第13話

 インターフォンを押す。住宅街の一角、四角い箱からピンポーンと気の抜けた音が繰り返し鳴る。

 ちょうど顔の高さにあるレンズに、俺の顔が反射して見える。その後ろには、線路沿いに設置された高い金網フェンスが映っている。少し待つとインターフォンがつながった。


 「叔母さん、悠太です。来たよ。」

 「あ、もう三時なの、開いてるから入っちゃって。」


 俺の父の妹、良子叔母さんが早口で応答すると、すぐにインターフォンは切れた。前々から母に行ってこいと言われていたのだが、グズグズと先延ばししていた。家から十五分ほどの距離感が、また今度にしようと思わせてしまう。しかしついに、日曜日、旦那もいなくて暇だから話し相手に来いと、呼び出しを食らってしまった。

 ドアの前で立ち止まって、トートバッグを覗き込む。忘れ物はない。それを確認してドアを開けた。


 「お邪魔しまーす。」

 後ろで電車が通り過ぎる音がする。俺の声はその音と重なって廊下の奥へと抜けていった。



 「お待たせー、このロールケーキおいしそうねえ。」


 叔母さんが両手に小皿を持って、テレビ前のテーブルに置く。母に持たされたロールケーキがきれいに切り分けられていた。その断面からは、色とりどりのフルーツも顔を覗かせている。


 「ありがとう。」

 「いいのいいの。あたしが呼んだんだから。たまにはこうやって話し相手がほしくなるの。」


 そう言いながら、叔母さんはⅬ字ソファーのテレビに横を向く位置に座る。そして、小さなフォークを手に取って、すぐにロールケーキを食べ始めた。

 俺はテレビの前に屈んで、DⅤDプレーヤーにディスクを入れる。やはり映画は大画面だろうと思って、うちよりも大きなテレビのある叔母さんの家に持ってきたのだ。ボタンを押すと、ディスクは中に吸い込まれていく。しばらくすると、自動でテレビの表示が切り替わった。


 「あら、これ懐かしいわね。」

 「うん、ちょっと思い出してさ。」


 良子叔母さんは、俺が持ってきたDⅤDのパッケージを手に取って、目を輝かせている。裏返しては表返し、隅々まで読み込んでいた。


 「これって、悠太が昔見てたやつでしょ。一話完結で面白かったわよね。」

 「そう、その劇場版。見たくなってさ、ネットで探したら安くなってたんだよ。」


 俺は、綾芽とそのアニメの話をした夜、すぐにネットの中古検索をしてみた。一発でヒットしたが、ワンコインで手に入る値段になっていて、少しだけ落ち込んだ。しかし、今から考えると、それくらいの人気だったのだろう。よくそれで映画化までこぎつけたものだ。期間限定公開だったのも肯ける。

 再生が始まり、俺はソファーに戻る。テレビに正面を向いた位置は、映画鑑賞に相応しいところだ。リビングも片付いていて、視界に入るものも少ない。というか、そもそもこの家には物がない。もちろん、必要なものはあるが、必要最低限しかなく、これをミニマリストと言うのだろう。部屋にある数少ない物たちも、縦横にまっすく置かれていて、父の部屋や事務所と似ている。

 俺の前にも、まっすぐカットされたロールケーキにコーヒーが並べられていた。


 「ロールケーキ、ちょうどよかったわね、観ながら食べましょ。」

 「なんかいいとこのやつらしいよ。母さんが自慢してた。」

 「さすがレイちゃんね。あ、お砂糖はいらなかったわよね。」

 「うん。」


 俺はブラックのままコーヒーをすする。その間にも叔母さんは、カップに繰り返し砂糖を注ぎ込んでいた。その様子に毎度のように引いていると、ようやく本編が始まった。


 映画の内容は、綾芽がまとめていたようなものだった。ただ、子ども向けアニメだからか、外国といっても、架空の国であって地図上のどこかすら分からなかった。それよりも驚いたのは、本編のほとんどがシリアスな展開だったことだ。

 綾芽は簡単に、登場する悪者にも主張があるとしか言っていなかった。しかし、実際に見てみると、植民地問題、人種差別、解放運動、デモ活動に独立宣言、それを抑えて民主主義国家を目指そうと、武力行使に出る政府、内戦は過激化し、どちらの陣営も大切な人を失っていった。この泥沼化した展開の中で、独立宣言をしたリーダーが独占的な支配を目論んでいることが分かる。そこには、劇場版用の悲劇のヒロインもいた。それを知った主人公とライバル三人組は共闘し、ピンチに陥りながらも悪のリーダーを打ち倒す。そして、戦争も終わり、笑い合う人々のシーンが続く。だが、その背景には、崩れた町、倒れた人々、やせ細った子どもたち、戦争の傷あとが散りばめられていた。


