第16話

 自動ドアが開いた。


 中から制服姿の綾芽と、両脇にスーツの男女が出てくる。

 日曜日の午前、秋晴れの空の下、黄色く色づいたイチョウの木をくぐって、三人はこちらに向かってくる。綾芽は、二人に付き添われて帰るのも気まずいから来なさい、と言っていたのに、案外楽しそうにおしゃべりをしている。足元に落ちた銀杏を、跳ねるように避ける綾芽の姿は、朗らかな陽気に似合っていた。

 綾芽がこちらに気づいて、胸の高さで手を振ってくる。その左手には、いつものシュシュがあった。両脇の二人もこちらに向いたところで、俺は小さく会釈する。金曜日にも一応会っているが、名前も知らないから俺の方が気まずい。


 「やっほ。お迎えご苦労さま。」

 「そっちが呼びつけたんだろ。」

 「どーせ暇だったんでしょ。」

 「そうですよ、そうそう。」

 「ほらね。」


 綾芽がクスリと笑う。事故のことなど、なかったかのような雰囲気だ。そもそも、大きな事故ではなかったのだが。


 「ほんとに仲が良いですね。」


 俺から見て、右側にいる女性も微笑んで言う。


 「そうそう。こちらが佐藤さん、こちらが柴田さん。二人ともいわゆる刑事さんね。で、長岡悠太君。」


 綾芽は、その場にいる三人をそれぞれ紹介していく。掌が向けられた人から一言ずつあいさつを交わす。


 「どうも佐藤です。」

 「柴田です、よろしくね。」

 「ど、どうも、長岡です。」


 佐藤という男性刑事は、堅苦しい口調でぶっきらぼうに言う。対する柴田という女性刑事は、柔らかい声で手を差し出してきた。俺も、それにつられて握手をする。一見すると、ほっそりとした指先だったが、ギリギリと絞られるように俺の手が握りこまれた。


 「イテテテテッ。」


 俺が悲痛の声を挙げると、手が解放された。握られていたところには、その痕が残っている。


 「どう? すごく強いでしょ!」


 なぜか、綾芽が嬉しそうに言ってくる。俺は解放された手を振って、痛みを飛ばす。


 「武道だったら、佐藤さんにだって勝てちゃうんだって。」

 「それは言いすぎだって。」

 「そうだ、それは言いすぎだな。」


 柴田が遠慮がちに言い、佐藤は深く首を縦に振る。

 そして、柴田はそのまま綾芽の耳元に口をよせ、手で口元を隠しながら、何か耳打ちをする。


 「ええ、そんなんじゃないですよー。使いっ走り、舎弟みたいなもんですよ。」

 「またまたー、照れなくてもいいのに。」

 「照れてないですって、本当なんですって。」

 「そういうときは、大体ウソなの。」


 目の前で言葉のキャッチボールが交されているが、女性二人の楽しげなそれに、入る余地はなかった。それは佐藤も同じで、二人して綾芽と柴田の秘密めいたおしゃべりを眺めているだけだった。

 佐藤の咳払いで、おしゃべりは中断される。


 「まあ、立ち話しててもしょうがない。行こうか。」

 「そうですね。」


 先頭を切って歩き出した佐藤の後に続いて、俺たち三人も正門を出る。正門は、ちょうど三差路の交差するところにあって、左右と正面に道路が伸びている。

 敷地の外に出て、左手に伸びる歩道に入った。そのときだった————。


右目の端に、黒い車。見えたというより、目に飛び込んできた。


 「危ないっ!」


 佐藤が振り返って叫ぶ。短い悲鳴が響く。

身体は、動き出していた。ただ、前に。とにかく、前に。だが、自分の身体は遅い。もっと速く。心臓は、速くなる。息は止まる。目では車を捉えている。もっと。もっと。そのもっとは、身体には伝わらない。もっと速く。だが、後ろから抱えられるようにして、もっと速く、になった。自分の動きよりも速くなったそれは、走るではなく、飛ぶ、に変わる。飛んだ。もっと速く、もっと前に。心臓は、また速くなる。そして、次の瞬間には、地面に倒れ込んでいた。


