第23話

 メインエントランスをくぐり抜けると、そこから夢の世界が広がっていた。


 キャラクターの耳をつけたり、グッズを身にまとったりしている人たちで溢れかえっている。走り回る子どもに、記念撮影をするファミリー、はしゃいでいる友達グループ、外国人の集団といった、多様な人たちがこの世界に溶け込んでいこうとしていた。

 ところどころで、テーマパークの着ぐるみがお出迎えをしていて、入れ代わり立ち代わり写真を撮られている。地面にもキャラクターの笑った絵が描かれていて、どこを見ても別世界だ。


 「あの子と一緒に撮りたい! 悠太君撮って。」


 綾芽はスマートフォンを手渡すと、お目当てのキャラクターまで子どものようにパタパタと駆けていった。俺がスマートフォンを構えると、犬がモチーフとなっているキャラクターの腕を組んで、空いた手でピースをつくった。

 シャッターを押すと、綾芽はわーきゃーと歓喜の声を上げ、キャラの頭や身体を触りに触って、握手をして戻ってきた。その様子を眺めているだけで、自分もテーマパークの雰囲気に馴染んできたように感じてくる。


 「ほら、早く行こ。」


 綾芽はスマートフォンを受け取ると、さっさと歩き始める。一歩進むごとに跳ねるポーチに、足取りは軽やかだった。

 まっすぐ進み、アーケードのあるメインストリートに入ると、そこはアニメや映画の中で見た古く、だが優美なヨーロッパの町があった。十字路の中央には、見上げるほど高いツリーが飾られている。軒を連ねるカフェやショップも、壁一面に装飾を施していて、煌びやかなショッピングエリアとなっていた。

 クリスマスなだけあって、歩くのもままならない混雑具合だ。その中を、綾芽はスルスルと抜けて行く。俺も綾芽も見失わないように必死になってついて行く。その迷いのない姿に、なぜか俺はほっとする。俺が気を使うようなこともなさそうだった。


 「ほら見て、すごい!」


 メインストリートを抜けた先の広場で、綾芽が遠くを指差した。


 「おお。」


 思わず感嘆の声が出る。綾芽が指差す先には、パンフレットの表紙になっていた城が毅然とそびえ立っていた。白を基調としたデザインで、青い円錐形の帽子のような屋根を被っている。手に持っていたパンフレットと見比べてみても、目の前にある実物の方が、何倍も見応えがある。


 「やっぱり、一番初めにこれを見ないとね。ほら、写真撮るよ。」


 綾芽が広場の真ん中に位置取ると、手招きをしてきた。


 「よし、写真なら任せろ。」

 「違うって。こうやって撮るの。」


 俺がさっきのように綾芽のスマートフォンを取ろうとすると、それをひらりと躱して俺の横に並んだ。すぐに俺の身体がくるりと回され、肩に手が置かれた。


 「ハイ、さん、にー、いち。」


 セルフィーモードでシャッターが切られた。右半身にやけに体温を感じる。それが意識できると、冬空の寒さに対抗せんばかりに身体が発熱し始める。そして、ふんわりと柑橘系の香りがしたと思うと、綾芽は盛大な笑い声をあげる。画面の中には、驚いてどこでもないところに視線を向ける俺と、ニッコリ笑顔の綾芽が写し出されていた。さらに、写真はぶれてしまっていて、肝心の城が全部入り切っていなかった。


 「あらー、悠太君がしっかりしないからー。」

 「いやいや、撮るなら撮るって言って、びっくりするから。」


 俺はできる限り平静を装う。


 「そーかー、びっくりさせちゃったかー、でももうびっくりしないね。」


 にやりと笑った綾芽は、また肩を寄せ、さん、にー、いち、とカウントダウンをしてシャッターを切った。

 それから綾芽は、パークの地図をぐるぐる回して、あちこちのアトラクションを案内してくれた。


 鉱山列車のジェットコースターに、蒸気船クルーズ、丸太のボートに乗れば急落下し、空飛ぶ海賊船ではいくつもの危機に見舞われた。ゾンビが出てくるアトラクションでは、大いに叫び尽くし、謎解き脱出ゲームでは頭を使い尽くした。水上ショーでは、震える寒さの中水を浴び、パレードでは華麗に踊り演奏するキャラクターを見たり呼んだりしながら、紙吹雪を浴びた。

