ふつうのしあわせ

 いいかげん、モモが抱える事情について書いておかなければなるまい。

 大半が彼女の口から聞いただけの話であるので、すべて正しいかどうかは断言できない。だが、モモの家庭が“普通”ではないことは間違いない。なにせ、モモ自身が普通とは違っているのだから。

 モモの家は一般家庭としてはかなり裕福だった。先々代から続くという資産と広い家。大企業に勤める父に美人で教育熱心な母。生後間もない頃の彼女は誰からも愛され、祝福されていた。まさに絵に描いたような『幸福な家庭』だったようだ。

 状況が変わったのは、モモが二、三歳くらいのことだ。まだ言葉も歩行もおぼつかないような時期に、モモは魔法を使いだしたのだ。ベッドを抜け出してひとりでに庭に行ってしまったり、風呂に入れられるのを嫌がって、宙に浮いて逃げ出したり。それは兄夫妻にとってはまったくの想定外で、だから、正しい対処法とか心構えなんてわからなかったのだろう。日に日に増えていくモモの“奇行”を両親は叱りつけ、罰して、なんとか『普通の子ども』らしく育てようとした。だが、文字もまだ書けないような子どもに、そんなことが理解できるわけがない。

 それ自体は子どもらしい癇癪かんしゃくでしかなかったはずだ。突然意地悪になって怒りっぽくなった両親に、幼い彼女は怯え、苛立ち、腹を立て、ついには泣き喚いて暴れてしまった。地団駄を踏み、手足を振り回し、力の限りに駄々をこねた。……不幸だったのは、振る舞うには、彼女の持つ力があまりに大きすぎたことだった。

 モモの力によってめちゃくちゃになった部屋を見て、自分達の子どもが常識からかけ離れた力を持っていることを思い知らされて、彼女の両親は何を思っただろうか。わたしは、結婚どころか社会でまともに暮らしたこともないような人間だから、ふたりの気持ちは想像することもできない。だから、ふたりが取った行動を批判するつもりはないし、その権利もないと思う。あるいはこれを読む何者かであるあなたは、ふたりに対してしかるべき批判をしてくれるだろうか?

 その日以来、兄はほとんど家に帰らなくなってしまった。仕事の忙しさを理由に、“家族”と過ごすのをやめてしまった。たまに夫婦で顔を合わせても、怖い顔で話し合ったり、時には怒鳴り合ってすらいたとモモは言っていた。そこに家族らしい団らんの時間はまったくなかったようだった。多分……兄はかつてわたしに対してそうしたように、家族と思う人の数を減らしてしまったのだ。人知を超えた力を持つ娘と、彼女を生み落とした妻を、家族と思うことができなくなってしまったのだろう。

 対して、兄の細君は、モモが正常な子どもになれば元の幸せな家庭に戻れると考えたらしい。モモを病院に連れて行って治療を受けさせたり、魔法を使ってはならないと厳しくしつけた。外で騒ぎを起こしてはならないと友達との遊びや外出を禁じ、彼女の力がいかに異常であるかを教え込んだ。

 モモに読書を禁じたのもそういった理由からであるようだ。シンデレラを助ける優しい魔法使いフェアリーゴッドマザー、いばら姫を祝福した魔法使い。お菓子の家に住む魔女や白雪姫の継母。おとぎ話に出てくる空想上の存在が、モモに悪影響を与えると考えたのか。モモの生活からは教科書以外のありとあらゆるすべての本が遠ざけられた。それこそあたかも、紡ぎ車を触ることを禁じられたいばら姫のように。

 だからモモはこの離れを見つけるまで、友達との遊びとか、本を読んで様々なことを創造したりするような楽しいことを一切知らないで生きていたのだ。考えられない。わたしにだって、読書くらいは残されていたというのに。そんなもの、子どもらしい暮らしと言えるのだろうか。

 わたしにはわからない。普通の人がどんな風に考えて生きているのか。普通の暮らし、普通の幸せ。何も理解できない、想像もつかない、けれど、どこにも居場所がなく、狭いところで閉じこもっていることしか許されない生き方がどれだけ寂しいかだけは痛いほどわかってしまうのだ。

 このままじゃいけない。なんとかしてあげなければ。彼女の父母がありのままの彼女を愛せないのならば、誰かが代わりに彼女を愛してあげなければ。このままではきっと、彼女はわたしと同じになってしまう。

 だから、この胸から湧き上がってくるみだりがましい劣情など、絶対に向けてはならないのだ。

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