 鈍い衝撃。金属が潰れる音。ガラスが砕ける音。散ったガラスが地面に撒き散るチラチラする音。それきり、辺りに音はなくなった。


 「大丈夫か⁉」


 佐藤が駆け寄ってくる。俺は綾芽を探す。すぐ横に、同じように柴田に抱えられながら、倒れているのを見つけた。

 後ろを見ると、門柱にボンネットをめりこませている黒の軽自動車があった。中では、エアバッグが作動していて、誰が乗っているのか見えない。


 「二人を頼む。」


 柴田にそう告げると、佐藤は車の方へ駆けていく。俺と綾芽は、柴田に支えられながら、起き上がって、その様子を見つめる。


 「大丈夫か。」


 佐藤が運転席を開けると、中から男が崩れるように出てきて、地面に膝をついた。意識はあるようだ。


 「おい、俺が見えるか? おい。」


 佐藤が男に向かって呼びかけているが、反応はない。顔を地面に押しつけるようにうずくまり、動かない。

 しかし、ブツブツと何かを言い出した。それは次第に大きくなっていく。


 「……てやる………ろしてやる……。」

 「なんだって? え?」


 俺たちにも、声が届いてくるが、何を言っているかは分からない。そばにいる佐藤でも分かっていない様子だ。それでもまだ、男は言い続ける。


 「…………前のせいだ……お前の……ああああああああああ!」


 突然、男は立ち上がり、手を伸ばした佐藤の脇を通り過ぎる。俺たちの方へ鋭い視線が向けられる。こっちへ来る。そう分かって、咄嗟に手を前に出して身構えたが、男の顔を見て、気づく。タケオだ。金髪に、こめかみの傷。間違いなく、タケオだった。


 しかし、俺がそれに気づいた時には、タケオの身体は宙に浮いていた。


 横にいたはずの柴田が、タケオに詰め寄っていて、腕を掴んで、軽々と足を払った。身体の支えを失ったタケオは、吸い寄せられるように、地面にたたきつけられる。大の大人が、地面に落ちる鈍い音と、短いうめき声がタケオから漏れる。柴田は、すぐさま膝を折って、タケオの腕を締め上げ、上から押さえつけた。

 すると、俺と綾芽の前に、片手に収まるほどのナイフが滑ってきた。刃先は俺たちの方を向いて、陽の光を反射しながら眩しく輝く。その尖った見た目が、今にも突き刺さりそうで、身体を委縮させる。俺と綾芽は、ナイフから遠ざかるように後じさった。柴田に押さえつけられたタケオは、そのナイフに手を伸ばしてあがく。


 「クソッ、クソッ、オメェーが、オメェーがワリィんだよ! クソッ!」


 綾芽が、俺の背後に隠れるようにして、身を寄せてくる。背中に触れられた手は、微かに震えている。


 「すまん! 柴田!」

 「いいから手伝ってください!」


 タケオはまだ柴田の押える手や身体を振りほどこうと暴れている。そこに佐藤も加わるが、二人がかりでもタケオの勢いはおさまらない。


 「死ね! オメェーが俺の子を殺した! オメェーが! オメェーが生まれたから死んだ! 殺す! ゼッテェー殺す!」


 半狂乱になったタケオが、叫び続ける。ただ、叫び続ける。俺たち、俺のすぐそばにいる綾芽に向かって。


 「オラァ! 大人しくしろ!」


 佐藤も、タケオの身体を上から力ずく押え、怒鳴る。


 タケオの叫び。佐藤の怒鳴り声。俺たちの騒ぎに、周囲の人々も足を止め、遠巻きに視線を送ってくる。ただ通り過ぎる人、近寄ってくる人、電話する人、茫然とする人。辺りも騒然としてきた。


