第10話

 ショッピングモールを出てからも、行先は教えられず、二人で河川敷を歩いていた。時刻は午後三時を回っていて、空も夕方の気配を見せてきていた。


 町を南北に走るこの小さな川は、子どもが遊べるような広さもなく、地元の人の散歩コースくらいでしか用がないようなところだ。川岸の草も伸び放題で、川面があまり見えていない。目線の高さでトンボが飛び回っているが、綾芽が気にする様子はない。トンボの方が避けてくれていた。


 「ねえ。ふつうってなんだと思う?」

 「なんだよ急に。」


 また突然、話題が変わった。それも、これまでの面白おかしいような話し方ではなく、つぶやくような静かな質問だった。


 「私、たまに考えるの。ふつうの人ってどんな人なのかな、私はふつうの人なのかなって。」


 綾芽は膨らんだスクールバッグを小脇に抱え、一歩一歩進む自分の足先を見つめている。


 「うーん、大体の人はふつうなんじゃないか。俺の父さんも市議会議員ですごいって言われるけど、ときたまある休みの日とかは、一日中パジャマで過ごしたりして、ただのオッサン丸出し。」

 「フフッ、それはオッサンだね。」

 「だろ? みんな、自分の見えてる姿がその人のすべてだと思っちゃうんだよ。市議会議員は家でも市議会議員してるって。言われてみればそんなことないのに、案外そう考えてるんじゃないかなーって思う。」


 自分で言いながら、それは自分にも当てはまっていると思う。あの有名なサッカー選手はいつでもどこでもテレビで見るあの姿のままで、本で見る偉人もいつでもどこでも偉人の姿のままでいた、なんとなくそう考えている。そうではないことだってあるだろうに。


 「でも……、その人の外側しか見れないなら、それが見る人にとってのその人なんじゃないの。」

 「そう、かもな。」


 俺は父さんのことを生まれてからずっと知っている。だが、テレビや本で見る人は、テレビや本で見る人としてしか知らない。だから、その人の内側を想像したところで絶対に分からない。最終的には、外側だけでその人を判断するしかできないのかもしれない。


 「で、それがどうしたんだ?」


 とりあえず、自分の考えをつらつらと話してしまったが、綾芽の意図することは何なのだろうか。


 「私だって、陰でなんて呼ばれてるかくらい知ってるんだから。」

 「ああ……。」


 乙訓嬢。今里の口から初めて聞いたその呼び名が思い出された。

 老舗料亭の一人娘。多分お金持ち。たったそれだけのことで、この辺りではお嬢様扱いされてしまう。俺だってそう知ったなら、お嬢様だなあ、と思っていたに違いない。


 だが、それがもし自分だったらどうなのだろうか。

みんなと同じように幼稚園に行き、同じ小学校、中学校、高校へ通う。勉強していることだって同じ。同じような朝ごはん、昼ごはん、夜ごはんを食べて大きくなる。朝に起きて、昼はウトウトして、夜は寝る。頑張るときもあれば、サボるときだってある。ゲームだってするし、漫画だって読む。特別なことをしようとはしていない。しかし、それでも特別に見られてしまう。

 色々と想像してみたが、実感は湧いてこなかった。俺は自分のふつうさが自分でも分かるし、他の人からもそう思われていると思っているから。だが、綾芽は違うのだろう。


 「まあなんだ、俺から見たら綾芽だってふつうじゃないか。ふつうにラーメン食うし、ドーナツもふつうなやつ選ぶし、俺よりデカいハンバーガー食うしさ。ふつうだよふつう。」


 なんと言えばいいのか、こういう時の答え方が分からず、しどろもどろに思いついたことを片っ端から挙げていった。

 俺がすべて言い終えると、前を歩く綾芽はくるりと回ってこちらを向いた。


 「そんなの、知ってしー。」


 冗談めいた調子で言うその姿は、さっきまでとは違い、楽しそうな綾芽に戻っていた。そして、河川敷を逸れて住宅街へ入る小道へ進んでいく。


 「てか、私食べてばっかりじゃん。そんなふうに思ってたの。」

 「いやー悪い悪い、ついな。」


 俺の言ったことに、ご不満の様子だ。だが、俺たちの会話は、また中身のない雑談に戻り、そのまま住宅街の中をクネクネと入り込んでいった。



 「ここ。」


 そう言われて立っているのは、住宅街のどこかの家の裏。細い道を右へ左へ何度か折れて行って、ようやくたどり着いた。地元だからなんとなく自分のいる場所は分かるが、ここまで来たことはない。この辺りは小金持ちが住むようなところで、人がいないかのように周囲は静かだった。

