幕間

 久しぶりの場所だった。十五年ここには来ていない。


 白々しい照明が目に眩しく、閉め切ったブラインドの隙間には、夜の闇が見える。

 私は広いラウンドテーブルの一席に座り、そこに集まっている人々を眺めていく。市議会議員、市役所員、警察、消防、病院関係者、教職員、天満宮宮司、ラーメン屋店主、デパートの店員やドーナツ店の店員、主婦まで出席している。彼らは、好き勝手に話し合って、落ち着きがない。それもそうだろう。

そして、私の両隣には誰も、座っていない。

 ハンカチを取り出して、剃り上げた自分の頭を一撫でする。私もこの事態に、じんわりと汗ばんでいた。


 「それでは、皆さん、よろしいでしょうか。」


 議長席に座る長岡洋が一声掛けると、皆、不安そうな表情を浮かべて口を閉ざす。


 「こんな時間にお集まりいただき、ありがとうございます。すでに、話は聞いていると思います。これは、会始まって以来の事態です。そうですね、神足さん。」


 ここにいる全ての視線が、こちらに注がれる。


 「ええ、今回、ウチの者が大変ご迷惑をおかけしました。私の指導不足でしかありません。」


 私は、テーブルに額がつくほど頭を下げた。人に謝罪するのも、頭を下げるのも、久しぶりだ。そのままの姿勢を保っていると、囁き合う会員の声が聞こえてくる。


 「だから関わるんじゃないんだよ。」「早く縁を切っておくべきだった。」「ヤクザになんかに手伝ってもらう必要ないだろ。」「当時の会も、なし崩し的に関わったのが間違いだ。」「また何かしでかすかもしれんぞ。」「どうするんだよこれ。」「会則的にはどうなるんだ。」


 私には、何も言い返す資格はない。非はこちらにしかないのだから。

 長岡が会員の私語をまた一蹴する。


 「で、佐藤さん、二藤武男はなんと言っていますか?」


 今度は、恰幅のある刑事に視線が向けられる。


 「二藤武男にふじたけおは、天満宮児、乙訓綾芽さんが生まれた日に、妻が子どもを出産。綾芽さんが病院に運び込まれた際、その担当医が仕事を放棄して、そちらへ向かった。だから自分の子どもが亡くなってしまった、という旨のことを言っています。そして、病院の記録では————、」


 隣に座った、白髪混じりの医者に引き継がれる。眼鏡に手をあて、資料を読み上げ始める。


 「えー、確かに記録がありました。二藤優子、その日に流産しております。しかし、子宮内胎児死亡であって、なんというか、自然に起こりうる一例です。原因はさまざまありますが、結論だけ申し上げますと、もう手の施しようのない状態でした。」


 また、会員は囁き合う。


 「なんだよ勘違いかよ。」「被害妄想だろ。」「誰も悪くないじゃないか。」「現実を受け容れろよ。」「勘弁してくれよな」「なんでそんなチンピラを会に入れたんだよ。」「仕方ないだろ、人手も少ないんだ。」「だけど、今、縁を切るべきだ。」


 武男のことが悪く言われている。それが許せない。あいつは良いやつなんだ。早くから引き取って、息子のように育てた。もう少ししたら足を洗わせて、真っ当な道を歩んでいってもらうつもりだった。だが、もう無理だ。


 「それでです。まず今回、二藤武男は刑法に則ってもらいます。当然ですね。」


 長岡の言葉に、会員の誰もがうなずく。当たり前だ、と怒りを露わにする者までいる。


 「そして、会則にも則る必要がある。神足さん、どういうことか分かりますね。」

 「ええ。」


 潮時かもしれない。薄々考えてはいたことだ。暴排法ができて、条例まであって、暴力団は生きづらくなった。最近は、やりくりするのも厳しい状況だ。

 夜中の一時であっても、律義に集まった会員たちは、私の言葉を待っている。言うことは決まっていた。いつ言うか、どこで言うか、誰に言うか、決められないでいただけだ。そして今、彼らはそれを待ちわびているはずだ。

