排水管の亡霊

「毛が詰まってますね、人の」

「エエ、人の」

 排水管が詰まったので業者に見て貰ったら、あらぬ目線を送られた。俺じゃない、俺じゃないぞ。八十竹は強面をぶんぶんと振り回す。獅子舞のようだ。噛み付かれる、と業者は細く叫んだ。

「だから、俺じゃない」

 八十竹の髪は短く揃えられているが、排水管には大量の長い毛が詰まっている。誰のものなのか。業者は仕事をさっさと終わらせて一刻も早くこの店から離れるべしと判断する。

 明くる日、再び排水管が詰まり、同じ技師が来て、毛が詰まってますね、と繰り返した。

「リウセイ、来てみてくれ」

 強面が子龍を呼んだ。ぴょんぴょこと飛んで現れた子龍は、トウモロコシの髭を握っている。トウモロコシなど台所に置いていたかな、今の季節に。八十竹は過ぎる思考に気も留めず、排水管を指差した。

「弁明してくれ」

「それは竹さんがやったんだ」

「俺じゃない。やったってなんだ。何をしたんだ」

 技師は荷物をまとめ始める。排水管は詰まったままだというのに。

「竹さんが、ほら、食べちゃったんだ」

「もうやめてくれ! 業者さんも、不思議な子龍の言うことは水に流して」

「排水管が詰まっているのにどうして水に流せるんです」

「それを直すためにあんたがここにいるのさ!」

 技師は昨日よりも濃くした秘伝のなんでも溶かす液体を排水口から流し入れた。

「おれが何をしたと言うんだ」

 まさか本当に、何かの記憶を落として来たのだろうか。現場の浴室を後にした八十竹が呟くと、技師は今度こそ引き止められてたまるかと手早く会計を済ませて部屋を出た。


「子龍よ、聞かせて貰おうか」

 ドーナツを揚げて茶を沸かし、食卓に腰掛けて八十竹は再び子龍を呼んだのだった。ドーナツに飛びついた子龍は黙々と揚げたてサクサクを堪能し、一つ残して茶をすする。食べてもいいぞと八十竹が言うと、子龍は首を振る。

「水蝙蝠にあげる」

「水饅頭、水羊羹、水蝙蝠とくればさぞぷるぷるなのだろうな」

「水道管に住んでいて、これから釣り上げるんだ」

「……溶けてしまったのでは」

 子龍は首を振る。なんでも溶かす液のなんでもには含まれない生物らしかった。安心したが、いや、水道管の詰まりは解決されないのか? それでは困る。だいたいどうして蝙蝠が住みついてしまったのか。排水口に住み着いた理由ならば分からなくはない。暗い場所が好きなのだろう。けれど分かった気になるだけでは済まされない。子龍が来てから起こるようになった奇妙な出来事については、子龍に聞いてみるものだ。問うと「竹さんが食べちゃったから……」と繰り返し、非難の目を向けた。

「俺の腹は大丈夫なのか」

「私は食べても平気だよ」

 なるほど心配である。どうやら自分で食べようとしたものを先に食べられて悲しげな目で睨んでいたようだ。しかし子龍は不屈である。過ぎた食べ物にはこだわらない。たとえそれが幻の水饅頭と呼ばれる水蝙蝠の卵でも。

「水饅頭? 確かに食べた。宝石のようだった。素晴らしい技術だ。どこの国の菓子かと思ったが。思ったが、まさか、卵なのか、なんだかよく分からない生物の」

 どうせまた離界絡みの案件だ。もはやこれまでか。腹を裂いて現れる蝙蝠のイメージが頭から離れない。あるいは徐々に腹の中を侵食され、すっかり空洞にされてしまうかもしれない。隣人にリウセイのことを頼んでおいた方がいいだろうか。いや、子龍ではあるが何百年子供をやっていることだろう。ひと様に保護を頼む必要など無い。リウセイならば上手くやっていくことだろう。悲嘆に暮れた八十竹の前で子龍がトウモロコシの髭を編み始めた。トウモロコシ。そう言えば先ほども持っていたな。丈夫に長く編みこんでいる。時々引っ張って強度を確かめている。そんなに強く引っ張れば、編んでいるとはいえトウモロコシの髭では保たない。だというのに髭はびいんと張っている。艶やかな黒い糸。

「これか、浴室の排水管を詰まらせていたものは」

 八十竹は現実に引き戻される。子龍は編み上がった紐を持ち、ドーナツを片手に浴室へと消えていった。


 子龍は浴室の椅子に腰掛け、釣りを始める。暗く空いた穴に向け、頑丈そうな紐を垂らす。リウセイは水蝙蝠を釣らねばならぬと燃えていた。水蝙蝠を水槽に戻し、もう一度卵を持つまで辛抱するのだ。ありとあらゆる手を尽くし、何が良くて何が悪かったのか検証する時間も惜しんで手を尽くし、卵を産ませるまでの苛烈な日々を想う。裏庭の水槽に入れていた水蝙蝠がついに卵を抱えたから瞬時に略奪し、美しさに見惚れ味を想ってはにやけながら、日が暮れるまで眺めていた最後の日を想う。子龍はくじけない。

 水蝙蝠は警戒心がべらぼうに強い。卵を奪うにも命がけで、それゆえに幻と呼ばれる。子龍は時の塔より降りし砂を一つまみ用いて大事を成した。時廻しの砂は旅物屋の鍵付き扉の中から拝借したもので、八十竹が絹衣で大岩を撫でて椅子を作るほど気の遠くなるような時間をかけて、小瓶一つ分集めたという話を聞いていた。希少も希少、よほどでなければ人には譲らない秘蔵品だ。子龍が料理にちょいと塩を振る程度持ち出した分ですら、地層が出来て埋まった化石が目覚めるまでの時間は必要である。そんな砂粒を一摘み貰ったと子龍が言うと八十竹はひっくり返った。見事なひっくり返り方であった。相打ちである。

 トウモロコシの髭よりも遥かに頑丈な龍髭を紡いだ糸玉もそろそろ無くなる。今日また噛み千切られたら、リウセイは少しの間家を空け、ヒゲを蓄えた古龍の元に行くつもりだ。水蝙蝠との根比べは終わらない。日が何度暮れようとも、釣りとはただ待つものなのだ。季節が巡ろうとも、八十竹が長い仕入れの旅に出ようとも。浴室が使える日はやって来るのか。今日のところ八十竹は、風呂屋に行くことにする。湯冷めするほど距離はあるが、人を凍らせる風は吹かない時代だ。風呂に浸かっていると永遠を漂う気分になれる。風呂はいいなあ。

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