 これはハッピーエンドなのだろうか。独立を目指した人々にも、それなりの理由があって、幸せを手に入れようとしていた。それが悪のリーダー一人のせいで無視されてもいいのだろうか。いや、そう言いながらも彼らは、政府側の人々に戦争を仕掛けた。それは幸せを求めているからといって許されることなのだろうか。

 もはや、子ども向けではない。確かに、主人公とライバル三人組が一時的に助け合って、強大な敵に立ち向かうその姿は、アツい展開だ。俺も小さい時には、それを楽しんでいたのだろう。しかし、年齢が変わると、見方も変わる。今の俺には、この映画はただのエンターテイメントではなかった。


 エンドロールが終わり、リモコンで再生を止める。叔母さんは、ティッシュを目元に鼻にと押し当てていた。テーブルを見ると丸まったティッシュが三、四個転がっている。


 「いい話ねえ。これが子ども向けだなんてもったいないわ。」


 良子叔母さんはまだ洟をすすっている。

 俺はプレーヤーのもとまで行ってDⅤDを取り出す。ディスクをパッケージに戻し、パチリと閉じる。その表面には、険しい表情の主人公とライバル三人組、劇場版のヒロイン役と、彼らの背後から影を落とした悪の親玉が描かれている。俺はそのパッケージを指でなぞる。


 「ねえ、この映画みたいに幸せを求めたぶつかり合いって、どうしたらいいのかな。」


 つぶやくように聞いてみる。叔母さんは空いた皿を重ねて片づけを始めていた。


 「そうね、全員の意見を尊重するなんて無理だと思うわね。一人ひとり考え方も違うんだし、これだけ人がいるんだから、全員、それは夢ね。」

 「それは、仕方がないからあきらめるってこと?」

 「そうとは言ってないわよ。悠太も社会出れば分かるかもしれないけど、大人の世界では、とにかく決めないといけないの。とりあえず多数決で決めて行動する、そうしないと何も進まないもの。」


 俺にもそれは十分理解できた。学校だって同じだ。クラス委員の決定、文化祭の出し物、体育祭の出場競技、学年のスローガン、授業中の意見交換も、どれもこれも全員の希望が叶っているわけではない。紛糾するときもあれば、誰かが譲って丸くおさまるときもある。そして結局は何かが決定される。でも、それで意見の対立が解消したと言えるのだろうか。

