宗易の茶室

 千宗易せんのそうえき魚屋ととやは、堺の今市町いまいちまち(現在の大阪府堺市堺区宿院町)にある。


 父の田中兵衛ひょうえ(千与兵衛)は、魚問屋の経営で商才を発揮し、会合衆えごうしゅう(堺の商人たちの自治組織)の中でも特に有力な納屋なや十人衆に列せられるほどの財を築いた。


 宗易は十九歳の時に父を亡くしたが、その頃にはすでに茶人としての活動を初めていたようである。十七歳で最初の師の北向きたむき道陳どうちんに弟子入りし、父が死去した年には道陳の紹介で武野たけの紹鷗じょうおうに師事した。


 若き宗易が茶会でよく用いたのが、村田むらた珠光じゅこう(室町中期の茶人。わび茶の祖)旧蔵の珠光茶碗である。中国から伝わった青磁茶碗では下等品にあたるこの茶碗の、青くなり損ねた薄黄緑色、簡素で崩れた文様もんよう、純朴な佇まいを、


 ――朴訥ぼくとつたるこの姿こそ味わい深い。


 と好み、愛用していた。


 そして、この日も、宗易は、日暮れ時に突如訪れた一人の武将を珠光茶碗でもてなしていたのだった。




「討たれるのですか。同族である三好みよし政長まさなが殿を」


 湯気がたちのぼる茶碗を差し出すと、宗易はその客人――三好長慶ながよしに問うた。


 長慶は苦笑いしつつ、宗易の非難がましい眼差しと向き合う。

 こうやって対座していると、同い年の二人は、鏡に映したもう一人の自分のように瓜二つである。貴公子然とした端正な容姿と、涼やかな目元、そして低めの渋い声までもがよく似ている。少年期から戦場を駆け巡っている長慶のほうが、いささか肌が黒いかも知れない。違いと言えば、それぐらいだった。


「今は二人きりなのだ。そんなよそよそしい言葉遣いで話さずともよい。私とそなたは――」


「主君に佞言ねいげんを吹き込む政長殿は、たしかに武将としては二流、三流なのでしょう。されど、かの御仁は、松嶋の茶壺や九十九髪茄子つくもなすなどといった茶器の大名物を数多あまた所有する一流の茶人でもあります。我が師・武野紹鷗や津田つだ宗達そうたつ(津田宗及そうぎゅうの父)殿との交流も深い。戦があるたびに武具や軍需品が飛ぶように売れるのは堺の商人としてはありがたい話ですが、風流の心を知る御方をつまらぬ身内の争いで失うのは何とも勿体もったい無うございまする」


 宗易が長慶の言葉を遮ってそう言うと、長慶は掌中の珠光茶碗に目を落としながら「気持ちは分からぬでもない」と呟いた。


「文化や芸術というものは、身分や立場、愛憎を越えて、人を繋ぐ不思議な力がある。風流の道を多少は心得ている私にも、同族であり、当代きっての文化人である政長を死なせてしまうことに、躊躇ためらいが無いわけではない。

 しかし、武士にはどうしても避けては通れぬ戦いがあるのだ。それは一族と家臣を守るための戦であり、我がみちを貫くための戦じゃ。細川ほそかわ晴元はるもと様と政長は、私の父を殺した。そして、いずれは私のことも始末するつもりだ。私がたおれれば、弟たちや多くの家臣を路頭に迷わせてしまうことになる。父の仇であるあの二人に負けるわけにはいかぬ。敗者は悪人として歴史に名を残すのみなのじゃ……。亡き父の名誉ため、兄弟や家臣のため、こたびの戦には必ず勝ち、『正義は三好長慶にあり』と天下の人々に示さねばならぬのだ」


 己に言い聞かせるようにそう語り、長慶は茶を飲み干す。宗易は、長慶の喉仏のすぐ横にある刀傷を凝視みつめながら、「難儀なものですな、武士という生き物は。命のやり取りをせねば己のみちを貫けぬとは」と悪態を吐いた。


「宗易よ……。まるで他人事のように言うが、そなたにとってもこれは大事な戦ではないか」


「我が父の敵討ちでもある、と仰りたいので? ハハハ……。私の父は、堺の豪商として名を成した与兵衛ただ一人でございます。三好元長もとながという方とは一度も面識はなく、何の関わりもありません。……第一、『双子は不吉だ』と言って兄のみを嫡子として育て、弟を懇意の商人に養育させた人間を父とは呼びたくはありませんな」


「……で、あったな。気に障ることを言って悪かった」


 宗易が追及する茶の道は、「あるがまである」ということだ。自然体の自分で客をもてなし、春夏秋冬の自然美をあるがままに茶会に取り入れる工夫をする。それが宗易の美学であり、生き方だった。


