お隣さん
1.継ぎはぎの空
空の色で染めた衣を纏った導師たちは、通った道に空の溜まりを残すという。
お空にはまってしまったなら、落ちるとも浮かぶとも分からぬ風の流れに押しやられ、高空を漂うだけの魂になってしまうという。
「空溜まりから回収してきたんだ」
導師の衣の切れっ端を集めて、魔法の糸を操る仕立屋に頼んで出来た品を持ち込んだ客は、店内に空溜まりを作りながら取引を続けようとする。旅物屋は各地の便利な道具、珍しい工芸品、いわく付きの装備品、八十竹の琴線に引っかかるものであれば持ち込みや物々交換での取引も可能である。仕入れに行かずとも店内の品揃えは変動する。今回のように持ち込みでセールスを仕掛ける客も少なくはないのだが、はてこの男、前にも会ったような。そんな気分になって、話が頭に入って来ない。
「この衣を身に付けるとね、あら不思議、空溜まりの中を自由に歩けるようになるのさ。導師たちは空の向こうで何をしているかわかるか? 天使を追い掛けているんだってさ。そういう集まりなんだって。やってみたいだろ、見えぬ影と永遠の追いかけっこ」
突拍子もない物を持ち込む輩もたまにいるわけで、そうなると顔を覚えたりもする。八十竹は喋り続けるこの男を思い出そうとする。前に何を持ち込んだかと店内を見回す。壁に引っ掛かっているあれだろうか。あの辺りの葛に埋もれた物だろうか。どの品とも線で結ばれない。初めて会う顔だったか。
まじまじと顔を見る。目深に麦わら帽子を被っているため瞳が見えそうで見えない。たまにクイと帽子を上げる動作をするが、角度を変えて覗き込んでも表情が見えない。誰だったか。まあそんなものだ。
空溜まりはやがて閉じるというので、空色になった店の一角の見張りに子龍を置いた。
「間違えても飛び込むんじゃあないよ」
穴から入って、元の場所に戻って来られるとも限らない。一方通行かもしれない。恐れを知らぬ子龍が心配でチラチラと様子をうかがう。穴を見つめてはいるが飛び込む気配はない。この穴、入ると本当に戻れなくなるらしい。
「何か見えるか」
「水面を覗き込んでも池の底は見えない。ここには私の顔も映らない。虚無だ。あるいは私も無であるから形など無く、空の色をしているのかもしれない」
空色に溶け出しそうになった子龍が、目を輝かせる。
「人が作る伝説も、奥深いねえ!」
「長いこと信じられてきたものは具現する。物に命が宿る。人は物を語る」
「人はどこに行こうとしているのかな」
「見届けてみるか」
「見届けたくなったよ」
八十竹は継ぎはぎの空を買い取った。
2.眠る翡翠
帽子を目深に被った男がやって来た。ポケットに手を突っ込んで、中身をジャラジャラいわせている。小銭でも入れているのだろうか。ということは買い物か。男は真っ直ぐカウンターまで進んだ。ポケットから手を出すと、店の照明が一度瞬いて、僅かに暗くなった。元の光度には戻らない気がした。不吉、不穏。カタン。カウンターに客の片手が置かれる。
「お引き取りください」
八十竹は椅子に座ったまま新聞から目も上げずに言い放った。男の手はポケットに戻る。口元が笑っている。カウンターには翡翠が置かれていた。
「こいつは今は眠っているが、飛び立つところをあなたも見たことがあるだろう」
男はカウンター横の椅子を暗がりまで引っ張ってから腰を下ろした。影から八十竹を覗きこむ。
「翡翠の目覚めに争いあり。血が流れ、大地の皮が剥がされ、怨嗟の声に溢れる。災厄に染められ輝きを増した翡翠は、また眠りにつく」
「うちの店に置くのは実用品だけだ。昔話を由来にした作り物は置かないよ」
新聞から目を上げると男はまだ笑っていた。この顔、どこかで見ただろうか。とんでもない品を持ち込んで来たものだ。どれほど遠くから来たのだろう。つい昨日、食材の買い出し先で見た気もするが。八十竹は椅子で寛ぐ男を思い出そうとする。いや、思い出さなくてもいい。追い出さなくては。
「あなたのところに置いておくのがいいだろ」
「いやだよ」
