#004 『 スランゲヴニ 』

 馬車の旅は、幻想的で楽しい物だと思っていたが実際の馬車の旅は、はっきり言って痛い、苦しい、キツいの三拍子だった。


 俺の中にある馬車のイメージは中世ヨーロッパでの軽自動車という感じだったが現実はそうではなかった。


 街を出てからと言うもの、道が悪くなり馬車は丘を登ったり降ったりを繰り返している。

 また、小石の上に少し乗っただけでも馬車は大きく揺れる。

 そのせいもあり想像していた馬車の旅は楽しくなく、むしろ、苦痛のように感じた。


「————これは、早くサスペンションが欲しいな……。」


 腰を押さえながら一人、馬車の中で痛みに悶える俺は、早急にサスペンション付きの馬車を開発しなければいけないと決意した。


 俺が馬車の馬を交換するスランゲヴニの街は古くから畜産業で成り立ってきた街だ。


 その人口は四千四百とホーリーヘッドの半分にも満たないが、畜産という産業を主に行なっている故にその敷地は広い。


 街の大きさだけで語るのならば、アングルシー島においてホーリーヘッドに次いで二番目と非常に大きい。

 だが、欠点としては街の面積が広い反面、人口は少なく、街を守る外壁も小さい。


 防衛するためというより最早、お情け程度としか思えない外壁には街で雇われている傭兵がわずか二十人とごく少数。


 エクトル領の通常兵力は、八千人。

 その内の二千人が海上を守り、残りの六千人が各地の主要都市を守っている構図となっている。

 実際、ホーリーヘッド内でも千人が常備しており、向かう先のカーナヴォンも千人が常備されている。


 他にもコンフィ、ルシン、モルド、レクサムにも千人ずつ常備されている。

 なお、これらは通常、常備している軍の数。


 戦争などがあれば、すぐさまエクトルが各街へ命令を送り徴兵される。

 その際の最大兵力が一万六千人と数だけなら万を超える。


 無論、一万六千人も徴兵しては兵站が持たないため全員を連れてはいかないが、多くの場合エクトルは八千人を連れて戦場へ赴くため、他の領主に軍の数が少ないと嫌味などを言われる。


 しかし、エクトルの連れてくる八千人はどれも屈強であり、今まで幾多の戦場を潜り抜けては生還を果たした勇猛果敢で知られる精鋭兵。


 そのため、その戦力は万にも匹敵すると言われており、エクトルがこれほどまでに王国内で優遇されてきたのはこの軍事力にある。


 そんなことを考えていると馬車はスランゲヴニへと入る。

 馬車の速度は徐々に下りっていた。


「着いたか。」


 そう嘆くと、俺は身嗜みみだしなみを整える。

 スランゲヴニに入ってからおよそ数分。

 馬車は停車し、執事のフィンが扉をコンコンとノックする。


 それを合図に俺は馬車の移動で痛めていた腰を上げる。

 その瞬間、激痛が腰から背中に走るも貴族としての立場故に我慢する。

 そんな時、フィンが扉を開きながらお辞儀する。


 馬車から降りるとそこには数人の男性と使用人の女性数名が既に待機していた。


「よくおいで下さいました。アルトス様。」


 降車後すぐに挨拶しお辞儀するのは、この街の担当官ことロタール。

 一見して若く見えるこの担当官だがその実力は凄まじく、数年前にエクトル本人から引き抜かれて現在働いている。


「突然の訪問、失礼。出来れば、馬の交換を頼みたい。」


 腰の痛みに耐えならが、笑顔と柔らかい声で用件を手短に伝える。

 そういうとすぐさまロタールが隣の使用人にアイコンタクトで命令する。


 命令を聞き届けた使用人は深くお辞儀するとすぐさま替えの馬を連れてくるべくその場を去った。

 その間、ロタールは俺を街の中心部に位置する代官邸へと案内する。


 代官邸は名前こそ豪勢だが、実際のところはそこまでの代物ではない。

 むしろ、ちょっと大きい旅館のようなものだった。


 中庭にはリンゴの木が一本あるだけであり、花壇なんかも小さい。

 だが、逆に最低限の機能はあり貴族を迎えるための来賓室や防犯のための兵舎も小さいながらあった。

 そのため、俺は内心でロタールを評価した。


 数年前、ここスランゲヴニは財政難で苦しんでいた。

 その理由としては当時からここ周辺は多くの茂みや森林があったため、盗賊などが潜伏しやすく、それでいて道も平坦ではなかったため、交通の便が悪く治安も悪いといった最悪な環境だったらしいが当時引き抜いてきたロタールが就任するとすぐさま治安を回復し、財政の見直しを徹底化。


