であい
わたしの心が中学校を卒業した子どもから成長することはなかったが、しかし世間の時間はあっという間に過ぎていく。
ふと気づけば祖父母が亡くなり、両親も老い、兄は妻帯者となって一家の大黒柱となっていた。わたしだけが一向に虫であるまま、周りはどんどん変わっていってしまった。
「おまえはもうしょうがない。今更追い出すつもりはないし、死ぬまでは面倒を見てやれる。だが、俺の家族に会うな。まかり間違って話でもしてみろ、おまえの家はなくなると思え」
そう語った兄にとっては、わたしは既に兄の家族ではないようだった。むべなるかな。ろくに働きもせず、食い扶持と敷地を食い潰すだけの引きこもりである。兄夫妻が実家で暮らすようになってからはわたしは母屋に顔を出すのをやめた。
いつまでこんな日々が続くのだろう。わたしが死ぬまでか。あるいは何かの間違いで兄が先に命を落とし、いよいよ厄介がった遺族に離れから追い出されるまでか。その頃には時間の感覚というものをすっかりなくしてしまったわたしは、いつか確実に来るだろう将来を、なんの実感もなく想像するのみであった。
いや、本来であれば、その可能性を考えるに至った時点でさっさと首を括っているべきだったのだ。
いつからか母屋が騒がしくなった。兄夫妻に子どもが生まれたらしい。兄の言いつけを守っていたので、どんな容貌かを知る機会はなかったが、家政婦達が噂するにはおてんばな女の子であるらしい。わたしも昔は兄と一緒に庭を駆けていたものだ、と外から聞こえる賑やかな笑い声にノスタルジーに浸る。
しかしそんな歓声はある日ぱったりと聞こえなくなった。
何かがあったようだった。さすがに箝口令があったか、家政婦達もその件について噂しようとはしなかった。兄夫妻の娘――姪の身に良からぬことがあったのでは、と想像することはできたが、確認するすべはない。姪についてわたしから兄に話をするなんて、わざわざ逆鱗に触れに行くようなものだ。わたしを歓迎するのは不気味なまでの静寂だけである。
それからまたしばらくして、今度はわたしの身に異変が起こった。
本棚である。わたしの持つ唯一と言っていい財産である書籍が知らぬ間に失くなっていたり、かといえば箪笥や手洗い場といったわけのわからぬ所に移動していたり、棚の並びが滅茶苦茶に入れ替えられたりといった現象が毎日のように起きた。
離れの鍵はわたしと兄しか持っていないから、いたずら心を働かせた家政婦の仕業とは思えない。そも、家政婦達もわたしを不気味がって、離れの入り口に食事を置いてはわたしが姿を現さないうちに逃げていく。むろん兄もありえない。
盗られるような金品は持っていないし、本棚以外をいじられた様子はないから、悪意のある犯人ではなかろうと思う。しかし、ただただ不気味だ。正体不明の何者かが寝室を闊歩しているかもしれないと思うと、いくらわたしとて落ち着いてはいられない。そこで、一計を案じることにした。
離れには玄関口の他に、庭に面した勝手口がある。玄関からいかにも外出したように見せかけて、勝手口からこっそり戻り闖入者の来訪を待つのである。闖入者がどこからどのように入ってくるにしろ、どれかの入り口から来るに決まっている。
そんなわけで勝手口から戻って物陰に息を潜めた。子どもの頃にやっていた、かくれんぼや探偵ごっこを思い出し自然と胸が高鳴る。
しかし――いくら待てども扉が開く様子はない。わたしの猿芝居を早々に見抜いて、今日は侵入を諦めたのだろうか。ほっとしたような、がっかりしたような微妙な気分で、窓から差す夕焼けを見ながら自室へ戻る。
そして、そこに愛らしい少女の姿を見つけたのだった。
「あれ、おじさんもう帰ってきていたの? 扉の音がしなくて気づかなかったわ」
広げていた本をぱたんと閉じ、少女は床から立ち上がる。広がっていたスカートがふわ、と揺れ、ありもしない風を錯覚させた。
「こんにちは。初めまして。遊びに来たの、お菓子を出してくれる?」
姪は――彼女は花のように笑った。
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