「だってあなたも災厄の引き金だろ」
翡翠の輝きが深まった気がした。目覚めさせてはならない。持ち込まれてしまったものだから、外に出すわけにもいかずに。このまま籠にでもしまって、星の果てまで店に置いておこう。子龍の足音が聞こえた。男は煙のように姿を消して、八十竹はポケットに翡翠を突っ込んだ。
「今誰かとすれ違った気がした。お客さんかと思ったけれど、誰かがいた気配もない」
子龍は影を踏みながらやって来て、振り返りもせず店の奥に姿を消した。
八十竹は災厄の引き金を引き取った。
3.天象の詩集
八十竹は椅子に座ってお茶を飲んでいる。カウンター越しの席にもう一人男が座っており、やはり茶を飲んでいる。二人は遥か昔存在したという国の名を、つい昨日見てきたかのように話題に出し、市街地の様子を語る言葉は住人そのもの。床に寝そべる子龍は人の世の事情を知らず、天井の木目をなぞって神話を紡いでいる。
渦を巻いた小高い丘があった。螺旋の道をつけて人が住み、内部を掘削して部屋や通路で繋げる。中は通年適温で快適。星の並びのごとく空けた出入り口から入る光が居住区画を淡く照らし、繰り返される星の巡りの歌を聞く。そのうちに過去を見て、未来を見る者が卓に集まり、ピースを持ち寄り預言書を作った。
二人の男の間には、預言書が置かれている。過去から見た遠い未来である現在において、預言書は歴史書ではなく、古い詩集として扱われる。アルバムをめくるように、当たった預言、惜しかった預言、出来事を特定されていない預言などをなぞりながら和やかに笑っている。
天象儀の詩人たちの言葉を懐かしみながら過ぎる午後を、何度過ごしただろう。初めてだったか?
目の前の男はいつの頃から顔を出すようになっていただろう。先の時代の変わり目だったか、つい昨日だったか。
各国の流れに妙に詳しい男と八十竹は意気投合して、たまに茶を飲んだりする。
4.お隣さん、来たる
交通の要所となるこの街は、主要の通りは旅人相手の店が並ぶ。表通りから伸びる枝葉の道には職人街だとか雑多な店が並び、奥に進むと居住区になっていく。八十竹の旅物屋は職人街の外れにある。民家と何らかの品の工房が混在しており、営業中の看板を出していない店の扉を叩くには勇気がいる。
お隣さんの家は、確か商いはしていなかったはずだ。それどころか明かりが点いていることも少ない。空き家ともつかぬ隣の建物に、灯りが灯っているのを見たとリウセイが言った。その次の日である。手土産と言うには珍しすぎる品を持って、お隣さんがやって来た。隣の者だけれど、と名乗りながら。
「北方の巨人が纏う毛皮だ」
久方ぶりに灯かりが点いたあの家の住人なのだろうか。お隣さんであるはずなのに、顔も思い出せない。いいや、確かにこんな、ひょろりと背が高い男だったような気もする。目深に被った帽子で表情がよく見えないのだ。彼がお隣さんだと名乗るのならばそうなのだろう。旅が多くて不在がちなのだと言う。
「それでもきちんと戻って来るぜ」
八十竹は土産物を受け取った。大きくて重い。布団くらいはある。これでも肩掛けの一部なのだという。切れ端を貰ったそうだ。巨人が纏う巨大な毛皮の持ち主である生物もまた、巨大なのだろう。
旅物屋は物々交換にも応じる。店に持ち込まれた物の代わりに入り用な品を用意したり、用事を引き受けたりする。また遠方に向かうというお隣さんに、必要な物が無いか聞いてみる。
「そうだね、帽子を一つ貰って行こうか。それから、辰砂の術士が残した日記帳の写しも欲しいな。第二十五巻がなかなか手に入らなくてさ」
帽子は壁に掛かっていたものを差し出す。男は黒鳥の飾り羽根をつつき、「いいね」と言って受け取った。日記帳は時間がかかりそうだ。
「用意しておくよ。次はいつ頃来る」
「わからないな。でも必ず来るよ」
八十竹は約束を取り付けた。顔を見せない奇妙なお隣さん、また会えることだろう。
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