 綾芽が見上げる先を見る。目の前に建っている塀はやけに高く、塀の上には有刺鉄線まで張られていた。だから、塀の外からは中に建つ家の屋根しか見えず、様子をうかがい知ることすらできない。


 「ここが、なに?」

 「勝城組かつじょうぐみの事務所よ。」

 「はぁ⁉」


 さらりと言う綾芽の言葉を聞いて、俺はもう一度そびえ立つ塀を見上げる。


 「ただの家じゃないか。」

 「なに? どんな暴力団事務所を想像してるの?」

 「いや、なんかデカい門に、門番がいて、豪華な家で、リムジンがあって————」


 俺はドラマや漫画で見たことのあるような、悪い人たちが住むとにかく大きな屋敷を想像する。


 「そんわけないでしょ。暴力団って言っても、どこかには住まないといけないし、だからっていちいち騒がれたくないでしょ。だから案外普通の住宅街に、普通の家を事務所にしてたりするの。」

 「そういうものなのか。」

 「そういうものなの。」


 やはり、何度周りを見てもただの住宅街で、辺りに建っている家々も見たことのあるようなものだった。だが、問題はそこではない。


 「それで、どっか遊びに行くんじゃないのか。」

 「だから遊びに来たんじゃない。」

 そう言いながら、綾芽は鼻歌交じりに膨らんだスクールバッグを地面に置き、チャックを開ける。中からは、季節外れの大きな筒が綾芽の手に掴まれて出てきた。


 「なんだよそれ。」

 「知らないの? 打ち上げ花火。」

 「いや知ってるから。どうするんだよってこと。」


 綾芽はまだスクールバッグの中を探っている。これ以上何か出てくるのだろうか。俺は地面に置かれた筒を見るが、『夜空に舞う40連発』という文字は、もう物騒なものとしか読めなかった。


 「いやー、季節終わっちゃってるから売れ残り探すのに時間かかっちゃってさー。大変だったんだからー。」


 綾芽はスクールバッグからさらに取り出した着火ライターを振って、勝手に苦労したと話し出す。俺の質問に対する答えは、察しろということなのだろう。


 「いやいやいやいやいや、ありえないから。」


 俺は綾芽の手から着火ライターを奪い取る。安物のそれは、すでに安全ロックが解除されていた。しかし、綾芽は怒る様子も、奪い返そうという様子もない。


 「あら、じゃあそれは悠太君の分ね。私はこっち。」

 「別に俺はしないから。」


 このことも分かっていたのか、綾芽はポケットからもう一つの着火ライターを取り出していた。またもや振り回されるそれは、俺が持っているものの色違いだ。


 「やめろって、こんなところで打ち上げ花火なんてやっていいわけないだろ。」

 「だからいいんじゃない。」

 「……まさかじゃないだろうな。」

 「察しがついてるじゃない。そのまさかよ。」

 「嘘だろ……。」


 ここまできて、綾芽がしようとしていることに気づかないわけがない。綾芽は俺の父と勝城組との関係についてまだ調べようとしている。それにしても、その方法がまた問題だ。


 「だけど、そんなことしても目立つだけだろ。前みたいに忍び込むなんてできないだろ。」

 「うん、忍び込むつもりなんて元からないから。」


 予想と違った。


 「じゃあなんで打ち上げ花火なんだよ。」

 「暴力団なんて一般人がいきなり行っても門前払いされるだけよ。だから正々堂々と喧嘩売って話そうってこと。」


 結局、言っていることの無茶苦茶さは変わらなかった。俺たちはそれぞれ片手に着火ライターを持ちながら言い合いを続ける。その間に挟まれるようにして『夜空に舞う40連発』は低くそびえ立っていた。


 「どうせ打ち上げ花火くらいじゃ、門前払いになるんじゃないか。というかどちらかと言うと警察のお世話になる話だろそれ。」

 「何よ。やってみないと分からないでしょ。」

 「いや、やらなくても分かるから。」


 またもや俺たちの意見は平行線をたどっていく。この前、俺の家の前で言い合ったときと同じだ。


 「別にやったって死ぬことじゃないんだから、やってみた方がいいじゃない。」

 「確かに死なないけど、これはダメだろ。」

 「なんでそんなに言い切れるの。やったことでもあるの。」

 「ないけど、ダメだし無理だって。」

 「じゃあ、言い切れないじゃない、とりあえずやってみるのが正解なの! これだからビビりは。」

 「だからビビりとか関係ないって。誰だっておんなじこと考えるぞ。」

 「悠太君は、やらなくて後悔したこととかないの?」

 「あるけど、これはやらなくても後悔しない。」

 「私は後悔するの、だからやるったらやるの!」


 綾芽は素早く地面に置かれた筒を手に取って、俺から小走りで離れていく。そのとき、スクールバッグに足を引っかけて倒したが綾芽はそれを見てすらいない。相変わらず周囲に人影はなく、路地を抜ける風だけがあった。


