第2章

第9話

 チャイムが鳴る。それと同時にシャーペンを机に置く。そこら中から、終わったー、疲れたー、絶対やばい、赤点かもー、やっと遊べるー、とにぎやかな声が飛び交い始める。後ろから解答用紙が回されてきて、自分の分を重ね前に渡すと、これで今日のやることはなくなった。これまでの疲れを抜くように背伸びをし、首や腰をポキポキと鳴らす。ここ数日で肩も凝っていたようだ。そして、せっせと帰り支度をしている間に、回答用紙の回収も終わり、黒板に大きく書かれていた二学期中間考査という文字も消されてしまっていた。


 ホームルームの後、いつものように今里が俺の席へ来た。試験を乗り越えた開放感からか機嫌がよさそうだ。


 「おう、どっかで昼食ってくか?」

 「そうだな、俺も考えてたとこだ。」

 「試験も終わったんだぜ、ちょっといいとこ行こうぜ。」


 俺はその質問にうなり、少しだけ考える。試験日で早く学校も終わっていて、まだ十一時すぎだ。

 そうしている間にも、部活へ行く連中は弁当を広げ、何もない連中は駄弁っていたり、もう帰ったりしていた。外は残暑もなくなり、秋晴れらしい清々しい青さを両手に広げている。今里はどこがいいかなあと言いながら、スマートフォンを叩いていた。

 その時、廊下側、目の端にチラと見えたものがあったが無視しておく。しかし、今里はしっかりとそれを認め、わざわざ俺に確かめてきた。


 「おい、乙訓嬢ほっといていいのか。」

 「いいんだよ、別に呼ばれてないし。」


 俺は無視の姿勢を貫こうとスマートフォンを出す。これから食べに行く店でも探そう。


 「お前もツンデレさんだなー、呼びに来たんだよ。」

 「ツンもデレもしたつもりはない。」


 だいたい、綾芽がうちの事務所を調べると言って押し掛けてきたおかげで、余計なことを知ってしまった。しかも、父に見つかってしまった。もしかしたら、あの探偵ごっこの続きをするとでも言い出すかもしれない。そんなことに絶対に乗るつもりは毛頭なかった。


 だが、とうとう綾芽が教室に顔をのぞかせてきた。すでにその表情は嬉々としている。


 「悠太君ー、あそびいこー。」


 あたかも約束していました風な、間延びしたセリフが俺に向けられる。そして、以前にもあった二人の関わりへの好奇の視線も幾らか向けられる。


 「ほらな。」

 「まじか……。」


 今里は観念しろと俺の肩に手を置く。俺のスマートフォンは地図アプリを起動しただけで、何も調べられていなかった。


 「お前もついてきてくれよ。」


 俺は頭を抱えたまま懇願してみる。今里が間に入ることで、俺の気分も少しは楽になるかもしれない。というか今里にすべて投げたい。


 「はぁ? やなこった。二人の間を邪魔するほど俺も野暮じゃないんでね。」

 「別に何の関係もねーよ。」


 これは少しだけ嘘。今里が期待しているような関係ではないが、確かに俺と綾芽はすでに関係してしまっている。主に俺の父に関してだが。

 結局、今里にはあの日のことを話していなかった。話せるはずもなかった。なんだか、今里に隠していることが増えていっている。話してしまおうかと何度も思ったが、ついにその勇気が出なかった。

そのおかげで、胸の中には言いようのない申し訳なさが巣くっていた。


 「おーい、はーやーくー。」


 教室前方のドアに手をかけながら、綾芽が呼びかけてくる。綾芽は、もう待ちきれないのか全身をぶらぶらさせている。そこにいる誰よりも大きな動きは、肩にかかるスクールバッグと、肩下まで伸びてふんわりカールした髪にスカートまでゆらゆらさせて、余計に目立っていた。


 「ほら、お姫様がお呼びだぞ。」

 「うるせー。来ないくせに。」

 「ああ、また今度な。」


 そう言うと今里は教室後方のドアから足早に帰っていった。俺と昼を食べに行くことは流れてしまったらしい。今里に変な気を使われてしまった。綾芽の方を見ると、一人になった俺をニヤニヤと眺めている。楽しそうなその表情からは、ほら、予定もないんでしょ? という声が今にも聞こえてきそうだ。


 俺はスクールバッグを肩にかけ、綾芽のもとまで向かう。俺が近づくにつれて、前かがみ倒れ込んでいた綾芽の姿勢もまっすぐになっていく。そして、俺と相対すると決まったことのように言う。