 俺が連れてきたはずなのだが、結局は俺が引っ張りまわされてしまっていた。だが、それが自然な流れであったから、俺は何も言うこともなかった。


 あと、父から手紙を使った接触があったことも言わなかった。だから、今の綾芽はここでも監視が続いていることを知らない。それを言ってしまえば、ここまで来た意味がなくなってしまうから。

 とはいえ、本当に今も監視されているのかは分からなかった。視線を感じると言えば感じるし、気のせいと言えば気のせいだ。一年で最も混雑するであろうクリスマスのテーマパークで、特定の視線など分かるはずもなかった。

 それに何よりも、綾芽が、自分にまつわる秘密を知ってしまってから一番楽しんで見えたから、わざわざ父のことを言う気もなくなっていた。ただその姿を見ているだけで、ここまでした甲斐があったと、胸に温かさが宿ってくる。


 「おーい、はやくー。次行くよー。」


 俺がショップから出ると、先に出ていた綾芽がもう遠くまで行っていて、大声で呼びかけてくる。その頭には、今買ったばかりの犬のキャラクターの耳がついていた。綾芽の巻くもこもこのマフラーと一緒になって、もこもこの耳がここからで一体になって見える。ぴょんぴょん跳ねる綾芽を見ていると、ないはずの尻尾まで見えてきそうな気がした。それはこの世界観に溶け込んだ証だろう。


 「おお、待てって。」


 俺は買ったものをバッグに入れて、小走りで向かった。



 「うわあ、きれい……。」


 綾芽が声を漏らす。視線の先ではライトアップが始まり、陰に沈んでいた城が、その姿を輝かしく浮き上がらせていた。俺たちが座るテラス席からは城の全貌がよく見える。


 「寒くない?」

 「うん。中の暖房も届いてるし風もないから。」


 そう言う綾芽の瞳には、パーク中の光が映し出されている。俺も同じものを見ているはずだが、綾芽の瞳はその美しさを何倍にも増幅させているようだ。


 「お待たせしました。」


 ウェイターが、テーブルに食後のデザートを静かに二人分並べた。パークのキャラクターが描かれたパンケーキに、小さなツリーのお菓子が立っている。


 「かわいいー、写真写真。」


 綾芽は、パンケーキに向かってスマートフォンを構え、今日何枚目か分からない写真を撮る。それは一回では済まずに、ああでもないこうでもないと、角度や高さを変えて何度も繰り返された。


 「いつまで撮ってるの。」

 「こういうのは大事なの。おいしくかわいく撮らないと。」

 「そういうもんなのかねえ。」


 俺はとりあえずな返事をしながら、キャラクターの顔をフォークで切っていく。

 今日最後のナイトショーまでは、まだ時間がある。だが、それを見終わってからだとパーク内で食事する暇がないと綾芽が言い出して、こうやって早めの夕食となったのだった。


 そのナイトショーが終わると、夢の国の夢の時間も終わり。そして、俺たちに与えられた自由な時間も終わる。綾芽は、そのことを忘れているのか、忘れたふりをしているのか、パンケーキを口いっぱいに頬張っている。朝からの元気は顕在だった。だが、もとより父からの条件を知らないにしても、明日が十二月二十六日で、それが何を意味するのかは知っているはずだ。

 俺は、フォークを置いて足元のかごに入れたバッグを開ける。中を探すまでもなく、一番上には今日買ったものがあった。一瞬迷った。今出すべきかどうか。


 「どうしたの?」


 そのを逃さずに、綾芽が声をかけてきた。綾芽は口をもぐもぐさせながら、俺の手元を覗き込んでくる。


 「いや、まあ、ちょっと。」

 「なに? あやしいねー。」


 綾芽が俺と同じようにテーブルの下まで態勢をかがめてにやついてくる。そうされると、バッグにつっこんだ手を余計に出しにくくなってしまった。


 「……ちょっと、考え事があって————」

 「これか!」


 左手をテーブルについた綾芽は、腰を浮かせ素早く右手を伸ばして、俺が手にしていた紙包装を奪い取った。俺はそれを避けようしたものの、肘がテーブルに当たってしまい、食器類をガシャンと鳴らしてしまっただけだった。


