庭持つ災厄

 災厄がやって来た。これは望まれた滅びだ。そして約束された終焉。民よ安らぎの下に暮らせ。店に足を踏み入れるなり周囲を闇で覆い、灯り蝙蝠を舞わせてスポットライトを浴び、銀河を背景に背負った災厄は、安定した朗らかな声で世界の終わりを告げた。星屑が店内に散らばり、八十竹は箒を取りに店の奥に引っ込んだ。

 なんだろう、あれ。子龍の遊び友達なのだろうか。外見の歳の頃は同じくらいなのだ。大仰なマントを引き摺って、舞台に立てば悪役と一目で分かるメイクを施し、二言目には退廃的な台詞をくっつけて。世界の滅びがキーワードらしい。扇動者だろうか。悪を語るわりに清々しく、穏やかで、余裕がある。悪に堕ちる遊びに興じたヒーローだろうか。確かに世を助けるには反抗勢力の気持ちをシミュレーションすることも必要だ。この世の者ならばなんでもいい。床を掃いてもらおう。

「翡翠をよこせ」

 物取りだった。

「いいから片付けてくれ」

 星屑を踏むとパチンと弾け、春の花が爛漫と咲き乱れ世を祝福する。次の一歩で蝶が舞い、さらに踏み出すと鳥の囀りに充ち溢れ。ファンタスティック。世界を巡業すれば、翡翠でもダイヤモンドでも簡単に手に入るだろう。確かに旅物屋でも翡翠は扱っている。各地で加工され愛される宝石だ。魔除けとして身につける旅人も多い。だからと言ってこんな小さな店を襲わなくてもいいだろう。

「あれは俺の飼い鳥だ」

「鳥だ?」

「さっき宝石屋と籠屋で飼育に必要な品と入門書を揃えた」

「今から飼い始める格好じゃないか」

「宝石で足りるか?」

「非買品だ。だいたい誰に聞いた。いや待て」

 物取りではなく模範的な客であったようで反省するが、宝石ではなく鳥の翡翠を所望するとなるとまともな客ではない。今は眠る災厄の翡翠と呼ばれる品を、いつだったか客に押しつけられたことを思い出す。魔術師に頼んで水蛇が守る壺に封じて貰い、店の床下に漬物と一緒に保管している。目覚めて飛び立つことがあればいとも簡単に国が滅ぶ。国の節目に現れる鳥のことを知っていて、世界の滅びを謡う者にわざわざ吹き込む災厄メイカーが脳裏を過ぎる。顔を思い出せない。いつも帽子を深く被っているからだ。誰だったか? 帽子を被った影が揺らいで消えかける。けれど表情はすぐに思い浮かぶ。笑っている。闇に姿を隠しながら、はっきりと浮かぶ三日月。

「俺の密偵からここにあると聞いた」

「だろうよ」

 密偵ってなんだ。お隣さんが特殊な仕事を請け負っていることは察しがつくが仕事の話はしないことにしていた。本人とは。面倒事を持ちこまれそうだから。

「どういったご関係で」

「魔王は常に世界に気を配っていなくてはならない。カゲトカゲネットワークは面白い組織だよな。俺も専用の密偵を抱えて西に東に送り出して情報を巧みに操り、勇者を翻弄したいものだ」

 どうも未来の密偵らしい。翡翠のことといい夢に溢れた魔王様だな。魔王? 思わず聞き返すと、曇り一つない笑顔で頷いた。

「いかにも、今代の魔王である」

 魔王って、聞いたことがないな。英雄譚の中では活躍するけれど、現実に存在する脅威だとは思わなかった。気さくな魔王様に対して跪きはしないが、椅子を勧める。

「世に在るもの全ては将来的に俺のものになるのさ、世界の征服者だからな」

 精神の安定した魔王は世を緩やかに語った。手に入れるまでもなく自分のものであるから、何かを得ようと焦る必要はなく、奪う必要もないと。何も持たず全てを得た身軽な征服者は、なるほど世界を手中に収めている。

「誰が行動を起こすまでもなく滅びに向かう世だ。鳥を愛でながら過ごすのも一興」

 そうですなと首を縦に振りそうになったが呑まれてはいけない。正直物騒な置き土産は手放したくてたまらないが、聖人ならばともかく礼儀正しい魔王に譲る品ではない。

「お断りします」

 表情を変えずに言い切った。魔王は縋るような目線を向けるも、動かぬと知って潔く引き下がる。風呂敷に包んだ極上の鳥籠とたっぷりの餌、小鳥の飼い方入門書をカウンターに置き、「翡翠を元気に育ててやってくれ」と頼んだ。甕の中で蛇と共に眠っているとは言えない。

「少し店内を見回ってもいいか」

 立ち上がって、旅の品々を慈しむように手に取る。

「魔王を討伐せんと奮い立つ勇者が置いて行った品は無いだろうか」

 勇者には会ったことがないのだと魔王は寂しげである。配下もなく、悪行を働くわけでも、世界に宣戦布告するわけでもない者のためには討伐隊も組まれない。彼のための勇者は生まれない。最近は勇者恋しさに離界を離れて現界に家を持ったらしいが、聞けば水辺の街の一角で花を育てながら過ごしているとのこと。花に囲まれた小さな一軒家に向かう勇者はきっと、剣の代わりに花の種でも持っていることだろう。

「運命の相手だからな。会えるのを楽しみにしているのさ」

 王子様を待つ少女の眼差しだ。店に来るのは街から街へと渡り歩く旅人だけだが、魔王を討つ勇者が持つに相応しい、歴史持つ武具を幾つか紹介してみる。街道の守り木から授かりし剣、岩浜の白花が祈りを込めた槍、古の都市で好まれた魔除けのネックレス、オーソドックスな革の鎧に魔法の紋が刻まれたもの。棚をひっくり返してみると色々と出て来るものだ。魔王は楽しげに品を選び、勇者の冒険譚を即興で作り上げていく。旅先で品を得るまでの道程、立ちはだかる敵の数々、対の武器を手にした仲間、そして決戦に挑む勇者の表情。慈しむ語りで、無名の武具に物語が吹きこまれていく。全部持って帰りそうな勢いだったが、厳選した二点、鍛冶師がかつての仲間を想い鍛えた銀色の剣と、水霊が住処の川を封じた水流のケープを手に取った。

「これを頂こう」

 勇者の装備品とはつまり対峙する魔王に向けられるもので、仇となる武器を品定めしていることになり物騒な話だが、本人は穏やかに微笑んでいる。宝石を置こうとした手を止めて、鳥籠との交換ということにして持って行ってもらう。包んだ品を抱え、名残惜しそうに店を見回す。

「また来るよ」

 魔王が足繁く通う店というのもな。真っ当な組織や勇者から反勢力として目の敵にされなければ良いのだが。そう思いながらも、魔王が喜びそうな品を店に増やしたくもある。すっかり魔王の支配地となってしまった。戦わずして勝つなど、賢人のすることではないか。

 魔王がこの様子なのだから、世が二分され戦火が国を包むこともない。敵も味方もなく、今や龍も人も過去を忘れ同じ地に立つ。争いは古書の中。離界も現界も混ざり、世界が溶けあい、緩やかに終わりへと流れていくのだ。約束された終焉の足音。魔王は事を起こさず世界を握った。滅びを愛する人格者。勇者を夢見て庭に水を撒く。災厄は眠り続ける。

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