 「おい、ちょっと。」


 追いかけて綾芽の左腕を掴むと、そこにはまだ筒が掴まれていた。だが————。

 「火、ついちゃった。」

 「……!」


 筒底からのびる長い線の先がジリジリと焼け進む。何か、何とかしようとするが、どうしていいものか分からず、俺は無意味に手をアワアワさせる。


 「どうするんだよ、どうするんだよ!」

 「こうするの、よ!。」


 大きく振りかぶった綾芽の手から、長い筒が離れていく。それは打ち上げまでの残り時間を短くしながら、高い塀を越えていく。飛んでいくその姿が俺の眼から離れない。


 「打ち上げるんじゃないのかよ!」

 「よし。」


 綾芽は投げた筒が塀を越えるのを見届けると、倒れたスクールバッグまで駆け寄り、中からもう一つ、別の筒を取り出した。

 そのとき、塀の向こうから、バチバチ、ドン、バチバチッと打ち上げ花火の音が鳴りだした。あれだけの大きさだったからか、次々と繰り出される音も耳に痛いほどうるさい。塀の中から、カラフルな火花がチラチラと飛んで見える。

 俺がそちらに気を取られていると、今度は近くから熱を感じられた。綾芽の方を振り向くと、目の前では、俺の身長を優に超える光の花が噴水のように咲き乱れていた。


 「おいおい、なんでだよ!」

 「ほら急いで、これで人が出てくるはずよ。」


 綾芽はスクールバッグをひっ掴み、塀の角を曲がって路地へ走っていく。もう止めようがない。俺は言われるがままについて行くだけだった。そして、町中に上に打ち上らない打ち上げ花火の音と、噴水花火のシュワシュワする音が響く。静かさのために反響しているようにも聴こえる。


 するとついに、綾芽の予想通り塀の中からどすの利いた怒鳴り声がした。おいなんだ、裏見てこい、誰だゴラァ出てこい。その轟く声でもう逃げ出したくなってくる。

 だが、綾芽の指示で、俺たちは路地裏を出て何も知らない顔をして歩いた。前から体格のいいスーツ姿の男が二、三人走ってきたが、俺たちの横を通り過ぎる。その瞬間だけでも死にそうな気分になる。


 建物の正面側まで出てくると、二つの花火の音も鳴りやんでいた。しかし、それと入れ替わるように、犯人を捜す叫び声が響くようになった。オラァどいつだぁ! 探せ! そういう声が少し遠くからも、そしてすぐ背後からも聞こえる。ただ、それを聞きながらも、俺たちは素知らぬふりをして歩く。

 ようやく視線の先に開いた門扉が見えてきた。すると綾芽は俺の手を取って突然走り出す。


 「今のうちに入るわよ。」

 「入ってどうするんだ!」

 「知らないって、どうにかなるでしょ。」


 そして勢いそのままに門扉をくぐったが、俺たちは立ち止まるしかできなかった。


 「んだテメェら。」


 俺たちの目の前には、派手なスーツを身にまとった男が三人立ちふさがった。俺よりも身長も高ければ、身体も大きい。


 「やばぁ。」


 綾芽は小声で、今の状況をすべて説明してくれる便利な言葉を言ってくれた。これは間違いなくどうしようもない。逃げても捕まるのがオチだろう。


 「テメェらがやったのか!」「オラ!どうなんだ!」「このクソガキがぁ‼」


 男たちは徐々に詰め寄ってきた。俺たちもそれに従って、後ろへ退いていくが、背後にも外に出ていた男たちが戻ってきていて、完全に逃げ場を失っている。

 男の中の一人が俺の胸倉をつかむ。だが、ふいに男の動きが止まった。


 「どうした、騒々しい。」


 家の方から、また新しい男の声が届いた。姿は見えない。しかし、それと同時に、殴りかかろうとしていた男が俺のシャツを離した。

 そして、静かになった男たちは俺たちの前をあけていき、声の主の姿が見えるようになった。


 「おお、これはこれは。」


 顔を見合った瞬間は、眉間にしわを寄せ、苛立ちを見せていたが、それはすぐに柔らかい表情と温かい声音に一変した。いつの間にか、周りで盛んになっていた男たちは皆、姿勢正しく頭を下げている。


 「ようこそお越しくださいました。」


 スキンヘッドにピンストライプのダブルスーツ、口元には髭を蓄えたその男は、笑顔でそう言った。

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