 「じゃ、行こ。」

 「あのー、一つ伺ってもよろしいでしょうか。」

 「うむ。よかろう、申すがいい。」


 時代劇に出てくるような殿様口調で、綾芽は腕を組んでいる。


 「私に拒否権はないのでしょうか。」

 「フフッ、ありませーん。」


 冗談っぽく言うと、綾芽はヒラリと方向を変えて廊下を歩きだした。足取りは何だか軽やかに見える。俺が立ち止まっていても、振り返ることなく進んでいく。ちょうど下り階段に差し掛かったところで綾芽は俺が動いていないことに気がついたようだ。


 「ほらー、先行っちゃうよー。」

 「はぁ。」


 俺の午後の予定が決まってしまった。今里は帰ってしまったし、家に帰ってすることもない。

 綾芽は結局、先に昇降口に向かい、俺は後を追ってゆっくりと自分の下駄箱までたどり着いた。のんびり靴を履き替えていると、離れた所から足音がやってきて俺の隣で止まる。クラスが離れているから、下駄箱の場所も離れている。


 「よし、じゃあ行こっか。」

 「どこ行くんだよ。」


 俺はもっと早くに聞くべきだったことを今さら聞く。また何に付き合わされるのか知れたものではない。


 「ん? だから遊び行くの。」

 「それだけ?」

 「それだけー。」


 綾芽は俺が履き替えたのを見ると、昇降口を出て行く。遊びに行くなら事前に連絡してほしいとこっそり愚痴を言ったところで、綾芽の連絡先を知らないことを思い出した。だが、いつか聞けばいいだろう。

 外に出て見えるグラウンドには、もう野球部やらサッカー部やらが準備を始めていて、ネットや道具が広がっていた。軽く流れてくる風は涼しく心地よかった。



 また綾芽について行く形だったが、今日は横に並んで歩いた。テストはどうだったか、休日は何をしているのか、趣味は何か、好きな食べ物は、嫌いな食べ物は、昨日見たテレビは、他愛もない雑談が俺たちの間で交わされた。

そして、綾芽の方からあの日の話はついに出てこなかった。


 「ここ?」

 俺たちは学校から一番近い、大型ショッピングモールに来ていた。普段からよく来る場所で、うちの高校生なら一度は寄り道で来るような場所だ。今日も、学校が早く終わっているせいで同じ学校の生徒が来ているだろう。


 「ほら、行こ行こ。」


 またもや俺は綾芽の後をついて行く。特に俺も用事があるわけでもなく、行きたい場所があるわけでもなく、俺の意志は関係ない。だが、遊びに行くと言っていた通り、ショッピングモールが目的地であったことに内心、安心はしていた。


 入ってからも綾芽は自由に服を見て回ったり、雑貨店に寄ったり、本屋で立ち読みをしたり、かけもしない眼鏡をかけてみたりと、遊んで回った。俺もそれぞれの店で、まあ似合ってるんじゃないの、それいるのか、その本はもう読んだ、眼鏡が似合わないなあと、あれこれ素っ気なさを見せないように返事をしていった。綾芽は最終的に何も買わなかったが、俺にも店を回る姿は楽しそうに見えた。

 そうこうしている間には、そう言えば綾芽の冬服姿は初めて見るかもしれないと、何にもならないことが頭をよぎったりした。

 目についた店舗にフラフラと立ち寄っていると、もう午後一時を回っていた。


 金曜日、平日の昼ということもあってか、フードコートに人は少ない。大量に並べられたテーブルとイス。楽しそうな話声。うちの高校生も幾らかたむろしている。その中に俺たちも紛れ込んでいた。

 トレーに置かれていた巨大なハンバーガーは、向かいに座る綾芽に軽々と食べられ、もう一欠けらになっている。俺と綾芽は冷えたポテトをつまみながら中身のない話を繰り広げていたが、ふいに綾芽の手が止まった。


 「ねえ、あの日の後、お父さんと何か話した?」


 急に話題が変わってしまったが、俺も驚きはしない。俺たちの間にある共通の話題などこれしかないから。このことを話さないのなら俺たちが会っている理由すらないだろう。


 「別に。あの後は寝ただけだし、朝起きても父さんはもう出かけてた。」

 「別の日は? さすがに会ってるでしょ?」


 綾芽は念を押すように質問してくる。


 「うーん、会ってはいるけど父さんから話しかけてくることもないんだよなあ。だから俺も話づらくて。だから、大した話はしてない。」

 「そうよね……。」


 何かに納得したように綾芽は顎に手をやる。その左手首には前と同じ黄色いシュシュが付けられていた。


 「何が、そうなんだ?」

 「いやあのね、あんなことがバレたのに、何もなさすぎるの。」

 「何もなさすぎる?」


 俺はおうむ返しする。


 「そう。私もあの日は悠太君のお父さんにお金を渡されて、前に待たせてあるって言われたタクシーで帰ったの。でも、家に着いてもみんな寝たまんまだったし。てっきりお父さんに電話されてると思ったのに。」

