エピローグ

 「長岡さん、進行どうですか。」

 「うーん、少し押し気味だけど許容範囲だろう。できれば入れ替わりをもっとスムーズにお願いして。」

 「はい、伝えておきます。」


 市の青い帽子を被ったスタッフがステージ袖に小走りで消えていく。そのステージ上では、地元高校吹奏楽部の軽快なシングシングシングが演奏されている。奏者がタイミングよく立ち上がったり、楽器を掲げたりして見た目にも映えるパフォーマンスで見ている人を楽しませている。次第に盛り上がり、指揮者が手拍子を求めると観客もそれに合わせ始めた。


 「すみません、長岡さんにまで手伝ってもらって。」


 いつの間にか横には現場責任者の一人が立っていた。


 「いえ、私たちが主催のふれあい交流会ですし、手持ち無沙汰だったもので。」

 「この交流会もこれで六回目。今や地元の幼小中高に大学、社会人サークルから老人クラブまで幅広い人たちに参加してもらえて、出店も増えましたし、もう毎年恒例の春祭りになったと思います。」


 そうして見渡してみると、ステージの横から広がっている公園には屋台が並んでいて、お菓子をねだる子どもや、それに応じる大人たちまで、老若男女で賑わっていた。こうして立っているとこまで、濃厚なソースの匂いや甘い香りが漂ってくる。


 「ありがとうございます。ここまで来るのには苦労しましたが、皆さんのご協力のおかげです。」

 「はい、ほんとに苦労しました。ですが、長岡さんのお父様の代からの尽力は大きなものだと思いますよ。なんだか、眼鏡をかけた姿は似ていますね。」

 「そう、ですか?」


 俺は照れくさくなって、縁の太い眼鏡をクイと指で上げる。年のせいか、目が悪くなってきてついに手放せなくなったのだった。なぜこのデザインにしたのだったろうか。もう忘れてしまった。


 「今年もいい天気で暖かいし、桜ももうすぐ見頃ですね。」

 「ええ、ほんとに。」


 空はどこまでも青く遠く、濃いペンキで塗りたくったように雲一つない。花見には少し早いくらいで、あと十日もすれば見頃になるだろう。羽織っていたジャケットを手にかけている人までいる。毎年、この日だけは天候に恵まれていた。

 立ち話を続けていると、ステージに向かって大きな歓声と拍手が起こった。高校生の演奏が終わったようだ。指揮者が礼をすると、また大きな拍手が起こる。


 「ええっと、次は……。」


 俺はバインダーに挟んだ行程表をにらむ。午前の部の最後。


 「次は、幼稚園の劇ですよ。」

 「ああ、確かに。」


 ステージ上では次々と楽器が下ろされ、パイプ椅子が片付けられていく。それと入違うように段ボールや薄い板でできた木や草の大道具小道具が配置されていった。

 ステージ袖には衣装を身にまとった園児たちが、落ち着きなく待機している。その中の一人の子に、どうしても視線が向かってしまう。その子はどこにいようと目で追ってしまうのだ。ほとんど職業病みたいなものだ。

 天使の羽を背中につけたその女の子は、緊張しているのか星のついたステッキを握りしめていた。



 アナウンスが午前の部終了を告げ、一時間の小休憩を知らせる。

 それを合図に、ステージ席に座った参加観客は各々に立ち上がると、芝生広場や公園へと散っていく。屋台からは威勢のいい声が張り上げられ、行列が生まれ始めていた。

 休憩時間とはいえ、責任者の一人として俺も見回りの番を持っていた。一人だけスーツ姿にスタッフ証をぶら下げるというアンバランスさだが仕方がない。

 芝生広場では、いくつものビニールシートが敷かれていて、持ち寄ったお弁当が広げられている。


 その中をぶらぶらと歩いていると、一つの集団に目が留まった。集団というよりは、また一人の子に目が留まってしまった。

 さっきまで緊張しっぱなしで演技をしていた女の子が、先生や友達と輪を作って小さなお弁当をつついている。その膝にはピンクのブランケットがかかっている。

 それとなく自然に振舞いながら、そのグループの傍を歩いてみると、


 「ああ! えらい人だぁ!」


 と園児の一人に呼び止められた。あっという間に園児に取り囲まれ、口々に要領を得ない質問にさらされた。


 「えらい人じゃないよ、ぎいんって言うんだよ。」「ぎいんってなに。」「えらい人のこと。」「あいさつしてた人。」「おじちゃん劇どうだった。」「見てた?」「おれ、すごかったでしょ。」「わたしのほうががんばったもん。」「だれがいちばんすごかった?」


 それを見ていた先生が立ち上がったが、俺は一瞥し、軽く頭を下げて止めた。


 「ああ、みんな上手だったよ。すごく頑張ったんだね。」


 そう言うと、またわらわらと園児がアピールを始める。収拾がつきそうもない中に、あの子がいた。手の届く距離に。

 俺はその子の頭にポンと手を置いた。


 「君は天使だったかな? お名前はなんて言うのかな。」


 幼いニヤリとした笑顔。そこには緊張していた様子もなく無垢な眼があった。


 「わたし、鹿賀愛彩かがあや

 「そうか、愛彩ちゃんか、よろしくね。」


 ビニールシートに座った先生が園児たちを呼ぶ。

 皆が同時に間延びした返事をすると、小さな足をばたつかせて戻っていった。


 ピンクのブランケットを握ったその子の手には、黄色いシュシュがついていた。

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