 伯母さんは言葉を続けた。


 「でね、一回決めちゃって、それからも、どうしたらいいか考えるしかないんじゃないかしら。」

 「折衷案を探すってこと?」

 「悠太もまだまだね。折衷案なんて譲り合いしてるだけで、どうせまた文句が出るのよ。」

 「じゃあ、どうするの。」


 伯母さんは右手の人差し指を伸ばして、見せつけるように立てる。


 「ぶつかった二つの意見を、まとめて叶える、もっと大きな方法を考えるのよ。間を探すんじゃなくて、新しいものを考えるの。」


 ああ、そんな方法もあるのか、と俺は納得しかけた。だが————。


 「それって、簡単に見つからないんじゃない。」


 叔母さんの言うことの一番の問題点。その大きな方法が見つからなかったから、映画ように対立したままだったのだ。


 「分かってるわよ、そんなこと。だから映画を作った人も、答えを見つけることができなくて、考えてほしかったんでしょ、見た人に。」

 「考え続ける、か。」

 「そ、悠太もどうしようもないことに出会って、考えて考えて考えるときがいつかくると思うわ。」


 伯母さんは皿とカップを持って立ち上がる。空いたカップの中には、叔母さんが作り出し丸いティッシュも入れられていた。


 「じゃあ、そろそろ夕飯つくるわね。ゆっくりしてて。」


 俺はソファーにかけてあるトートバッグを取る。空っぽのトートバッグには、誰にも邪魔されず、簡単にDⅤDを入れることができた。



 「悠太、最近、彼女できたでしょ。」

 「あ⁉」


 唐突な質問に、俺はカレーを落としてしまう。皿から口へと移動していたスプーンは、空中で停止してしまっていた。開いた口もそのままに。


 「あら、図星ね。」


 向かいの椅子に座る良子叔母さんは、にやつき顔でサラダにフォークを突き刺す。


 「いやいやいやいや、そんな話ないから、ていうかどこで聞いたのそれ。」

 「ご近所ネットワークを甘く見ちゃだめよ。」

 「そのネットワークでたらめだから、信用しない方がいいと思う……。」


 俺はあきれながらも、落としたカレーをすくいなおす。たぶん、誰の話をされているのかは想像がついた。


 「あらそう? 悠太が同じ高校の女の子と、制服着て歩いてたって聞いたけどね。これくらいの髪の長さで、ふんわりカールした子。」


 良子叔母さんは、左手を肩と胸の間あたりの高さで水平に動かす。

 間違いなく綾芽だ。おそらく、ショッピングモールに連れられた時にでも見られたのだろう。まさか、綾芽の容姿までご近所ネットワークで広まっているとは思わなかったが。


 「いや、ただの友達だから。クラスも違うし、知り合ったのも二学期からだし。」

 「そうは言っても、恋は一瞬なのよ。」


 また、叔母さんはにやつく。あらぬ噂でしかないし、叔母さんも勘違いしてしまっている。


 「だから友達だって。」


 そっけなく言う。どうにか誤解をときたいが、ただそう主張することしかできない。たぶん、何を言ったところで叔母さんの勘違いは暴走したままだろう。


 「じゃあ、内緒話なんだけど。」


 伯母さんはスプーンを置いて、声をひそめた。家には二人しかおらず、テーブルで向かい合っているのだが、顔を若干前に寄せてくる。


 「悠太、その子と一緒に、洋の事務所に勝手に入ったんでしょ。案外やるわね。」

 「————っ!」


 今度は口からカレーを吹き出しそうになった。あの日の話がここでくるとは。しかも、父以外の人から。もう完全に消えてしまった話とばかり思っていた。ましてや叔母さんが知っているとは意外だ。


 「ど、どうして知ってるの?」


 できるだけ動揺を隠す。だが、どうしてもぎこちなくなってしまう。


 「そりゃあ、洋が教えてくれたからよ。」

 「そう、だよね。」


 当たり前のことを聞いてしまった。あの場には俺と綾芽と父しかいなかったのだ。その中で叔母さんに話せるのは父しかいない。それよりも、父はあのことを有耶無耶になどしていないと、これではっきりした。本当になかったことにしたければ、自分の胸に秘めておくはずだ。


 「父さんはそのこと、なんて言ってた?」

 「さあ、雑談の合間にちょっと話した程度だったから、別にコメントしてなかったような……、あ、でも悠太には話すなって言われたから、秘密にしといてね。」

 「そう、うん、わかった。」


 おしかった。もしかしたら、父があの日のことを話題にしない理由が聞けるかと思ったのに。それに、父が隠そうとしていることのヒントも得られると思った。だが、実の妹にも秘密にしているようだ。


 「じゃ、じゃあ、そのとき一緒にいてたのが、乙訓綾芽さんってことは聞いたの?」

 「あら、綾芽ちゃんって言うんだ、やっぱり彼女なのね。」


 どうやら名前までは聞いていなかったらしい。今、うっかり教えてしまったが。


 「だから、彼女じゃないって……。」


 また、とりあえずの否定をしておく。だがそのとき、ふと気づく。父はあの日、俺と一緒にいたのが綾芽だと知っていたのだろうか。そう言えば、突然帰って来て、そのまま綾芽を帰していたと思う。あれは、いち早くその場から帰らせたかったからなのか、それとも綾芽だと知っていたからなのか。そもそもあの日、父は出張だったはずだ。それなのに、なぜあの時間に帰って来たのか。すべてが突然で、場に流されていたから考えもしなかった。考えていると手が止まる。カレーもあと一口だった。


 「まあ、今はそういうことにしておくけど。おかわりは?」

 「あ、うん、食べる。」


 急に現実に連れ戻されたような感じがする。俺は慌てて最後の一口を食べ、皿を手渡した。叔母さんは自分の皿も持ってキッチンへ向かって行く。向こうから炊飯器の開く音がした。


 「悠太がどうするかは勝手だけど、付き合うなら覚悟しなさいよ。」


 姿は見えないが、叔母さんの声だけが飛んでくる。


 「覚悟って、そんな大げさな。」

 「そりゃ大げさよ大げさ。ただの人付き合いじゃないんだから。」

 「確かにそうかもしれないけどさ。」


 そうしている間にも、鍋にお玉がぶつかる音がする。


 「大切な人をもつって楽できるわけじゃないから、なんならいやところは見つけちゃうし、ケンカだってするし、問題だってあるし。」


 経験者が語るような口調になっていて、大したことを言っていなくても、なんだか生々しく聞こえる。


 「問題って何がある?」


 伯母さんがスリッパを擦りながら戻ってきた。


 「そうねえ、まあ、いろいろよいろいろ。」


 答えにもなっていない答えで、カレーが置かれる。そこでは、ご飯とルーが真ん中で、まっすぐに分かれている。この細かい性格は、やはり父に似ている。


 「とにかく、その綾芽ちゃんって子と何かあるなら、きちんと覚悟をもって付き合いなさい、友達でもね。っていう叔母さんからの、アドバイス。」


 それだけ言うと、叔母さんはおかわりしたカレーを、うん、私が作ればおいしいと自画自賛しながら食べ始めた。

 俺は、なんだか辛口にしたくなって、そばに置いてあったスパイスをこれでもかと振りかけた。

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