 「何これ、お土産?」


 綾芽は、片手におさまるくらいの赤と緑の包装を持って、小首をかしげていた。外から中身は見えないようになっている。嬉々として奪い取ったものの、どうしたらいいのか困っているようだった。


 「ショップに寄ったときに買ったんだ……、まあ、なに、一応プレゼントだと思って。」


 俺はぶつけた肘をさすりながら、つまずくように言った。綾芽の方を直視できなかったから、光に照らされる城の方を見る。

 しかし、思いのほか反応がなかった。というか完全に無反応だった。さすがに気になって、綾芽を見ると目を真ん丸にしたまま、そこに硬直していた。綾芽は俺の視線に気がつくと、瞬きを繰り返して意識を取り戻す。


 「あ、ごめん、まさか用意されてるなんて思ってもなかったし、ていうか、私なんも用意とかしてないし。」

 「いいって別に。気が向いただけだし。」


 俺は素っ気なさを精一杯装う。これには照れ隠しもあるが、少しばかり別の意味で緊張もしていた。


 「開けていい?」

 「うん。」


 俺が言うや否や、綾芽はパークのロゴが入ったテープを丁寧に剥がし始めた。それを見ながら俺は唾をのむ。ピリピリとテープが剥がれていくごとに心臓が締め付けられていく。息が詰まってきた。包装を持っている綾芽のワクワクした表情が余計にそうさせてくる。


 だが、やはり……か。


 「これって……。」


 包装の中身を覗いた途端に、綾芽の顔が陰ったのが分かってしまった。少しばかりうつむいた額には、他よりも深い影が差し込んでいる。視界の隅に見える城はますます白さを増していく。


 「うん。綾芽がいつもつけてたシュシュ。まったく同じじゃないけど、たぶんこれかと思って。」


 俺は、綾芽の何かを刺激しないように、慌てずにゆとりをもって説明を続ける。何かが何なのかは分からない。だが、そっと触れるだけで破れ、壊れそうなものが目の前の綾芽にはあった。


 「あのシュシュってここで買ったって言ってただろ。それで綾芽のお祖父さんにも聞いたんだ。そしたら確かにそうだって言うし、お祖父さんも肩身離さずに持ってた、大切なもので、思い出だからって……。」


 俺の言葉をさえぎることなく、うなずいたり相づちをしたりすることもなく、綾芽はじっと、黄色い犬のキャラクターがポイントにあしらわれたシュシュを目に捉えていた。

 近くにある噴水が勢いよく水を噴き上げる。それを見てか、どこからか歓声が聞こえてきた。噴き上がる水も、これ見よがしにライトアップされ、ブルーの優しい色をまとっていた。さらに、水が大きく噴き上がり、歓声も大きくなると、綾芽がぼそりとつぶやいた。俺にしか届かない声で。


 「……ほんとの家族じゃ、ないけどね。」


 その言葉は、綾芽の前に何も寄せつけない壁を築き上げた。何事からも守ってくれて、触れられないようにするために。そうやって、すべてを突き放そうとする綾芽は、シュシュを置き、黙ってパンケーキを一口入れる。美味しいと唸る表情はもう現われない。ナイフを入れて皿にコツリと当たる音、フォークを突き立てるそぶり、それらはあまりにも鋭かった。


 「産みの親より育ての親、って、言う、だろ……。」


 なんとか会話を続けようとするが、俺の声は勢いをなくしていく。綾芽は何を考えているのか、無言を貫いていた。

 ただ、今だからこそ見せるべきものもある。

 俺は椅子に掛けてあるコートの右ポケットから、はがきサイズほどの封筒を取り出す。それを、そっとテーブルに置く。


 「これは?」


 綾芽は薄い目をして封筒をねめつける。


 「これは、写真。綾芽のご両親が撮ってアルバムにしていたものを渡されたんだ。今は話もさせてくれないって。それで、これだけでも見てほしいって。これが私たちから伝えたいすべてだからって。」

