三好長慶の挙兵

 政略結婚によって、織田信秀は斎藤道三と盟約を結んだ。これで、今川義元との抗争中に美濃軍に背後を衝かれる心配は無い。


 だが、信秀にはもう一つの懸念があった。天下の執権の六角ろっかく定頼さだよりがこの濃尾のうび同盟をどう思うか、ということだ。六角家と織田家は、


 ――武家秩序を乱す斎藤道三を協力して討ち果たし、美濃守護の土岐とき頼芸よりのりを救う。


 という約束のもと同盟関係を築いていた。それが、織田側の一方的な都合で、その約束を破るかたちになってしまったのである。この報を聞き、定頼は激怒しているかも知れない。


(俺の志は、室町将軍を助けて天下に静謐せいひつをもたらすことだ。将軍家の庇護者たる定頼殿との繋がりは失いたくない。……それに、万が一にも今川軍との戦いで織田が不利に陥った場合、定頼殿には幕府に働きかけて今川との和議の仲介をしてもらわねばならぬ。南近江の観音寺かんのんじ城に使者を急いで送り、こたびの政略結婚の弁解をしておかねば)


 そう考えた信秀は、信長と帰蝶きちょうの祝言が挙行される前日に、家来の堀場ほりば氏兼うじかねを六角家に派遣していた。


 氏兼は、前にも説明したが、近江六角氏の流れをくむ武士である。六角織田同盟が成立した場にも立ち会っていた。仮に定頼が信秀に対して怒っていたとしても、感情に任せて同族の氏兼を斬り捨てることはないだろうと踏んだのである。


 ところが――氏兼を接見した定頼の態度は、信秀が予想していたよりもずいぶんと淡白なものだった。


「まあ、こうなるであろうことは、おおかた分かっていた。信秀殿も、主家である織田大和守家やまとのかみけに裏切られて苦しかろう。敵をいくつも抱えていては、国は守れぬ。賢明な判断じゃ」


 信秀の書状を読み終えると、定頼は氏兼に柔和な眼差しを向け、そう言った。どうやら怒ってはいないらしい。氏兼は内心ホッとしながら「ハハッ」と頭を下げた。


 伊賀・甲賀の忍びを多数召し抱えている六角家の諜報能力は、群雄たちの中でもずば抜けている。信秀がこうやってわざわざ報告するまでもなく、織田家が斎藤家と同盟の交渉を密かに行っていたことぐらい承知していたのだろう。特に驚くふうもなく、定頼は「良き判断なり」と静かにもう一度呟いた。


「六角様のお言葉を伝えれば、我が主・信秀も胸を撫で下ろすことでしょう。されど、織田家は道三の悪行をけっして許したわけではございませぬ。尾張国内の内紛を収め、今川軍の西進を退けた後には、必ずや道三を討つと信秀は申しておりまする。濃尾のうび同盟は仮初かりそめの盟約に過ぎぬこと、なにとぞご理解いただきたく」


「うむ。そのことは重々承知じゃ。信秀殿のふみにもそう書かれておる。わしも道三はいずれ滅ぼさねばならぬと考えている。……だがな。実を申せば、こちらも今は美濃に目を向けている余裕が無いのじゃ。美濃国で兵乱が当分起きぬのはかえってありがたい」


「と言いますと?」


 氏兼がそうたずねると、定頼は眉間に皺をよせ、物憂そうにため息をついた。


「あれじゃよ、あれ。尻ぬぐいじゃ」


「は? 尻拭い……でござるか?」


「娘婿である細川ほそかわ晴元はるもと殿の尻拭いをまたさせられておるのじゃ。もう何度目か分からぬ。晴元殿は幕府の管領かんれい(将軍を補佐する幕臣筆頭の職)でありながら、たびたび失策を犯して京の周辺国天下の争乱の原因を作る。今回は、家来である三好みよし家の内紛を収めきれず、三好長慶ながよしに背かれおった」