 「コイツは呪われてんだよ! 生きてちゃいけねー、殺さなきゃいけねーんだよ!」


 タケオは頭を振り、髪を乱し、肩を動かして、足をばたつかせる。そして、次から次へとわめき続けた。


 「オイ! 暴れんなァ!」

 「クソォッ……。」


 しかし、柴田と佐藤二人の締め上げが効いてきたのか、少しずつタケオは大人しくなっていく。それにしたがって、叫び声も、震えた湿っぽい声に変っていく。もう、俺たちの方は見ていない。顔を地面につけ、うめくように声を出す。


 「コイツがいけねーんだ。コイツが生まれたからいけねーんだ……。」

 「あ? 何言ってんだ。」


 佐藤は怒鳴りつけるように問う。


 「コイツが生まれた日に、俺の子が死んだんだよ! コイツのせいで死んだんだよ!」


 また、タケオが俺たちの方をにらむ。


 「おい、黙れ!」


 タケオの腕が、さらに締め上げられる。タケオは、それにうめきながらも言葉を続ける。


 「俺の子が生まれた時に、コイツが運ばれてきたんだよ、そしたら病院のやつらが、そっちに行って俺の子は無視したんだぜ。もう手遅れだとか言いやがったんだぞ!」

 「おい、柴田! さっさと応援呼べ。」

 「はい!」


 柴田が、忍ばせていた無線に語りかける。柴田の片手がタケオから離れたが、もう、タケオも暴れようとしなかった。


 「コイツがいなかったら、俺の子は助かってたんだよ……。こんな意味分からねぇヤツのために死んだんだよ。」

 「ああもう、べらべら喋るな!」

 「俺もツイてねぇーなー。二回も殺し損ねるなんてよ……。別にいいか、コイツはどーせ死ぬ。死ぬしかねぇーだよ!」

 「オラァ! それ以上喋るな!」


 佐藤はタケオを怒鳴るたびに、腕を締め上げていく。もう限界までねじれているようにも見える。

 遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。柴田が呼んだ応援が来たのだろうか。少しずつ、音は大きくなっていく。


 「ああ? おっさんも知ってんだろ、コイツが死ぬってこと。」

 「……知るかそんなこと、いいからお前は黙ってろ!」


 佐藤の声には、一瞬の間があった。だが、また元の威勢を取り戻す。


 「気持ちワリィんだよ、パッと出てきてパッと消えるんだぜ。笑かすよな。」

 「お前、それ以上喋ってどうなっても知らんぞ。」


 佐藤は怒鳴らなかった。その代わりに、戒めるような口調でゆっくりと言った。


 「テメェらだって思わねーのか。能天気に家族ごっこ続けてよぉ。」


 タケオの顔は、憎悪や怒りではなくなっていた。それは、忌まわしいものを見るように、そして、蔑んで、嘲笑う顔だった。そう見られている綾芽は、もう俺の背中に完全に隠れていた。


 「訳わからんこと言うな!」

 「ハッ、しらばっくれんじゃねーぞ、おっさん。」


 サイレンが鳴り止んで、近くに二、三台のパトカーが止まった。赤色灯が、辺りを赤く照らし出し、飛び散ったガラスの破片が輝く。パトカーから数人の警察官が出てきて、勢いよくドアを閉めると、バタバタと足音を立てながら近づいてきた。


 「いいか、オメェーは死ぬ、絶対死ぬ。十二月二十六日。その日に絶対死ぬ。それが消失日だからな。覚えとけ、天満宮の落とし子さんよ。」


 タケオが言い終えると、駆けつけた警察官がその周りを囲んだ。彼らの脚の隙間から、タケオの目を捉える。まだ、俺たちの方をにらみつけていた。しかし、紺の制服が増えるにつれてその陰にタケオは隠れ、俺たちからは見えなくなった。

 その集団の中から柴田が抜け出て、こちらに駆け寄ってきた。


 「大丈夫?」


 俺に、よりも、綾芽に向かって問うている。俺も後ろに振り返って見る。

 綾芽は、手も身体も震えてはいなかった。


 ただ、恐怖でも、当惑でもない。見開いた目で、地面についた自分の手を、じっと見つめていた。

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