収の低下は取り調べを厳しくして防止策を展開したが、案の定それらが今すべて空振りに終わりつつある。


 まず、第一に都市内の治安維持。

 これは実に成功を収めている。

 確かに、都市内の犯罪は少なく、商人も気安く安心して商売を始められるためエクトルの防止策は成功しているといっても過言ではない。


 だが、問題は“都市内”という限られた区間であるということだ。

 無論、都市外にまで手を伸ばすことはできないのは現状の兵力から考えて理解できる。


 だが、忘れてはいけないのが領主を支えるのが農民や小作人であることだ。

 商人はあくまでも領主を補佐しているのであって支えているわけではない。

 なぜなら、領主は良くも悪くも土地に縛られるためであるからだ。

 そして、農民や小作人もそれは同じ。


 だが、商人はそうではない。

 むしろ、お金や商売のある方へ行く。

 つまり、彼らは移動してなんぼの世界。

 商人には領主とは守ってくれる人であり従わなければいけない人であるが、忠誠を示す必要はない。

 守ってくれなきゃ出ていくことができる。これが商人。


 故に、エクトルの政策は都市内の人と都市外の人を差別するこの政策は愚策だと言わざる得ない。


 まぁ、この政策のおかげもあって都市内に住みたい人が多くなり都市に住む人に課される納付金という税金が増えるのはいいが、それが巡り巡って地方の過疎化が進むという問題を生み出しているから、なんというかエクトルという男は最後のところで詰めが甘い。


 第二に、税金逃れを防ぐため、規制を厳しくしたのは間違いではない。


 だが、逆に税金逃れの規制を厳しくしすぎたせいで、農民や小作人の精神的な負担が大きくなり不満を募らせる。その結果として起こるのが盗賊の出現と治安の悪化。


 税金が重いうえにその規制も厳しい。

 そんな中、起きたのがあの”冷害”。

 あれがきっかけとなり、今までため込んでいた不満が爆発し被害をもたらした。


 結果、治安に割く予算が必要になり本末転倒。


 こうした悪循環を作らないためにも俺は税の低下と治安の回復を民衆に約束し、公務を行っている。

 そして現在、スランゲヴニへ向かっているがこれにはただ治安の問題を解決するために行くわけではない。


 スランゲヴニへ向かう最大の理由。

 それは、馬の交換場所に必要だからという簡単な理由。


 本当の目的地は、南に約五十キロと離れている都市、カーナヴォンへ行くこと。

 このカーナヴォンは、エクトル領最大の軍事拠点でありながら、ホーリーヘッドへ向かうための道の線上にある非常に戦略的にも重要な拠点。

 それに加えて、本島とホーリーヘッドのあるアングルシー島をつなぐ境目にあるため、敵国が侵攻して来ても、カーナヴォンまで撤退して防衛線を引き直すことができてしまう。


 そんな好立地にあるカーナヴォンだが、そこの主は大のエクトル嫌いの司令官がいる。


 実際、農作の視察へと向かう直前、伝令を出してホーリーヘッドへ来るよう命令したが、つい先ほど命令を非常に丁寧な書調で“行きたくねぇ”と告げてきたため、このように俺は馬を走らせて向かっている。


 本来、このようなことを領主などはやらない。

 だが、頭に来た俺は、来ねえなら行ってやらぁぁの精神で強制的に従わせるべく、何も知らない司令官に会いに行く。

 そして、ついでに治安の対策をさせる。


 ホーリーヘッドを後にする馬車の中で、突然訪問してきた領主の息子であり領主代理を兼ねる俺を見て、司令官がどのような顔をするのか連想しながら俺はフフッと鼻で笑い、早くカーナヴォンへ着けと心の中で叫んだ。



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