第2話

 「店長! いつものを二つ!」

 「セットを二つねー?」

 「そう!」


 俺を隣のカウンター席に座らせた彼女は、常連なのか、慣れた口調で俺の分まで勝手に注文を済ませた。すぐにここから帰してくれないらしい。


 店内は俺と彼女の座る横一列のカウンター席しかない。テーブルはかつて塗装が施されていたのか、もう擦れて傷がつき色が剥げている。回転式の丸い椅子の皮も、ところどころ破れている。厨房も人一人分しかない広さで、おそらく店主であろう人しかいない。店主は、ラッキーラーメンと大きく書かれた黒い半袖シャツ姿で、ガッチリした体型をしているが、五~六十歳という様子だ。けれど、店や店主すべての特徴が相まって、知る人ぞ知るラーメン店の雰囲気が醸し出されていた。


 カウンターの向こうから調理の音が聞こえ、湯気がモクモクと上がっている見えると、彼女は楽しそうな笑みを浮かべこちらを向いた。日曜日にもかかわらず彼女は制服姿で、しかもボタンは緩められていて、結構ラフな着こなしだ。半袖で露わになっている腕は、雪のように白かった。スマートフォンを置くと、肘をついて首をかしげてきた。


 「さて、君はどこから話してほしいかな?」

 「どこからって言われても……。」


 俺にとっては、すべてが未知の状態だ。どこから何を言われても新情報になる。なんで、わざわざ俺が質問する形なんだ。やっぱりおちょくって楽しんでいるのか。


 「そうだなあ、これからの話はいたずら? それとも真面目な話?」

 「真面目な話。」


 即答だった。俺が質問を終えた途端、彼女の柔らかい表情が険しくなった。だが、それはすぐに元に戻り、再び質問がくる。


 「それで、次は?」

 「君は? 同じ高校みたいだけど、会ったことはないはずだし……。」

 「やっぱりそこからか……。ちょこっと落ち込むなあ……。」


 勝手に落ち込まれても、知ったことではない。それに、向こうがこちらを一方的に知っているのは、なんだかフェアじゃない。


 「まあいいや。はじめまして、私は乙訓おとくに綾芽あやめ、同じ高校の同じ一年。君知らない? 天満宮の中にある料亭、あそこの一人娘ってわけ。だからこの町では結構有名なはずよ? 老舗で超一流、有名人やお偉いさんがいつも来ててね。それで、そこから通う私もなんだか注目されちゃうのよね。あ、私は何にも手伝ってないけどね。」


 この手の自己紹介には飽きているのか、話している内容は理解できるが、話し方が整いすぎている。原稿が用意されているようで、それに感情を込めて読んでいる感じだ。

 話している目線も、その時だけはどこか遠くに向かっていた。


 「ああ、料亭があって有名なのは知ってたけど、君まで有名とは知らなかった。少なくとも俺は今日初めて知ったよ。」

 「それがびっくり。君、この町の出身でしょ? それに父親が市議会議員なんでしょ? それでなんで知らないの。」

 「確かに、父さんは行ったことがあると思うけど、俺がついて行くようなことじゃないだろうし、それに、俺と君は小中が違うんじゃないか?」

 「そういえば、そうだったかな? ああ来た来た。」


 カウンターの向こうから店主の毛の濃い太い腕に支えられて、ラーメンが二つ出てきた。彼女はそれを受け取ると、割り箸を俺にも渡して、手首につけていたシュシュで髪をまとめて食べ始める。チラリと見えた首筋も白く細長く、触れれば折れてしまいそうだった。だが、テキパキとした動作は気の強さを垣間見させる。


 「うん、今日も普通においしい。普通が一番。」


 俺もそれにならって麺をすする。そうだ、確かに普通においしい。絶品ではないがおいしい。

 彼女はハフハフ言いながら、どんどん食べ進める。少しの間だけ、狭い店内にズルズルと麺をすする音と厨房の音が続いた。


 「それで、なんだっけ?」

 「俺と君の小中の話。」

 「そうそう、それそれ。」

 「まさか本当にこの一瞬で忘れてたのか?」

 「ウソウソ、このシチュエーションを一回やってみたかっただーけ。」


 そう言いながら、彼女はラーメンの続きを食べている。それに、『秘密』というキーワードで呼び出しておきながら、彼女の振舞いや話し方に緊張感がなかった。


 「えっとね、私の小中は地元の公立で、君は小学校が公立だけど校区違いで私とは会ったことないってこと。それで、君は中学受験をして今の学校に行ったから中学でも会わなかった。だから、私を知らない。これで簡単な整理はついた?」


 彼女は片手で指揮者のように割り箸を振りながら話を進める。料亭の一人娘とは思えないほど行儀が悪い。別に俺が指摘する立場でもないし、俺だって行儀にうるさいわけじゃない。

 それよりも、やっぱり俺の小学校や中学受験のことくらいは知っていた。予想はしていたし、同じ中学出身のやつなら誰でも知っていることだが、初対面の彼女の口から言われると、なんだか落ち着かない。


