きょうだい
「弟ができたの」
二日ぶりに来たモモは、あまり元気がない様子だった。いつものように床には座らず、もじもじと足を絡めてうつむいている。
「お、おとうと?」
わたしは面食らって思わず手を止めた。聞き返すと、モモはこくんと言葉なく頷く。聞き間違いではないはずなのに、わたしにはさっぱり意味が分からなかった。
もちろん、いくらわたしでも子どもがキャベツ畑から生えてきたりするようなものではないことくらい知っている。子どもができるということは、その、つまり……相応の“男女関係”が発生した結果に授かるものだろう。しかし、モモの両親はつい最近までほとんど顔を合わせていなかったはずではないか。それが一朝一夕で急に子どもが授かるまでに行くものだろうか? それこそ、畑から採ってくるようなものでなければ。
わたしがぽかんとしたまま二の句が継げずにいると、モモがぼそぼそとした声で続きを話す。
「えっとね、今まで弟じゃなかったんだけど、今度から弟になるの。あたしの三つ下でね、変わった見た目の男の子」
「ど、どういうことだい?」
「きょうだいって、ふつう同じお父さんとお母さんに生まれてくるでしょ? でも、その子違うの。ママの子どもじゃなくて、でもパパの子どもなのは本当だから、その子はあたしの弟なんだって」
モモの話で、わたしはようやく昨日の兄の電話のことを思い出した。『子どもを引き取った』――確かそんなふうに言っていたか。そのときは熱で頭がぼうっとしていたし、モモのことで頭がいっぱいだったからわからなかったが、モモの言葉とすり合わせるとやっと理解できるような気がしてきた。
いや、待て――つまりそれは、どういうことなのだ?
かつて、わたしのとっての兄は、憧れとか、目標とか、規範とか、そういう存在の人だった。兄はわたしとは違い、背はまっすぐ伸びていたし、手足も左右きちんと同じ長さで、顔に瘤なんかない。勉強も運動もいつも一等で、たくさんの人と友達で……兄はわたしにないものをすべて持っていた。
幼い頃はいつか自分も兄のような人間になれるのだと思っていた。年を経るごとにそんなことは絶対に起こりえないこと、兄と自分とはまるで別の生き物であることを思い知った。兄はいつも「変なことをするな、隅っこにいろ」とわたしに言いつけていた。わたしにできるのは、“普通の人間”である兄の邪魔をしないように、こうして引きこもっていることだけだった。
結局、今になっても“普通”がどういうものであるかはわからないが、最低限“常識”と呼べるものは学んできたつもりだ。だから――兄がしたであろう行為が信じられなかったのだ。
まさか兄は、不貞と呼ばれるべき行いをしてしまっていたというのか?
「どうしたらいいのかな」
依然口を利けないままでいるわたしにモモが言う。どう、とは?
「あたし、今までひとりっ子だったから、『弟』にどういうふうにしたらいいかわからないの。ママに聞いても、ママはずっと怒ってて、喋ってくれないし……。おじさん、パパの弟なんでしょ? こういうとき、どうしたらいいかわかる?」
今こうして回想してみれば、モモの戸惑いは当然だった。
モモの弟――家政婦たちの噂を聞くに、いわゆる
大人の都合は良いとして、それに振り回される子どもはたまったものではない。いきなり知らない子を連れてきて、『今日からきょうだいになりなさい』と言われても納得できるわけがないだろう。それに、モモの家庭はその当時非常にきわどい場面にあるようだった。自分がわがままを言ったらすべてが崩壊してしまうかもしれない――そんな状況に置かれた子どもはいったいどのように振る舞えば良いのだろう?
しかし、そのときのわたしはそんな単純なことにすら思い至らなかったのだ。
混乱の真っただ中だった。兄のしたことがまるで理解できず、モモの悩みの本質がどこにあるかなど考えすらもしなかった。真っ白になった頭で、モモが答えを待っているのに気づき、失望されないよう必死で“正しそうな答え”を考える。
「……優しく、してあげたほうがいい」
「どうして?」
「きっとその子も困っているよ。きょうだいになるのなら、一緒に遊んだり仲良くしてあげたほうがいいと思うよ。家族に冷たくされるのは悲しいことだから」
そのときわたしの胸には子どもの頃の思い出が蘇っていた。兄が庭で友達と遊んでいて、自分もそれに混ざろうと近づいて行った。すると、兄は怒ってわたしを突き飛ばし、「向こうへ行け」と怒鳴りつけた。兄の友達はわたしを見て笑ったり、変なものを見るような顔をしていた。
モモの表情は思い出せない。考えに夢中で、どうして彼女の顔を見ようとしなかったのだろう。
「……わかった」
そう言って、モモはにっこり笑った。
「あたし、頑張る! 頑張って、“おねえさん”になるね!」
きっと、このときからわたしは彼女の加害者になっていたのだ。
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