 そうすることである程度の財政回復を果たした。


 そして現在では街の主産業である畜産業をもとに、商人を集め本格的な財政回復を展開している。

 また、道に関してはすでにエクトルとも協議を重ねており、近々取り掛かる予定だときいていた。



「いやぁ、申し訳ございません。あまりにも突然なことでしたので、少しばかり手狭かもしれませんが、良ければ…………。」


 謙遜気味に告げるロタールに俺は即座に言葉を返す。


 実際の所、街の発展以上に代官邸が大きければ俺の中でのロタールの評価は下がり、最悪解任まで考えていた。

 なぜなら、街のは発展以上に代官邸が大きければ街の発展にあまり貢献しておらず、むしろ代官邸という見栄えの良いものだけで貴族達に取り繕い、世間渡りだけで成り上がったことを示すためだ。故に、俺は街の発展と代官邸の差を見て思った。


 この担当官はできると—————。

 街の発展に似つかわしくない代官邸の大きさや装飾品の数。


 それらが物語るは外見を取り繕うのにお金をかけず、むしろ民のためにお金をかけているという事実。

 だが、それだけでなく代官邸には最低限の装飾品やメイドなどの使用人。

 貴族が来た時の為の催し物などが見て取れた。

 そのため、俺は笑みを溢し応える。


「ハハハ。何を、言いますか。この街は、ロタール殿によってここまで発展した。それなのに多少、代官邸が手狭としてもかまいません。それよりも、私はロタール殿にぜひともここの財政を立て直したその手腕と手法をお聞きしたい。」


 満面の笑顔で答える俺にロタールは“わかりました”とだけ言うと俺とフィンを来賓室へ案内した。



 来賓室につくと俺はロタールに言われるがまま席へと座る。そして、ロタール自身も俺の近くに座り、話し始めた。

 フィンは俺の後方で一人立ったままロタールの話を聞いた。


「そうですね。まず、何処から話せばいいのでしょうか。」


「私としては、治安の問題をどのように解決なされたのか非常に興味がありましてね。」


 さりげなくだが、興味深そうに俺は声のトーンを変えて訊ねる。


「でしたら、私が就任したばかりの時から話しましょう。」


 そういうと長い話が始まった。





◇・◇・◇


 太陽も空高く輝く真っ昼間、代官邸の来賓室で会話をし始めてから数十分。

 来賓室の扉をメイドがノックする。


「ロタール様、言われました様に馬車の馬を交換しました。」


 丁寧な口調で告げるメイドにロタールは扉越しに“ありがとう”とだけ言うと腰を上げ、立ち上がった。


「では、アルトス様。ご用意ができたようなので、話のほどはここで。」


「ええ、そうですね。できれば、もう少しお話をお聞かせしてくれるとよかったのですがこの後、いろいろと予定がありまして……。」


 ゆっくりと腰を上げながら応えるとロタールは“そうですか。では、またの機会に”と儀礼をかわし、代官邸の前に止めてある馬車へと向かう。


 馬車へと向かう際中、あらかじめフィンに先に行けと視線を送ったこともありフィンが不在のまま二人、俺とロタールは代官邸の門に向かって歩いていく。

 そんな中、ロタールが疑問を投げかけてきた。


「そういえば、アルトス様は何用でこちらの方に?」


「それは道中の補給です。正直な所、本来の目的はここより南に行くことですね。」


 そういいながら俺は進み続ける。

 質問をはぐらかされたロタールは少し疑惑を抱いたが、すぐさま表情を戻す。

 中庭を通り過ぎ、代官邸の門へとたどり着く。

 そこでロタールは別れの挨拶を告げる。


「では、また近いうちに会いましょう。アルトス様。」


「ええ、私も楽しみにして待っていますよ。」


 最後に俺とロタールは握手をして別れると俺はフィンと一緒に馬車に乗り込む。

 ロタールやメイドたちに見送られながら俺の乗った馬車は再びゆっくりと動き出す。


「では行くとしようか、カーナヴォンへ。」


 俺の声に呼応して御者は馬車を動かす。

 徐々に変わる景色の中、俺はこれから起こることを想像して笑みをこぼした。




◇・◇・◇




 馬車がスランゲヴニを出て、御者は馬車を加速させる。

 二頭の馬に牽引される馬車に揺られること数分。

 俺の対面に座るフィンが痺れを切らした様に訊ねる。


「それにしても、アルトス様。今回、なぜカーナヴォンに行かれるのでしょうか?」


 なにがなんだかわからないとでも告げる表情を向けながらフィンは俺を見る。


「なに、簡単なことさ。今回の目的は、治安の問題を根本的に解決すること。そのためにも去年、新しく改築した大規模な軍事要塞都市カーナヴォンを視察し、そこの管理官と話すだけの目的で行くだけだ。」


