短編小説【果汁100%缶ジュースのハードボイルド】

ボルさん

ショートショート完結

うだるような暑さが続く東京ベイエリアで俺は彼女と一緒だった。


まぁ、彼女といってもちょっと前に知り合った、そのときだけの女だ。逆ナンパとも言うのだろうか、彼女が俺を選んでくれた。


初めはこの女に、柄にもなくドキドキしていたが、日差しの眩しさと暑さに苦しんでいる彼女の顔が、失望とほんの少しの同情を生んだ。


「そろそろ俺のことを振ってくれないかな」


俺は心の中で願っていた。


そして彼女は汗をシャネルのハンカチで拭いながら

「冷たいのね」と俺の体に触ったままつぶやいた。


その言葉でこの女がいかに俺を必要としているかが察せられた。


俺は次第に同情心が大きくなり、彼女の触れる手によって俺の心の窓が開かれるのを許した。

 

木陰に入るや否や不意に彼女のアーバンレッドのルージュが俺に迫ってきた。まるで心を飲まれていくようだ。


「おいしい」と彼女はそのなまめかしい唇で俺をむさぼる。


「よく振ってからお飲み下さい」と俺の顔に書いてあるにも関わらず結局振ってくれなかった。


クールなつもりの俺は少しずつ彼女のものになっていきそうで怖かった。どうしちまったのだろうか俺は……。


「開封後はなるべく早くお飲みください」このしたたかな願いは彼女に通じなければ俺の心は腐ってしまう。しかし、彼女の渇ききった欲望にはその心配をする必要がなかった。


「あー最高だったわ」


彼女は俺に満足そうな笑顔を見せてくれた。


今の言葉と笑顔に不覚にも俺は彼女に惚れちまったことを認めなければならない。


しかし、皮肉にもその時にはすでに彼女は俺に興味を失っていた。


国道沿いを歩きながら俺を軽々しく扱いやがる。やはり、中身のない奴はだめなのだろうか。


「頼む、俺を捨てる前に最後の願いを聞いてくれ」


俺は彼女が気付いてくれることを祈った。


『空き缶はくずかごへ』


そう、この願いは純粋なものなので通じてもらいたい。


彼女は俺が惚れただけあってその期待にこたえてくれた。俺みたいなクズ野郎でもリサイクルという希望があることを彼女は知っていたのだろう。


分別まで考え、空き缶専用のくず入れに俺をいざなってくれた。


彼女に捨てられてから俺は自動販売機の横のくず入れの中で、自分の一生というものを考えていた。


真夏の太陽が照りつける中、ようやく一つのこたえが浮かんできた。


「俺は、他人の一瞬の幸せのために生まれてきた」のだと……。


そう、その時、はじめて実缶、いや、実感したのであった。

                           

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