#002 『 理想と現実 』

 エレンと友達になってから十年の月日が経ち、季節は春へと変わった。

 そして、それは始まった。やや肌寒い中、俺は久しぶりに外出した。


 本来、外出しない。いわゆる異世界ニートである俺がこうして外出しているのには理由がある。


 それは、領主であるはずのエクトル卿が王都へ呼び出されたことに始まる。


 本来、領主のいない間には領運営をするのは、長男の役割だったのだが……。

 案の定、兄のケイは父親のエクトル卿が王都へ向かって早々、俺に領運営のすべてを丸投げし、自分は街をうろつき領民の女性に声をかけては口説き落としていた。


 そのため、俺は膨大な書類ならぬ膨大な羊皮紙の対処に追われ続けた。

 だが、幸いにも前世での経営学や簿記などの知識が役立ち結果、領の税収が著しく低下していることに気が付いた。


 エクトル領の税収は、基本小麦だ。

 基本というのは、エクトル領には古くからある大きな港のおかげで少なからず漁が盛んであり、また商人などが商売を行っているため、税収は小麦だけでなく、僅かな金銭や水産品で構成されている。


 しかし、やはり小麦の方が圧倒的に多く、税収のおよそ七割が今だ小麦なのだ。


 ちなみに、金銭が二割五分。残り五分は全て水産品で構成されている。

 そのため、税収の低下というのは田畑からとれる小麦の収穫量が少ないことを意味する。


 税収の低下。それは非常に不味い。


 なぜなら、食い扶持がなくなるということだからだ。

 前の世界では、家に食べ物がなければスーパーやコンビニなどに買いに行けたかもしれないが、この世界ではスーパーやコンビニといった便利な物はない。


 つまり、家に食べ物がない=死となるのだ。

 また、食い扶持がないということは食糧の争奪による領内の治安悪化、自作農や小作人による豪族、貴族など支配階級に対する反乱などが起こる可能性も高まる。


 そういった可能性を考え、俺は専属メイドに早急に馬車を用意させ、近くにあるトレア村へ赴き田畑を視察した。



◇・◇・◇


「はやり……。」


 到着して早々俺は一人、小声でつぶやきながら田畑を眺める。


 案の定、税収の低下は小麦の不作が原因であった。

 普段なら一面、黄金色に輝く田畑が今現在その多くが、やや白みがかって見える。


 そんな中、ふと後ろから気まずそうな雰囲気で男が腰を低くして話しかけてきた。


「も、申し訳ございません……。今年はこれ以上、税を払えないのでして……。」


 普段、エクトル卿の税率は固定。

 よほどのことがない限り税率は下げない。

 これは一辺境伯として、常に一定以上の軍事演習を行う必要性があるためだ。


 そのため税を払えなかったものは脱税として、鞭打ちが行われる。故に、男は腰を低くしてきたのだ。

 恐らく今現在、男の頭の中では税が思っていたよりも低かったため、俺が視察しているのだろうと思っているに違いない。

 それは確かだ。


 しかし、俺はエクトルとは違う。

 事実、ここ数年でエクトルは領内の税率をある程度下げてきた。

 とはいっても小麦の税率を五割から四割である。だが、その一方で脱税や横領への対処も厳しくなった。


「ああ、それなら理解している。しかし、税がこれ以上下がるのも困る。そのため……」


 一旦、話を区切り、男の方へ向きなおすと目線を合わせる。


「そのためにも、どうしてこうも小麦が不作となっているのかを知りたくてね。」


 笑みを浮かべ、若干、高圧的な態度で暗に脅しながら男へ告げる。

 男は一瞬、ビクッと体を跳ねるとすぐさま頭を下げその場に跪く。


「お、恐れながら……小麦が呪いにかかり……その育ちが悪く……。我々としても、どのように対処すればいいのかわからず……。」


 男の話を聞いた瞬間、反射的に俺は「呪い…?」と疑問に満ちた声でこぼす。

 そこを男が繰り返す。


 「ええ、呪いです……。」


 それを聞くと俺は数秒考えこみ、脳内で一気にすべて事柄を結びつける。

 そして、今回の一連の税収低下について、原因を突き止めた。


 しかし、原因が分かったところで、現在の科学的水準では税収の低下は免れない。

 この世界の科学的水準は前世で言うところの古代末期から中世前期。

 一部、中世全盛期の技術があるがそれは極一部。


 そのため、いかに原因を突き止めようともそれを解決などできない。


 その基本的な技術がないのだ。

 それに加えて昨年より大病を患った国王のこともあり、各地の食糧問題が浮き彫りになりつつある。


 こうした出来事がどこかで火が付けば、小作人や自作農などの身分にいる人物たちはたちまち豪族や貴族を打倒すべく結束する。

 こういう問題を回避するためにしてもどうにか今回のことを丸く治めなければならない。


 そのためには俺は初めに自作農や小作人などに一時的な税率の引き下げを伝え、今回の不作の原因である呪いこと“冷害”について知っている限りで説明した。


 冷害の対策としては、特にないというか出来ない。

 その理由としては、俺が知らないからだ。


 ただ言える事は、これは前世の世界とは違ってこの世界には耐冷作物への品種改良がされていないからだ。


 一応、耐冷作物もあるにはあるが種類は少なく、栽培している量も極めて限定的であるため根本的な解決にはならない。

 故にここで考えるのは場違い。

 そもそも、耐冷作物は北部地域でのみ栽培されているため、品がない。


 また、ハウス栽培なども考えたが手間がかかり、初期資金もそれなりにいるため断念した。


 それらのことから当分の方針としては一時的な税率引き下げにより、自作農や小作人への負担の軽減。

 また、不作時における食糧難回避のために従来、貴族たちが税収として収集している作物の解放。これにより、食糧難はある程度緩和できると俺は考えた。


 無論、その間の軍事演習は凍結されるが、そもそも来るかどうかも怪しい外の敵を警戒するよりも内側に住み、生活を営む平民を治めなくてはならない。


 しかし、これらはあくまで一時しのぎであり、根本的な解決策が必要であることは目に見えていた。


 輪栽式農業を行おうと考えてもみたがそもそもの話、財産のほとんどが農作地である自作農には反対され、小作人に至っては自分たちの主人はエクトル卿であり、その息子ではないの一点張りで拒否られる。