 「夜中だったから連絡するのも遠慮したんじゃないか?」

 「そんなわけないでしょ。私たち犯罪スレスレのことしたのよ。」


 綾芽は「犯罪スレスレ」という部分だけ小声になって言う。だが、あれはスレスレではなく、れっきとした不法侵入だ。俺は家族だから、あの行為にどういう名前がつくかは分からないが。


 「まあ確かに、怒られる以前に話題にすらされないのはなー。」

 「そう。私だって親から何も言われないもん。とっくに連絡くらい入ってるはずでしょ、それなのに何もない。おかしくない?」

 「うーん。」


 おかしい、そう言われてみればそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺は何も言われないという不自然さを気にもしていなかったのだと今気づいた。俺が考えている間にも、綾芽はハンバーガーの最後の欠片を口に放って、包み紙を小さく折りたたんでいった。


 「でも、それって暗に忘れろってことなんじゃないか。」

 「それそれ! 忘れろってことは、忘れてほしいってことでしょ。」

 「だから何だよ。」

 「勘鈍いねー。決まってるでしょ、忘れてほしいほどヤバい秘密だったってこーと。」


 「ヤバい、秘密か。」

 たったそれだけの言葉で綾芽が何を指しているのかは分かった。父と勝城組との関係。俺たちがあの夜見た紙には、父が勝城組について話しているところが確かにあった。だが、それ以外は何も分からない。父と彼らとの関係が善いものなのか悪いものなのかも分からなかった。


 「だけどさ、もう関わらない方がいいんじゃないか?」

 「嘘でしょ⁉ 自分のお父さんが怪しいんだよ、ちょっとくらい気にならないの。」

 「……気にはなるけど————」

 「『何も起こってないんだから、何もしない方がいい』、って思うんでしょ。」


 綾芽は俺の言葉の遮って続きを言ってのける。


 「ああ、そうだよ、悪いか。」


 自分の性格が見破られているようで気に食わない。俺からの返しはぶっきらぼうになってしまっていた。


 「悪くはないけど、面白くもない。」

 「俺は面白くない方向でいきたいんだよなあ。」


 そうしてカップに刺さったストローを吸ってみるが、もう中身がなくなっていて、ズルズルと氷の解けた水と空気を吸う音が鳴る。分かっていながらカップをゆすっても、中は空だ。


 「でも、面白くないと楽しくないでしょ。」

 「なんだそれ、おんなじようなこと繰り返してるぞ。」

 「いいの、伝わってるから!」


 綾芽は言いながらも、テキパキとトレイの上を片付け、俺の分まで重ねてゴミ箱へ捨てに行ってくれた。

綾芽は戻ってくると、すぐにスクールバッグを肩にかけ、俺を催促してくる。


 「だから、遊び行こ。」


やはり今日は機嫌がよさそうだ。


 「え? 今遊んでるんじゃないのか。」

 「これから、もうちょっと遊ぶの。」

 「どこ行くんだよ。」

 「んー、秘密!」


 俺に予定を教えてくれないスタイルは変わらないらしい。しかし、この状況にも慣れてきてしまっていた。とりあえず、今日の所はぶらぶら回って遊んでいるだけで、俺自身楽しくないわけではない。

 ただ、綾芽はフードコートを出たところで、突然立ち止まり、思い出したように振り返った。


 「そうだ! 買いたいものがあったんだ。先に正面から出て待っててよ。」

 「ん? 別に俺も行くけど。」


 これまでだって散々、お店に付き合わされてきたのだ。今さら待てと言われても分からない。


 「もー、乙女の秘密に触れちゃダメって教えてもらわなかったの。」

 「俺の父さんの秘密には触れようとするくせに。」

 「おおー、上手いこと言うね。」

 「上手くない。」

 「じゃあ、先降りててね!」


 結局、綾芽は人の話も聞かず、エスカレーターを走って降りていった。俺も同じエスカレーターを降りるはずなのだが、そんなに見られたくなかったのだろうか。それに、乙女の秘密などと言われてしまうと、俺もそれ以上頑固になってついて行くつもりもなくなっていた。大人しく言われた通り待つことにしよう。


 ただ、一階まで下りて、外に出たすぐの辺りで二十分ほど待たされた。もうどれだけ出入りする人を見ただろうか。さすがに待ちくたびれてきたとき、当の待たせ人が自動ドアをくぐってきた。お待たせと声をかけてきた綾芽は先ほどと何も変わっていなかったが、肩にかかっているスクールバッグはさっきよりも膨らんでいた。

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