わたしとかのじょ

 彼女のことは、仮にモモと呼ぼう。

 可愛らしい少女だった。顔や体のあちこちが瘤で変形したわたしとは似ても似つかない。親族としての贔屓目を抜いても間違いなく愛らしい姿をしていた。

 モモは呆然とするわたしの顔をまじまじと見つめ、いかにも感心したように言った。

「おじさんって本当にぶさいくね! なんでパパがおじさんを嫌ってるのかわかった!」

 ぐうの音も出ない事実である。子どもはよくこうやって、大人ならば慎むような言葉も平気で投げかけてしまう。

 見知らぬ人の家に忍び入り、あまつさえその主人と対面しながらまるで物怖じしないモモに対し、わたしはそれこそ見ず知らずの場所に放り出されたように混乱していた。

 思えば、現実に人と顔を合わせたのは何年ぶりだろうか? 外を出歩く時ですらわたしの周りからは自然と人が離れていく。こうして目を合わせて、快活に声をかけられたことなんていつ以来だろう。まして、その相手が自分よりはるか下のあどけない少女だなんて。ああ、わたしはいったいどうするべきであったのか。

「き、き、き、きみは、だれだ!」

 腰を抜かして尻餅をつきかけながら後ずさりし、確かそんな風に問いただした。きょとんとするモモに、わたしははたしてどんな顔をしていただろう。

「ど、どこからきた! なんでここに! か、帰ってくれ、早く出て行ってくれ!」

「おじさん、あたしお腹空いたの。おやつちょうだい?」

「う、うわああああああああああああっ!」

 文字通り這々の体でわたしは自室から逃げ出す。おかしな話であろう。三十路も半ばを過ぎている男が、女児を相手に我を忘れて恐慌するなんて。しかし、わたしにとって『人間』とは、それほどに恐ろしい生き物であった。

 ひいひいと息を荒げて勝手口の前まで戻る。これではわたしの方が侵入者のようである。床に這い蹲り、脂汗をぽたぽた垂らしながら、ようやくわたしは我に返る。

 あの少女は何者だ? なぜ、わたしの部屋にいる? 何が目的だ? ……いや、いや、そんなことよりも。

 彼女はいったい入ってきたのだ。玄関も勝手口も使わず、窓の無い密室であるわたしの部屋に。

 わたしはおそるおそる自室へ戻った。彼女のことは恐ろしくてたまらなかったが、それよりも疑問とそれを暴きたい好奇心が勝った。ぎしぎしと軋む板張りの廊下をぎこちなく歩き、そうっと自室を覗き込む。

 だが、どういうわけか彼女は忽然と姿を消していた。机の下や本棚の陰、押し入れの中などに隠れたわけでもなく、ましてどこの入り口からも出て行った様子などあるはずもなく。

 ただ、床に散らばった本の上に、花の形に折った折り紙だけを残して。

 『びっくりさせてごめんなさい』

 折り紙にはそんな文言と、微かにスミレの匂いが刻まれていた。

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