 長慶と宗易は――これは三好家のごく一部の者しか知らない事実だが――双子の兄弟として生を受けた。しかし、実父の三好元長は「畜生腹、不吉なり」と言い、堺の田中与兵衛に赤ん坊の宗易を託したのだった。


 双子の何が悪い。

 自然の摂理に、命の原理に、悪などあるものか。いやしいものなどあるものか。

 肉親にあるがままの自分を否定された宗易は、深い心の傷を負っていた。彼にとって、自分の出生を口にされるのは業腹なのである。だからこそ、宗易の傷口にうっかり触れてしまった長慶は、素直に謝ったのだ。


 だが、頑固な宗易は一度怒り出すと、なかなか相手を許そうとしない。数年ぶりに再会した兄から顔を背け、すっかりへそを曲げてしまっているようだ。


(これはもう、当分は口を利いてくれそうにないな。戦に負ければこれが今生の別れになってしまうが……やむを得ぬ)


 長慶は、自分と瓜二つの茶人の横顔をしばし眺めた後、「美味い茶であった」と呟きながら立ち上がった。


「もう行かねば。近習たちを近くの飯屋で待たせているのだ。さらばじゃ、宗易」


「…………」


「もしも生きて帰ることができれば、弟たちも連れてまた会いに来る。その時は実休じっきゅう(長慶の次弟)の奴に茶を点ててやってくれ。あいつは、その珠光茶碗をことのほか気に入っておるようだからな」


 そう言い捨てると、長慶は茶室から去ろうとした。ひねくれ者の茶人の返事は期待していない。


 しかし、宗易は意外にも「長慶ッ!」と呼び止めた。

 怒鳴るような、ずいぶんと乱暴な声のかけ方だったが、振り返った長慶の顔は嬉しそうだった。


「何だ、弟よ」


「父の仇討ちじゃと気炎を吐いているが、分かっておるのか。政長殿には、政生まさなり(後の三好宗渭そうい。三好三人衆の一人となる人物)殿という息子がいる。政長殿を討てば、今度はお前が仇持ちじゃ。終わりなき復讐の応酬が始まる。苦しむのはお前だぞ」


「人に恨まれるのは恐ろしい。できれば心穏やかに、親しい友たちと連歌会を毎日催して生きていきたい。だが、あえて苦難の選択をとらねば進めぬ道もある。せいぜい苦しみ悶えながら戦い抜いてみせるさ。それが、そなたが言う『難儀な武士』の棟梁とうりょうとなった者の宿命だ」


「ちぇ、阿呆らしい。本当に難儀な生き物なのだな、お前たち武士は。私は実の父に捨てられて正解だったわい。行け行け、さっさと戦場に行け。勝手に殺し合いでも何でもして来い。…………しかし、戦の日々が苦しくて我慢ならなくなったら、我が屋敷に来い。一服の茶で血にまみれたお前の魂を少しは清めてやる」


「ハハッ。相変わらず口の悪い奴め」


 長慶は破顔一笑すると、今度こそ去って行った。


 茶室に独り残った宗易は、それから半刻(約一時間)ほどの間、長慶が室内に置き忘れていった扇子をじっと睨んでいるのだった。


「嫌な忘れ物をしていく兄だ。これが形見にでもなってしまったら、どうしてくれるのだ……」








<三好長慶と千利休のオリジナル設定について>


三好長慶と千利休が双子だったって!? そ、そんなバナナーーーッ!!!


……と驚かれた読者様も多いと思います。書いていた私もビックリしました(←おい)


お分かりの通り、これはこの小説のオリジナル設定です。

ただ、三好家と千利休には何らかの深い縁があったらしいことは以前から指摘されており、「利休が長慶に頼むところがあった」(永島福太郎博士の一文。宮帯出版社刊、今谷明・天野忠幸監修『三好長慶』より)とのことです。利休は大事にしていた珠光茶碗を三好実休(長慶の弟)に譲っています。


また、長慶と利休は同い年。二人の墓は大徳寺聚光院にあり、しかも仲良く左右隣同士だったりします。


たまたま隣に墓が建ったのか……それともやはり何らかの縁があるのか……?

作家たるもの想像を羽ばたかせるしかあるまいッッッ!!!


……というわけで、この小説では三好長慶と千利休は双子の兄弟というオリジナル設定になりました( ̄▽ ̄)



あと蛇足ですが、もしも利休に武家の血が流れていたとしたら、「千利休は、商人の身分でありながら、秀吉になぜ武士のように『切腹』を言い渡されたのか?」という疑問が解けるような気が……?



(あくまでも妄想なので、「その説はおかしい!」って怒らないでチョンマゲ)








※次回の更新は、11月14日(日)午後8時の予定です。

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