 「……。」


 綾芽から返ってくる言葉はなかった。

だが、綾芽は封筒を手に取って、写真の束を出した。

 一枚、また一枚と、じっくり時間をかけて写真を見ていく。そのときだけは、時間もゆっくりと流れ、水の音も客の話声も耳から遠ざかっていった。綾芽は、一枚ごとに見た写真をテーブルに置いて重ねる。


 ベビーベッドでカラカラ鳴るおもちゃを握りしめる綾芽、部屋着姿のお父さんに抱きかかえられる綾芽、家の玄関先で赤ちゃん用の押し車に乗って踏ん張る綾芽、木の枝を持って鳩を追いかける綾芽、床にへばりついて泣きじゃくる綾芽、七五三で着物を着る不機嫌な表情の綾芽、ピンク色のランドセルを高く持ち上げ、歯を見せて笑う綾芽、運動会で白い帽子をかぶってゴールテープを切る綾芽、合唱会で一番前の端の方で歌う綾芽、ピースを作って賞状を見せつける得意な綾芽、そして、今いるテーマパークの城を背景にした家族写真、その全員の左手首には黄色いシュシュがある。


 写真が進むにつれて、喜怒哀楽を見せる綾芽は大きくなっていく。

 綾芽は決して何も言わない。静かな呼吸だけが繰り返されている。そして、最後の一枚をテーブルに置くと、綾芽は目をつむって長い息を吐いた。


 「……これだけ見たって、事実は変わらないよ。」

 「うん、変わらない。でも、まだ全部は見てない。」


 俺は、テーブルに重ねられた写真をまとめてひっくり返す。そうやって見えた一枚目の写真の裏側には、細いマジックペンで日付と言葉が添えられているのが現われた。整っているが、文字と文字の間がやけに詰まっていて、「の」や「と」が丸印に見えるくらいの独特な丸字だった。


 綾芽は、また写真を一枚一枚手に取っていく。綾芽には誰の字なのか分かるのだろう。写真の裏を見つめる綾芽の目は横に動いては戻り、横に動いては戻りを繰り返す。それがいくらかすると、次の一枚をめくる。写真を見ていたときよりも、さらにゆっくりとした時間が流れる。俺もその時の流れに身を任せるように、物音を立てず待つ。綾芽が置いていく写真の裏の言葉、俺からは逆さを向いている言葉は、写真の内容に合わせたものが書かれている。


 ベッドの中でも元気だね、すくすく大きくなってね、お父さんの抱っこが下手っぴでごめんね、なんでも一人でできるようになってすごい、歩き始めてからできることも増えたね、もうこけずにはしれるようになったね、でもやっぱりこけちゃって痛かったね、着物は早かったかな、このあとすぐに脱いじゃったね、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんからのランドセルは嬉しかったね、欲しかったピンク色、初めての運動会で徒競走一位おめでとう、歌はあんまり上手じゃないけど、遠くからでも声が聞こえたよ、夏休みに描いた空の絵、入賞おめでとう、みんなで来れて楽しかったよ、また来ようね。

 俺は、綾芽が読み終わるころを見計らって、予め抜いておいた一枚をポケットから出した。


 天満宮の地下室にあったファイルで見た写真。ファイルの一番初めに挟まれていた天満宮の森の中で発見されたときの写真。その裏にも言葉が連ねられている。


 「これが、最初で最後の写真。ほら。」


 俺は写真よりも、裏の言葉の方を見せるように手渡す。

 そのとき、城の方から強い光が放たれ、俺たちの半身が明るく照らされる。それと瞬間ずれるようにして、ドンッと爆発する音が鳴り、ジリジリと子気味よい音が後に続いた。辺りからは大きな歓声が上がる。空を見上げる人、テラスの柵にひじ掛ける人、席を立ってレストランを出る人、パークにいる人々がこのときを待っていた。


 城の上に、今日という日を彩る主役の花が咲く。白に黄色、赤に青にオレンジに、カラフルな花々が夜空に咲き乱れる。次々に打ち上げられる花火は、ナイトショーの始まりを告げるものだ。


 綾芽は俺が渡した写真を片手に、花火を見上げている。その頬は鮮やかに彩られる。俺は椅子を引いて立ち上がる。これ以上、言うことはなかった。


 「よし、観に行こう。ショーが始まる。」

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