 「ああ、というわけで、俺が君をまったく知らないっていう状態を理解してくれ。」

 「ええ。でも一番知りたいのは私の素性ではないでしょう?」


 そう言う彼女は、やはり楽しげだ。ラーメンが好きだからだろうか。それとも、差出人不明の手紙でまんまと呼び出された俺が面白いのだろうか。

 そうこうしていると、今度はチャーハンがカウンターの前の台に置かれる。彼女は顔をパッと華やかせて取ると、目の前のある小箱から蓮華を二つ取り出して俺に差し出すと、早く食べようと催促してくる。いつの間にか彼女は、ラーメンもほとんど食べ切っていた。


 「じゃあ、質問。なんで手紙? もっと伝える方法はいくらでもあっただろう?」

 「一番お手軽で、差出人が分からない方法だと思ったからよ。それに絶対に返信もできないでしょ。SNSを使うのも今時あるけど、それだと捨てアカがいるでしょう。そんなの面倒だし。あと、下駄箱なのも、簡単に入れられるから。」


 聞いたことがポンポンと返ってくる。そして、彼女の言っている通りだろうとも思う。ペンで紙に書いて、伝えたい相手に渡す。それが言いたいことを伝える一番簡単な方法だろう。それに、今回はその方法で俺を呼び出すことに成功している。

 俺が少し考えている間にも、彼女はホフホフと言いながら、チャーハンを口に運ぶ。熱いならゆっくり食べればいいものを。

 食べながらも俺は、思いついた疑問をぶつけていく。


 「次、なんで手紙から呼び出す日まで一週間も空けたの?」

 「それはね、その間の君を観察してたから。」


 蓮華がカチンと皿と当たる音とともに、彼女は真横から俺を見つめてくる。正直照れくさい。しかも、一週間も遠巻きに見られていたと考えると、余計なことをしていなかったか、無意味に自分の行動を思い返してしまう。食べて身体も温まってきたのか、少しだけ背中に汗を感じる。


 「そ、それは俺の反応を楽しんでたってこと?」

 「いいや、君の反応なんて一つも楽しくなかった。普段のそれそのまま。何一つ変わらない生活で観察するのも飽きちゃいそうだった。」


 俺の心配をよそに、彼女は普段通りの俺にがっかりしたように話す。一つ一つのリアクションが大きくて分かりやすい。いや、大げさだ。


 「じゃあ、なんで観察する必要があったんだよ。」

 「君がどれだけ手紙のことを秘密にするのか知りたかったからね。」


 彼女は蓮華を持ち直してチャーハンをすくいながら答えた。一体どこにそれだけの食欲があるのか。もう彼女の皿には、最後の一口くらいしか残っていない。


 「秘密にする? あんな内容の無い手紙を隠す必要もないだろう?」

 「そういうことじゃなくて、誰にも話さなかったってことよ。君、手紙を見つけてから誰にも相談してないでしょう? ああ、一緒に見つけた今里君はノーカンね。それにその後も彼には相談してないよね。」

 「ああ。誰にも言わなかったし、言っても解決しないと思ったよ。」


 俺が今里と一緒に手紙を見つけたことまで知っているのか。それに、俺が手紙をあれ以来、誰にも話していないことも。どこからどうやって、俺を調べているのか。家に帰ってから両親に話したり、SNSで誰かに相談したりする可能性だってあったはずだ。

 でも、俺はそういうことを一切しなかった。それが事実だ。


 「別に、相談しなかったことが秘密を守るってことじゃないだろう?」

 「ええ、確かにそうだけど、あんな意味不明な手紙を誰にも話さずに、一人で考え続けて結論を出して、ここに来た。それって相当大変なことだと思わない? もしかしたら本当にいたずらで、こわーい先輩達が君をカツアゲするために待っていたかもしれないのに。」

 「それは全部可能性の話だし、俺が誰にも話さなかったこともたまたまかもしれない。」

 「そうね。だけどここに来た。それで今は十分。」


 俺は反論しようとしたが、あきらめてまだ半分は残っているラーメンをすする。

 呼び出されてしまった以上、呼び出した方法や文面の意図を聞くのは意味がないのかもしれない。『秘密』を聞くことが先決だ。

 早く本題に入って帰ろうと思っていたところに、さらに餃子が二皿よこされる。彼女はやったーと小さく声を出しながら手元に持っていき、すぐに一つを食べる。おいしそうに頬張る彼女は本当に幸せそうに見える。


 「これは、本当においしいのよ! ほらほら食べて食べて、呼び出した分のおごりだし。」

 「はあ……。」


 おごりなのは願ったりかなったりだ。というか、それくらい礼儀はわきまえているらしい。呼び出しの礼儀がもしあるのならばだが。

 俺が餃子をタレにつけて食べようとしていると、彼女の方から話し出した。


 「それに君、こう考えたんじゃない? 自分の秘密に心当たりがないけど、心当たりのない秘密をいつの間にか作ってるかもしれない、それを自分が知るには差出人に会うしかない、ってね。」


