おばけ暦

nobuotto

第1話

「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」

 どたばたの騒動がどこかであって、

 お江戸の時代が明治に代わり、

 侍がいなくなったと思ったら、お前たちは皆平等だと言われ、

 そんな古くさい髪型は外国人が見たら笑われる、 

 だから剃らずに伸ばせと言われて、

 いやはや、世の中ってのが良くなったのかどうなのか、

 私ら庶民にしてみれば、

 今日を生きていければそれでいい、

 本当に面倒くさい世の中になったもんだと思うばかりでありまして…

 

「定吉。定吉。どこにおる」

「へい」と二階から返事がしたかと思うと、定吉が階段を駆け下りてきた。

「全くお前はうるさいやつだ。ちょっとこっちに来い」

と源三郎の前に定吉は直立不動で立たされた。

「お前は、どうもジタバタするだけで頭を使わないからいけない。明治の警察というのは江戸の頃のように勘や足で稼ぐのでなく、科学的に捜査をしなければいかん」

 源三郎のいつものお小言が飛んでくる。

 江戸から明治になったとたんに、学のない元岡っ引きの頭の中にモクモクと科学とやらがでてくるわけはないと言いたいが、士族あがりの源三郎に口答えなどできるわけがない。


 定吉がジタバタと追っていたのは世間を騒がしている「おばけ暦」であった。

 江戸から明治になり、陋習ろうしゅうを捨て科学的精神を庶民に広げようとした明治政府はその日の運勢などの暦注を記載した暦を禁止した。

 日付だけしか乗っていない暦など、面白くもなければ、役にも立たない。

 そして、巷にはどこから湧いて出てくるのか分からない、昔ながらの「おばけ暦」が出回っていた。


 その取締が仕事である。定吉は源三郎に聞こえないように、いつも愚痴をこぼしていた。

「暦だってよ、江戸から明治になったからって一晩で代われるもんじゃねえだろ」

 この「おばけ暦」の捜査に難渋していた。

 大体暦なぞというものは家の中にしかない。その家に中にある暦が法を犯しているかどうかなど、分かるはずもない。

 源三郎はもと士族なので取締も偉ぶっている。あたりかまわず長屋の戸を叩いては、

「おばけ暦を持っておらぬだろうなあ」

 と脅すように聞くのだから、誰だって「持っておりません」と答えるに決まっている。

 「おばけ暦」の元締めを取り締まろうとしても、相手は進出奇抜でどうにもならない。 

 そこで、源三郎は定吉にこの近辺で学もあり情報通でもあるご隠居に相談にいくように命令した。

 源三郎もさして期待していなかったのだが、ご隠居に話しを聞いて帰って来てからというもの、これまでが嘘のように、定吉は要領よく「おばけ暦」を隠し持っていた家をあげていくのであった。

 定吉は、毎日「おばけ暦」の持ち主を見つけては没収し、その版元を捕まえる。

 版元と言っても、下っ端までで元締めまではいかない。それでも、他の所轄にくらべて成績はうなぎのぼりにあがってきたので源三郎も機嫌がいい。


「定吉、ご隠居に何を教わった」

「へい。何をというわけじゃありませんが、どいつが怪しそうかよくよく目星をつけて、空っぽの頭でもよくよく考えてやれと言われまして」

「目星をつけてと言うが、俺がみる限り、前と変わらず、昨日は東に、今日は西にと、気分気ままに行きあたりばったり動いているようにしか見えんがなあ」

「へへへ」と定吉は笑うだけであった。

「まあ、いい。とにもかくにも、ご隠居のおかげであることは確かであろう。今日はご隠居にお礼に行くぞ」 


 二人はご隠居の家に行った。

 お礼に来たと言うのに、家に着くなり横柄に定吉に何を教えたのだと聞く源三郎であった。

「巡査様。私は別に凄い方法を教えたわけじゃありません。まあ、偉そうに聞くやつがいるので、もっと丁寧に街の衆の話を聞きなさいなと言ったくらいで」

 偉そうに聞くやつというのが、自分のことだとわかった源三郎は、不愉快な顔をする。

「お前のおかげで、下っ端は引っ張ることができたが、元締めがわからん。何か知っているか」

「巡査様。その下っ端だって、なかなか捕まるもんじゃありません。それに私が誰それと定吉に教えたわけでもありません。これも全て定吉の手柄というものです。そうそう、きっとこいつの頭の中にも科学ってのがオギャーっと生まれたんでございましょう」

「お前は我が政府を愚弄するつもりか」

 源三郎は怒って出ていってしまった。

「あーあ、明治になってもてめえが一番変わっちゃいないってのが分からないのかねえ。済まないねえ、ご隠居」

 源三郎の無礼を謝る定吉にご隠居が言う。

「法律はすぐに変えられますけど、人間の性分てものは変わらないものですよ。それより今日はどっちの方角に行くんだい」

「へえ、今日は東南に福ありということで、呉服屋の方を回ろうかと」

「そうかい、そうかい。どうだい、私の暦はよく当たるかい」

「そりゃあもう。暦の言うとおりの方角に行けば、運もおばけ暦もやってくる。こいつを政府御用達にすりゃあ良い」

 定吉はくすりと笑い「巡査殿、お待ち下さーい」と源三郎を追いかけていくのであった。

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