 一応、全権を渡されていることは話したのもの皆、農業に詳しくなさそうなボンボンが勝手に自らの財産を奪おうとしているのでないかという疑念があり、不満顔になった。

 そのため、異世界でのテンプレともいえる輪栽式農業ができないという状態になっている。


 兎にも角にも今現在、呪いこと“冷害”などによる税収低下は根本的解決策がない以上どうしようもない。

 内心、自分にそう言い聞かせながら一人馬車に乗り込み今後のことを考えた。

 税収の低下は現在、解決不可能。

 しかし、被害の緩和はある程度見込める。

 無論、その場合短期的な意味となる。


 そして、国内の治安悪化。こればかりは今の俺には何もできない。


 事実、今この問題解決のためにも育ての親であるエクトルが王都へ向かっている。そこでできるだけこの問題を解決してほしいものだ。


 実際問題として、各地の荒廃による不作と治安悪化。

 それに伴い、貴族たちの税率増加などが加わり、他領民の一部が比較的、領内で緩和政策しているエクトル領へ逃げ込んでいる可能性が高い。


 そのため食糧庫の開放も限定的に行っている食糧難緩和政策も逃げ込んでくる移民の数によっていつまでもつかはわからない。

 俺の計算上、一応半年くらいは持てるようにしているが、移民が増えていくとなると正直、わからなくなってくる。


 とりあえず方針は、平民の不満をできるだけ緩和し、時間を稼ぐ。

 その上で可能なら平民の不満を改善し、未来永劫なくしていくような事業や仕組みをする予定だ。

 そのためには、次なる手を打つ必要がある……。



 そこまで考えて、俺の思考は停止した。

 突如として馬車が止まったのだ。

 馬車の速度はそこまで早くない。ましては街までの距離もそこそこある。

 俺は不審に思い、顔の見えない馬車の御者に語りかける。


「どうした。何かあったのか。」


 しかし、応答はない。

 御者からの返答がないことを不思議に思い、腰を上げ馬車に唯一ある扉のドアノブに手をかける。


 その瞬間、扉の反対側から鳴らされるノックが馬車の中で響く。


 刹那、俺は不穏に感じ外出時にはいつも腰かけているエレナ製の剣に手を差し伸べて、いつでも抜刀できるように身構える。


 そして、高鳴る心臓を落ち着かせようと深呼吸し、できるだけ相手に身構えていることを悟られないように一芝居を打つ。


「おい、どうした。どうして、止まったりしたのだ。」


 俺の問いに返す返事もなく、馬車の扉がかすかに開く。瞬間、俺は勢いよく扉を蹴り、馬車の外へと飛び出す。

 すると、そこにはいかにもな反社会的な集団が三、四人いた。


 槍に剣と武装してはいるものの、どれも粗末な鉄でできた簡易的なもので防具もばらばらで統一感というものはないが、個々の構えや襲撃の仕方などを考えて、それなりの手練れであることはすぐに分かった。