「本当に、それだけでございましょうか?」


 不安げに訊ねてくるフィンに、俺は笑みを浮かべながら答える。


「ほかに、何がある?」


 俺の答えにフィンは、何かを諦めたような口調で“わかりました”とだけ言い、口を閉ざした。

 そんな中、俺は内心で一人、呟く。

 そんなわけあるか、と————。


 カーナヴォンへ行く最大の理由は主に二つ。


 一つはフィンに話した視察の件。

 これは近年、改築をした軍事要塞都市の持つ防衛力や篭城の際の耐久性などを考慮し、いざという時の為に理解をしなければいけない。


 これを理解しないまま、戦争や天災に会うと状況の判断が即座にできず、多くの死傷者をだし形勢を変えることもできない。


 まあ、篭城を選択した時点で、形勢も何もないのだが……。


 ともかく、視察はいざという時の為の勉強が目的。

 無論、その他にもあるだろうが概ねその様な理解でいい。

 むしろ、領主の息子が一人で行くこと事態がおかしい。


 これらの問題は本来、領主であるエクトルの仕事であるが居ない以上、誰かがしなければいけない。


 そして、その二。

 これは単純にカーナヴォンにいる司令官こと担当官に文句を言うため。

 その実、村の視察前に送った召喚状をその司令官は拒否。

 その理由も領主以外の者の命令であるためとかそう言う業務上の理由ではなく、行きたくないと言うあまりにも個別的な理由での拒否。

 これに俺は腹が立った。


 それゆえに俺は視察と称して、カーナヴォンの司令官こと担当官を懲らしめるべく向かう。


 そんな時、とある問題が浮上する。


「おい、なぜホーリーヘッドへ戻る?」


 そう、馬車は戻っていたのだ。

 それも元々いたホーリーヘッドへ向かっていたのだ。


 カーナヴォンはホーリーヘッドより五十五キロも南に位置する。

 そして、スランゲヴニはその中間地点にある。

 だからこそ、馬を交換すべくスランゲヴニを選んだ。


 なのに、元々いたホーリヘッドへ向かっている。

 訳がわからないと混濁しているとフィンは言葉を返す様に応える。


「なぜ、と言われましても、カーナヴォンへ行くのですよね?」


 だが、質問に質問で返すフィンに俺は困惑する。


「ああ、そうだ。」


 僅かに怒気を強めて応える。


「ですから、ホーリーヘッドへ行っているのですよ。」


 フィンの言葉を聞いたその瞬間、俺はなにかが脳裏を横切った。

 そして、なにかを誤解していないか、なにかを間違っているのではないのかを俺は考えた。


 結果、ある結論へと至る。


「まさかとは思うがカーナヴォンへは馬ではいけないのか?」


 俺の疑問にフィンは少し呆れる様に返答する。


「馬ではいけませんよ。メナイ海峡があるので。」


 刹那、俺は思考を停止した。

 思考を停止した俺を見て、フィンは説明を始める。


 メナイ海峡。

 それは古来より存在し、アングルシー島と本島を分ける狭い海峡。

 非常に細長い海峡であるが潮汐によって水流の強さが両方向とも変化するため浅いとは言えども非常に危険で時々、本島へ渡ろうとする人の命を幾度となく奪ってきた。


 そのため、現在ではホーリヘッドから出る定期船でしか、本島へ行くことはできない。


 本島へ行くことができない––––––––それはつまり、本島にある軍事要塞都市カーナヴォンへ行くにはホーリーヘッドからでる定期船に乗るしかないことを暗に俺に告げていた。


「なぁ、フィンよ。なぜそのことを黙っていた。」


 思考停止から回復した俺は、目の前に座る執事を睨みならがら、質問する。


「黙るもなにも、私共は目的地をスランゲヴニしか聞いていなかったので……。」


 睨まれながらも応えるフィンを見て、俺は記憶を手繰った。

 そして、思い出す。

 ホーリヘッドを出てすぐ俺はスランゲヴニへ行く様、御者やフィンに命令した。

 その意図を、一切明かさずに————。


「い、いいか。フィン。此度のことは忘れろ。いいなッ!!」


「は、はぁ。わかりました。」


 間違えた恥ずかしさを必死に隠そうと俺は、咄嗟に目の前のフィンに口止めをする。

 そして、恥ずかしい口止めに呆れ果てる様に応えるフィンは苦笑する。


 そして、ホーリヘッドへ着くまでの間、馬車の中には気まずい空気が流れた。


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