形になることのない断章のプロット
諸所の事情から、筋書きは有れども作品としての完成を断念しているアイデアは、書き手であれば誰しも心の中に一つ二つしまっているだろう。ここで私がお伝えするのも、そういった類のものだ。
形になることがおそらくないのは幾つかの理由による。
私自身の怠惰と時間不足については、言うまでもない。プロットはずっと前から頭の中に浮かんでいる。困ったことに、出どころが自分でも思い出せないでいる。ふとした瞬間に思いついた白昼夢かもしれないし、ある晩見た夢を思い出そうとして苦闘した挙句の、言わば夢の影だったかもしれない。あるいは、遠い過去のどこかで見聞きしたストーリーを、出典を忘れ自分で作り上げたと錯覚している可能性も否定できない(自分はこれを恐れている)。仮に、読者の中で似たようなものを知っているという方がいらっしゃるならば、ご一報頂ければ幸甚の至りである。
ともかく、物語は以下のようなものだ。
最初の舞台:現代。登場人物:成人男性、おそらく失業中。
男が何晩もかけて似たような内容の夢を見る。夜を重ねるごとに、夢の描写は精彩さを増していく。
夢の中では、一人の子どもが病床に伏している。ベッドは藁と毛皮から成り、部屋は粘土か石で造られている。十夜目には、周りを囲む家族や、医者(もしくはまじない師)が必死に看病している姿が見えるようになる。父親の姿はない。
社会に敗れ、生活は日を追って苦しくなる一方で、男は夢を見続けるのをやめることができない。彼は夢の中に断片的な現実性を見出そうとする。幾つもの史書・紀要論文・百科事典を歩き回った末に、男は夢の舞台の時代と地理を特定する(これは前一世紀中頃のガリアか、あるいは前3500年~3000年のテル・ハモウカル、またはいずれでもない何時かの何処かである。物語が形になることない限り、この点もまた決まることはないだろう)。
その晩、既に視覚による描写の詳細が限界に達した夢に、音が加わる。
外では七日七晩に渡る雨が続いている。医者らしき人物が、枕元でぶつぶつと呪文を唱えている。兄弟姉妹の幼子たちは、少し離れたところで押し黙って泣いたり慰めたりしている。心労のためか佇まいに疲れの見える母親が、医者に容態を尋ねる。
「ご子息は、お父上と同じように共に戦っておられるのです。数えること能わぬ悠久の時を相手取り、普遍の受難を打ち破らんとしています。ご子息が夢から目覚める時があれば、受難は勝利に代わるのです」
その日から、夢を見ることはなくなる。記憶だけが、男の脳裏に残り続ける。
しばらく後、男は冤罪で逮捕される(罪状はあまり重要ではない。痴漢でも殺人でも、とにかくありふれて面白くもないもの)。社会的信用も身内もない彼は、大したアリバイもなく流されるように連行されていく。
留置所で、男は久方ぶりに夢を見る。
しのつく風雨の真っ只中、多くの男たちが咆哮を挙げてもう一つの嵐を奏でている。剣と斧、槍に槌が舞い、盾と鎧が打ち鳴らされる。鉄と鉄とがそこかしこで弾ける中、今まさに戦っている父親の姿が見とめられる。両者ともに一歩も引かぬ激しい戦いぶりに、周囲の誰もその間に加勢することの能わぬ程だった。しかし父親の方が、わずかに押されかけていた。視線は父上の相貌から、相手取る敵将の面へと移る。その顔がまさに明らかになる瞬間、男は夢から覚める。
初公判の舞台に引きずり出されながら、男は遂に見ることの叶わなかった顔のことを気に留め続ける。
裁判長の再三にわたる呼びかけに思考を中断させられた男は、何かに注意を向けるでもなく辺りを見回す。
直観が男に答えをささやく。
男は見ようとして見えなかった面影を彼らの中に見る。裁判官に、検察官に、弁護士に、陪審員に、証人に、傍聴者に、彼らの一人一人の顔は、男が相手取り戦い続けてきた敵の顔でもあることを、彼は遂に知る。またもや裁判長を名乗る人物が男の名を呼ぶが、もう男はそれに構う必要はないことを知っている。今や彼は己の名前を知っているから。
男は叫ぶ。戦場で父たちがそうするように。叫ばなければいけないから。
「もう騙されないぞ、おまえ達は嘘だ!おまえこそ覚める夢だ!」
病める子どもの声が、男の世界全体を包む。
裁判の舞台は今や存在しなかった。裁判官が、検察官が、弁護士が、陪審員が、証人が、傍聴者が、ねじ曲がり、輪郭を失い、塵となる。西暦2019年の世界そのものが、目覚めと共に消えゆく。既に流れた何十世紀もの過去もまた、忘却と共に永遠に失われる夢の記憶へと変わる。すべては今や虚構だった。
こうして、世界は存在しなかった。そして男もまた、自分が誰に夢見られているのかを知り、影へと喜んで足を踏み入れる。その影は、目覚めゆく己と再び一つになることだと、分かっていたからだった。
まじない師よりも先に、その子どもの容態が快方に向かっているのに気づいたのは、他ならない母だった。家族全員が、目覚めたばかりの彼に駆け寄る。まじない師は子どもの回復を確信するとともに、もう一つの戦いが終わったことを感じていた。
雨は既にやんでいた。昇る暁を背に、一人の兵士が伝令のために走っている。何よりも先に勝利の知らせを、守り切った故国へと届けるために。
だがその伝令がたどり着く前に、目覚めたばかりの彼は知っていた。そこかしこに冷たく倒れ伏し、禿鷹たちの餌となった敵兵たちの上をのし歩き、敵将の首を掲げ凱旋する父上の姿を、彼は確かに幻視していた。
(最後の行もまた、プロット故に未決の状態にある。ここで、本来であれば彼の故郷を滅ぼすはずであった敵将の名前が明らかになり、物語は終わる。物語のもう一つの舞台がガリアの場合、その名前はユリウス・カエサルであり、テル・ハモウカルならば、それはギルガメシュである。)
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