「一応、言っておくけど……こう見えて俺は辺境伯の息子なんだ。だから、これはどういうことか説明してもらいえないかな。」


 俺は、一人一人に目線を合わせながら告げる。


 初めての対人戦闘で一対多。

 勝率は、相手の手練れ感を考えてそう高くない。


 だが、相手の武器は比較的に重く脆い、粗末な鉄器の槍と剣。

 加えて盗賊の武器は使い古されていた。


 対して、俺はエレナ特注の貴重で良質な鉄をふんだんに使った鉄製の長剣。

 武器の質では勝っている。


 だが、相手の数は多い。

 また、手練れである。

 一応、俺も剣を使えるが俺は今まで練習として模擬戦をエクトルと一度やっていた。

 だが、本番と練習ではその次元が違う。


 練習では勝っても負けても、剣の技術がある程度高まるが本番では敗北は死を意味する。

 そのため、エクトルには剣術で最初に教わったのは、一対多はできるだけ避けることだった。


 この世界に転生して来て、初めての対人戦闘に先ほど落ち着かせたばかりの心臓が再び、バクバクと高鳴る。


 額には、冷や汗が流れる。

 俺はできるだけ相手に怯んでいることを悟られないように、必死に隠す。


 そして、今までエクトルより習ったすべての剣術を思い出し、そっと抜刀し身構える。


 それを見て連中も身を構え、槍と剣をこちらに向けてくる。


 同時に連中の頭らしき人物が立ち上がる。

 どうやら俺が扉を蹴飛ばしたせいで、そのまま後方に転がったらしい。


 しかし、俺はそれに目もくれない。

 逆にこれから起こることにできるだけ意識を避けながらグリップを強く握る。

 今だかすかに残る前世の倫理を脳内で振り払う。

 その瞬間、連中の頭が勢いよく言い放つ。


「野郎どもー、やっちまえッ!!」


 その号令に合わせるように下っ端の奴らが「オォー!」とかけ声をかけながら、一気に距離を縮めてくる。


 それに身構えていた俺はこれから起きることに目を閉じ、剣を振った。


 先にぶつかったのは俺と剣を持つ盗賊だった。互いの剣が円弧を描くように衝突する。

 互いの剣がぶつかり、わずかな火花が散る。

 だが、盗賊の剣が衝撃に耐えられず、すぐにヒビが入る。


 それを見た盗賊はチッと舌を鳴らし、後方へ飛び間合いをとる。

 そこを槍を持った二人が左右の側面から回り込んでくる。

 息つく暇を与えないその連携に驚かされながらも俺は各個撃破を考え、左へと駆け抜け、低い姿勢で一気に盗賊の懐へ飛び込む。


 槍を構えた盗賊は一瞬にして自らの懐へ来られたことにより戸惑い、反応が一瞬遅れる。

 そこを見逃さずに俺は剣を強く握り盗賊の腸から胸に向かって抉るように切りつける。


 刹那、鮮紅色の血液が空へと飛び散る。


 「ぐあああー」という鈍い悲鳴をあげながら盗賊の一人は倒れる。

 残るは盗賊の頭を含めて、三人。


 しかし、敵の盗賊団は攻撃の手を緩めない。

 すぐさま、右側より回り込んでいた盗賊が槍を構えて突進してくる。

 だが、俺は盗賊を倒した勢いで突撃してくる盗賊の槍を弾く。


 双方、弾かれた刀身から一気に伝わってくる振動に腕が硬直する。

 そこを、先ほどまで後方に下がって間合いを取っていた盗賊が、ヒビの入った鉄の長剣を捨て、刃渡りおよそ十センチのナイフを懐から取り出す。


 右脇腹を狙い、盗賊は身を前に屈めながら、突撃してくる。

 それを見た俺はすぐさま態勢を変えて応戦する。

 だが、僅かに残った先程の衝撃で反応が遅れ––––––––盗賊のナイフが俺の右脇腹を捉え、グサッと突き刺さる。