 図星だった。秘密というのは概して作る一辺倒のものじゃない。いつの間にかできてしまっていたりするものだ。それに気づいていないだけで。

 止まっていた手に気がついて、俺は餃子を口に運ぶ。彼女の言った通りおいしくて、俺も勢いで次々と口に入れた。もう仕事はないのか、厨房の中では店主が椅子に座って雑誌を読んでいた。もう、俺たちの話す声と、皿と箸や蓮華の当たる音しかしなくなっていた。

 彼女の方の皿は全部片付いている。本題に入れということか。それならお構いなく聞きたかったことを聞こう。


 「じゃあ、ようやく訊くよ。なんで俺を呼び出したんだ?」


 彼女は待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべる。


 「君に、会うためかな。」


 彼女は確かにそう言った。

 けれど、情報がなさ過ぎて頭が回らない。じゃあ、秘密ってなんなんだ。俺である必要はあるのか。今日じゃないといけない理由は? あれこれと聞きたいことが湧いてくる。

 次に何を聞くべきなのか、考えていると手が止まる。目の前には、あと少しずつ残っているラーメンとチャーハン、餃子があるだけだ。


 「あら、その餃子もらうわよ。」


 そう言いながら彼女は、俺の返事を待たずに俺の前から残された餃子二個を箸でまとめて取ると、一口で食べてしまった。この、さらによく分からなくなった状況で不満もなにも出ない。


 「それじゃあ、私、全部食べちゃったし、続きはまた今度ね。」


 彼女は俺から取った餃子を食べ終えると、シュシュをほどいて手首に戻し、スクールバッグに手を伸ばす。くるりと彼女の席が回って二人の背後にある店の戸が開けられると、外の夕暮れはもうなくなっていた。


 「いや、ちょっと待って! 今日秘密を話すんじゃないのか?」

 「いいの、今日は君と話すことがメインだったから。あ、あと君って呼ぶのやめてね。学校では綾芽って呼ばれてるから。」

 「いや、君だって俺のこと君って呼んでるじゃないか、お互い様だ。」

 「じゃあ、私も悠太君って呼ぶわ。」


 どうやら、今日はもう『秘密』について話すつもりはないらしい。彼女は外から店内に向かって話している。

 開け放たれた戸を境に、中と外の明暗が入り交じっている。彼女の、いや綾芽の考えていることかが分からない。それは当然なのだが、今は全く掴みどころがない。

 外気の熱がヌメリと店内の空気を犯していく。


 綾芽はじゃあねと言いながら、戸を閉めようとした。だが、どうしても今『秘密』について聞きたい。閉まりかけた戸に俺は咄嗟に手を出した。ガタッという音とともに戸が止まると、綾芽は不満な様子で戸の向こうから俺を覗き込んできた。


 「待って、やっぱり今、秘密ってなんなのか教えて。」


 少しのがあった。そして、綾芽の口からため息が吐かれる。


 「しょうがないなあ、一つだけ。悠太君にとっての秘密なんて何もないわ。言ったでしょ、今日は悠太君と話すことがメインだったって。それが実現できて満足なの。話したいことはまだあるけど、また学校でね。」


 そう言うと、綾芽は店主に俺の分もおごりだと伝え、ついに戸を閉めて立ち去ってしまった。

 俺は一人残された。追いかけてもいいが、自分の秘密がないのなら話は終わったはずだ。これ以上聞く必要もない。それに、また学校でと言っていた。何か話すことがあるそうだし、向こうから話しかけてくるということだろう。


 俺は残ったラーメンとチャーハンを食べ切って席を立つ。さすがに満腹感に襲われる。

 そもそも、なんで綾芽は日曜日に制服だったのだろう。それもそのうち聞かなければならない。


 「ごちそうさま。」


 店主に言って、すんなり店を出る。冷房で冷えた身体に外は暑すぎるくらいだ。

 暗くなった帰り道を歩きながら、ふと俺は綾芽との一連のやりとりを思い出す。俺が店に入って、綾芽が自己紹介をし、二人してラーメンやらチャーハンを食べた。そして、『秘密』などないという重大な情報を得て終わった。


 さっきまでのあれこれを思い出していると、俺は一つ大切なことが忘れられていることに気がついた。


 「あいつ、いつ金払ったんだ?」


 いや、俺が店に来てから注文して、財布なんて一度も出されていないし、払っているそぶりもなかった。

 分からないことをなくすために来たはずなのに、分からないことが増えてしまったようだ。今日知ったことは、乙訓綾芽という人の存在くらいだ。


 明日になったら、今里にでも相談しようかと考えながらゆっくり歩いていると、天満宮の参道入り口になっている石段の前まで帰って来ていた。家への帰り道は、この正面を曲がってまっすぐ行き、踏切を越えて、もう一つある私鉄の駅前だ。綾芽も帰っているのならここまでの道を通ったということだ。そして、目の前にある石造りの鳥居をくぐって帰ったのだろう。今日知った有名なことにもかかわらず、親近感が湧いてくる。暗闇の中にある鳥居は、大きさの割によく見えない。


 なんともなく立っていると、正面の信号が青になった。それを渡って少し歩くと電車の踏切にも止められた。

 日曜日にしては静かな町に、踏切の閉まる音はいつもよりうるさかった。

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