 私は手に握っていたハンカチをポケットに入れ、立ち上がる。彼らの期待に応えよう。


 「みなさん。私は、今回の件をもって、勝城組の幕を下ろそうと思います。」


 おお、と驚きとも歓喜とも聞こえる声が上がる。


 「実は、そろそろだと考えていたところでした。もっといい形で締めたかったのですが、これも一つの機会だと思います。」

 「神足さん、それは町を出る二藤武男のためですか?」

 「……いえ。もう組だとかなんとか言っていられない時代だと考えただけのことです。」


 長岡は、こう嫌なところを勘ぐってくる。まったく、いけ好かない。


 「そうですか。二藤武男がどんな環境で生きて、神足さんのもとに転がり込んだかも、彼が入会する際に聞いていたので、ちょっと気になっただけです。気にしないでください。」


 こぶしを握りこむ。目一杯に。今にでも殴りつけてやりたい。長岡には、武男の人生を語れる筋合いはないはずだ。それを淡々と語り、会則通り処理して、仕事を済ませていく。

 会則通り、会則通り、会則通り。

 そう————、


 「ただ、この会は腐っています。何の機能も役割も果たしていない。長岡さん、あなた、綾芽さんに、この会の議事録を見られたそうじゃないですか。私のところに聞きに来ましたよ。」


 会員たちが、息をのんだのが分かった。やはり、一部の会員にしか伝えていなかったらしい。この際だから、言いたいことを言ってやる。


 「武男がそもそも、綾芽さんの前でペラペラと喋っていたのが、確かに悪かった。だが、どうだ。会則会則会則、何を言っても会則。貴様ら、誰のために、何のために会にいるんだ。この中に、もうすぐ消失日を迎える綾芽さんのことを考えているやつはいるのか⁉」


 語気を強めた私に、言い返す者はいない。いや、私が言ったことに言い返せる者などいないのだ。ここにいる連中は、ただ仕事として綾芽さんを監視し、観察し、記録し、データに処理していく。そうやって、この町の歴史を積み上げていこうとしている。


 「そこのお前、お前は、何のためにこの会にいるんだ。」


 私が指さす先、たしかここの職員だったやつは、何も答えない。答えられない。小さな声で、すみませんと謝られ、余計に腹が立つ。


 「私も言えたことではないかもしれない。だが、これからの綾芽さんと、正面から向き合え。どうするべきなのか。それがあと少し、貴様らがやるべきことだ。失礼する。」


 席を後ろへ押し出して、ドアへ向かう。もう、会員の連中の顔など見ない。

 この会は、変わらなければいけない時だ。それにどれだけ気づいているか。綾芽さんが少年と事務所に来た日、あの時の電話。あれは間違いなく会員の誰かだ。そして、その人物も会の空気に嫌気がさしているはずだ。変われるチャンスは、今、確かにある。そして、私にはもう関係がない。

 ドアを開け、廊下を大股に歩いて行く。すると、後ろから呼び止められた。


 「神足さん。」


 振り返ると、佐藤が駆け寄ってきていた。


 「何だ。」

 「いえ、二藤武男から伝言を預かっておりまして。」

 「伝言?」


 そんなこと、わざわざ私にする必要はないはずだ。


 「ええ、一つだけ————俺が、彼女を恨んでいることに気づいていましたか?————と。」


 ああ、そうか。

 私も同じなのかもしれない。武男のことを誰よりも知っていて、分かっていて、家族のように思っている、つもり、だったのかもしれない。

 さっきまで、正面から向き合えと言っていた割に、私も、武男と正面から向き合ってやれていなかった。だから、武男の苦しみ、抱え続けた苦しみに気づいてやることできなかった。


 この町にいる大人たちは、皆、向き合うべきものに向き合っていない。私もその一人、なのだろう。組にいる全員の顔が思い浮かぶ。だが、今は自信を持てない。私は、どれだけ彼らのことを分かっているのだろうか。


 市役所の裏口から外へ出る。そこは、すべての陰になっていて、闇しかない。

 明日にでも、すぐこの町を出よう。組を辞めることを伝えなければならない人は山ほどいる。


 後はただ、彼女がどうその時を迎えるのか、よくあってほしいと願うばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る