 刹那、鮮紅色の血がジワッと溢れ、着ていた白の服を赤く染め上げる。同時にナイフを伝って血が僅かに地面へ滴る。


 ナイフによって傷つけられた脇腹にまるで灼けるような鈍痛が響く。

 しかし、致命傷までには至らず、盗賊は一世一代のチャンスを逃したことを瞬時に理解し表情を歪ませた。


 瞬間、俺の腕を襲っていた硬直が解け、刺してきた盗賊に向かって反撃を繰り出す。


 だが、瞬時に反撃を察した盗賊は急ぎばやにナイフを手放すと間合いを取るべく、後方へ飛ぶ。

 刺し傷の出血量を確認しながらの反撃に剣先が微妙にズレる。


 その僅かなズレによって盗賊は致命傷を避けたものの、ズレた剣先が胸を捉え、逃げる盗賊を切り裂く。


 途端、盗賊の態勢が崩れる。

 態勢が崩れ、胸の痛みに悶える盗賊はとっさに冷静さを失い、反応を鈍らせる。


 冷静さをかけた盗賊に俺は痛みを堪えながら追撃をかけ、地面を蹴る。

 そして、そのまま勢いに任せて剣を突き刺すと盗賊はグハッと血を吐き出す。


 その後、事切れたかのようにガクッと倒れ込む。

 盗賊の吐き出した鮮血が飛び散り、俺の顔にまで盗賊の血で染まる。


 盗賊に刺した剣を抜くと、抜けそうになっていた脇腹のナイフを強く抑える。


 致命傷ではないものの、大量出血死と感染症になる可能性があるため、直ぐにナイフを取り出すことはできない。

 この時代の医療は前世とは違い明確な治療法はなく、あるのは気合と根性、そして迷信だけ。

 故に、このような傷でも死に至ることはある。


 だからこそ、早くこの戦いを終わらせなければならないのだが戦いは終わらない。


 同じように硬直していた最後の下っ端の盗賊が再び、槍を構えて突撃してくる。

 俺は鉄でできた槍の刀身をすっとかわすと盗賊の首をめがけて力を振り絞る。


 そして、盗賊の首めがけて剣を一の字に薙ぎ払うと盗賊の頭部は勢いよく宙を舞まった。


 刹那、バタッという音と共に頭部のない体が俺を通り抜け、膝から前かがみに倒れ込む。


 その数秒後、鮮血を散らしながら宙を舞っていた頭部が体を追うように地面へとたたきつけられ転がり込む。



 そして、一連の戦闘を見た盗賊の頭は、己と相手の力量を、己が何を相手にしているのかを初めて理解した。

 本来、盗賊というのは自分よりも弱い者を狩る。

 故に撃退されることは少なく、得られる収益も高い––––––––だが、それ故に忌避される。


 犯罪に身を置く者の宿命を今まさに盗賊の頭は体感し、盗賊の頭は恐怖に怯え震える。

 手に持っていた武器を捨て、頭は尻もちをつく。


 その瞬間、盗賊の頭は死というものを感じた。


 しかし、俺の剣はここでは止まらない。

 鮮血の雫をこぼしながら俺はぎこちない足取りで尻もちつきながら逃げる盗賊の頭に近づく。


 頭の背中が馬車の車輪にぶつかると盗賊の頭は絶望の表情を浮かべ、天高く掲げられた俺の剣を見上げる。


 そして、勢いよく振り下ろすと俺は盗賊の頭に他の盗賊同様、死を与えた。


 その後、盗賊の命を奪った剣には紅く盗賊の血が滴り、乾いた大地を湿らせた。


 およそ数十分の戦闘で俺は二度の人生で初めて、自らの手で人を殺めた。

 だが、その現実を受け止め切られずに咄嗟にその場で吐き気を催し、嘔吐した。


 こうして唐突に始まった異世界での戦闘イベントは辺りを死体に囲まれ、その鮮血を被った俺が初めて勝利して終焉を告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る