「三好長慶の挙兵は、尾張にも風聞として伝わっていましたが、いよいよ大戦おおいくさになりそうですか」


「昨年、ようやく畿内の乱が鎮まって将軍父子が京に帰還されたばかりだというのに、一年足らずでこのざまよ。晴元殿が使者を寄越して『助けてくれ』と泣きついてきたゆえ、息子の義賢よしかた(後の六角承禎じょうてい)を救援に向かわせてはおるが……。こたびの長慶の用兵の迅速さは、神がかっておる。義賢の援軍が戦場に到着する前に、勝負は決してしまうやも知れぬな」


「では、将軍父子が再び都落ちなされる可能性も――」


 氏兼がそう言いかけたところで、定頼はつと立ち上がった。

 裸足のまま城館の庭に下り、西のかた沈みゆく夕陽を険しい表情で睨む。

 その視線のはるか先――摂津せっつ国(現在の大阪北西部~兵庫県南東部)の各地では戦火がすでにあがっている。恐らく三好長慶は、主君である細川晴元に勝つだろう。下剋上げこくじょうの世か、と定頼は呟いた。


「まだまだ世は乱れる。平安楽土の夢は遠いのぉ……」




            *   *   *




 天下の趨勢すうせいを左右する決戦が、摂津国において間もなく始まろうとしている。


 だが、その前に、近年の歴史研究で「信長に先んじた天下人」として評価されつつある三好長慶の前半生について語っておきたい。


 長慶はなぜ主君の細川晴元に背いたのか――。この主従の因縁については、物語内で何度か触れてきた。


 長慶の亡父・三好元長もとながは、細川晴元麾下きかの猛将として獅子奮迅の働きをし、主家を支えてきた。

 しかし、同族である三好政長まさなが(宗三)の讒言ざんげんによって陥れられ、主君晴元と決裂。晴元は本願寺ほんがんじに要請して一向一揆軍に元長を襲わせ、忠勇の臣を破滅に追い込んだのである。


「そんなにもこの俺が憎いのならば、自ら手を下せばよいものを。一向一揆ごときに俺の不意を襲わせるとは、何たる卑怯。何たる臆病。仕える主を誤ったわッ!」


 悲憤ひふん慷慨こうがいした元長は、妻と幼い長慶を阿波に逃がすと、堺の顕本寺けんぽんじで切腹した。主君と同族の裏切りによほど憤激したのだろう。彼は切り開いた腹から臓物を取り出し、天井に叩きつけた後に絶命したという。


 かくして長慶とその一門は没落した。彼らはこのまま歴史の闇に消えていくかに思われた。

 ところが、どういう運命の悪戯か、父の死からわずか一年後に長慶は奇跡の返り咲きを果たすことになる。




 晴元は本願寺教団を使って家来の元長を粛清したが、一向一揆の大軍勢は法主の本願寺証如しょうにょすらコントロールできないほどの暴走を畿内で始めていた。とうとう晴元自身が一揆軍に襲われ、淡路に逃げ込むという事態に陥っていたのである。この時に、晴元と本願寺の和睦の斡旋あっせんをしたのが、まだ十二歳の若年に過ぎぬ長慶だった。


 ――元服前の子供が和平交渉をやってのけるとは。三好元長の遺児はただ者ではないようだ。我が教団の生き残りのためにも、過去の因縁を捨てて、彼とは今のうちによしみを通じておくべきだ。


 長慶に大器の片鱗を見た本願寺証如は、以降、三好家と友好関係を結んでいくことになる。 


 父の仇である晴元も、次々と将才を発揮していく長慶を認めざるを得なかったようだ。その後も紆余曲折うよきょくせつが多々あったものの、三好家の若き当主は細川政権に復帰することに成功した。長慶は父の無念を胸の奥深くにしまい、晴元の部将となったのである。そして、摂津国の越水こしみず城(現在の兵庫県西宮市)に腰を据え、勢力拡大につとめていった。


 先年に将軍家と細川晴元が対立した際にも、長慶は晴元方として活躍し、舎利寺しゃりじ合戦で将軍方の細川氏綱うじつな(細川一族の内紛で晴元に殺された細川高国たかくにの養子)を破った。

 この戦いに長慶が勝利したおかげで、将軍家側は戦意を失い、晴元との和睦に応じるべきであるという六角定頼の言葉にうなずいたのである。言わば、長慶は畿内争乱を鎮めた立役者だった。


 だが、晴元には、せっかく訪れた平和を数年保つだけの器量すら無かった。和睦成立直後に、将軍方だった池田いけだ信正のぶまさを自害に追い込んでしまったのだ。


 讒言したのは、またもや三好政長である。政長は娘婿の信正を死なせ、池田家の家財を横領したのである。


君側くんそくかん、政長を排除すべし」


 政長の悪事を知った長慶は、主君晴元にすかさず進言した。


 三好政長は同族であっても、父・元長を陥れた張本人。そして、天下の平穏を乱した悪臣である。父の無念を晴らし、天下静謐を実現するためにも、彼を討たねばならない。そう考え、政長を粛清するように主張したのだ。


 さすがの暗君晴元も、先の戦の功労者である自分の諫言を無視することはできないだろう。長慶はそう思っていたのだが――。


「馬鹿なことを申すな。宗三(政長の法号)を殺すなどあり得ぬ。そなたは、まだ父を殺されたことを根に持っているのか。つまらぬ過去はさっさと忘れろ」


 と、晴元はすげなく長慶のげんを退けたのだった。


 この小心者の管領は、天下に武名をとどろかせつつある若武者に嫉妬と恐れの感情を抱いていた。なるべく長慶の力を削ぎ、自分を脅かす存在になることを防ぎたい。そう企んで三好の分家である政長を優遇し、戦がある時以外は長慶を冷遇しようとしていたのだ。


(晴元、愚鈍なり。このありさまでは、私もいつか父のように主君に殺される)


 粛清されるのををじっと待つぐらいなら、戦うべきだ。そう決意した長慶は、昨年の天文十七年(一五四八)に挙兵した。「主君を惑わす三好政長を成敗する」という大義名分のもと、政長との戦を開始したのだ。


「長慶が兵を挙げただと? 父子二代に渡って儂に盾突くつもりか!」


 長慶挙兵の報を聞いても、晴元は目を覚まそうとしない。三好家の内紛を仲裁するべきところを、あろうことか政長の肩を持ち、彼に援軍を送ってしまった。


 晴元が政長を応援する態度を明確にしたのだから、長慶側も対抗措置たいこうそちを取る必要がある。長慶は、かつて戦った細川氏綱を新たな主君として奉じることを決断した。そして、明くる天文十八年(一五四九)の春から夏にかけ、摂津国とその周辺地域で晴元・政長方の軍勢と戦ったのである。


 五月に晴元軍の部隊が和泉いずみ国(現在の大阪南部)の堺に進出する動きを見せると、長慶は駆けつけてこれを駆逐した。長慶方の軍勢は意気軒昂で、天を衝く勢いがある。


「決戦の時は来たれり。父を討たれて十七年目にして、ようやく我が家の汚名を雪ぐことができる」


 仇討ちの成就を目前に控えた長慶は、堺のある若い茶人の屋敷を密かに訪ねていた。


 その茶人というのが、千宗易せんのそうえき――後に茶聖と称せられる千利休せんのりきゅうである。








<連載再開のあいさつ>


お待たせしました! 『天の道を翔る』連載再開です!

(みんな……待っててくれたよね……?)


夏に予告した通り、「三好松永登場編」をしばらく描いていきたいと思います。

後に信長は上洛して三好三人衆と戦うことになるのですが、そもそも三好家とはどんな勢力だったのか? 戦国ドラマではほとんど描かれず、ようやく『麒麟がくる』で少し光が当てられた三好長慶とその一族をなるべく個性モリモリで描写していきたいと思います。もちろん松永久秀は超重要人物なので、要チェックです!!


今後の連載ペースですが、またもや三国志の小説を書き始めることになったため、申し訳ありませんがしばらくは「毎週日曜日の夜8時に1エピソードを投稿」とさせてください……(^_^;)



どうかこれからも応援よろしくお願いいたします!!m(__)m

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