信長の兄たちpart2

 一方、風雲急を告げる三河安祥あんじょう城では――。


「御大将、ご報告いたします! 今川軍と岡崎衆(松平家の家臣団)は山崎城(安祥城の北東に位置する織田方の城)を攻略した模様! 現在、凄まじい速度でこの城に接近中です!」


「な、な、な、何ぃーーーっ⁉ 早い! 早すぎる!」


「さらに、今川の別働隊が三河と尾張の国境くにざかいに布陣! 恐らく、狙いは諸街道を封鎖して尾張からの援軍を遅らせることにあるかと……!」


「いかん。いかんぞ。援軍要請の使者を父上に送った直後にこれか。こ……このままでは安祥城は孤立無援じゃ!」


 城主の織田信広のぶひろ(信秀の長男。信長の異母兄)は、家来の絶望的な報告を聞き、驚愕のあまり危うく床几しょうぎから転げ落ちそうになっていた。


 父も今回の失態ばかりは俺を許すまい……。そう思うと、信広の胃の腑はキリキリと痛む。

 実は、信広は「松平広忠が家来に刺されたらしい」という風説を一か月ほど前に耳にしていたのである。同じ三河国内のことなので、彼の元にそういった噂が流れてくるのは当然のことと言っていい。事実をきちんと確認してから父上に報告しようと考えた広忠は、


 ――広忠殿が重傷とはまことでござるか。


 と、馬鹿正直にも岡崎城に問い合わせた。


 だが、織田家に従えども心服しているわけではない松平家の侍たちが、「はい。うちの殿は死にかけています」と正直に答えるはずがない。返答は「否、虚報なり」だった。

 愚直な信広は三河武士たちの言葉を鵜呑みにし、それ以上はその噂について追及することはなかった。もちろん、噂は嘘だと信じきっていたため、信秀にも報せなかった。


 しかし、今こうして松平がにわかに裏切り、今川方として攻めて来たということは、岡崎城に何らかの異変があったのは明からである。きっと広忠は噂通り致命傷を負い、すでに他界してしまっているのだろう。


「こ、こ、これ以上の失敗は……安祥城を奪われることだけは防がねば。落城した挙句に逃げ帰れば、父上に今度こそ見放されてしまう。も……者共! おちゅちゅ……おちゅちゅいて敵襲に備えるのにゃ!」


 取り乱した時のいつもの癖で、信広は噛み噛みになりながら部下たちに下知を下した。家来衆は、自分たちの大将を不安そうに見つめながらも、「ははぁ……」と頭を下げる。


「落ち着くべきは兄上ですぞ! 何が『おちゅちゅ』ですか! 総大将の動揺は将兵にもうつります! もっとどっしりと構えてくだされ!」


 一人の美青年が、その場にいた皆が思っていたことを堂々と言い、広間に入って来た。負傷しているのか片足を引きずっている。何者かと驚いて一同が見れば、信秀の次男にして信広の同母弟、織田安房守あわのかみ秀俊ひでとしその人だった。


「おお! 弟よ! 助けに来てくれたのか! 今川勢に街道を封鎖されているのに、よく駆けつけられたな!」


 数多いる信秀の子息の中でも、信広と安房守は母を同じくする間柄。父から庶子としての扱いを受けている者同士、とりわけ兄弟の絆は強い。そんな最愛の弟がこの絶体絶命の危機に馳せ参じてくれたのだから、信広が喜ばぬはずがない。涙ぐみながら駆け寄り、怪我のせいで歩きにくそうにしている安房守の体を支えた。


「父上も援軍を送るべく大軍を編制中ですが、どう急いでも今川軍の総攻撃が始まるまで間に合いません。それゆえ、私の手勢だけでも合力ごうりきせんと思い、敵勢を突破して駆けつけた次第。不覚を取って、右腿みぎももに矢傷を受けてしまいましたが……」


「来てくれただけでも嬉しいぞ、弟よ。俺に足りぬのは智謀なのだ。家中で『利口なる人』と呼ばれておるそなたの知恵をどうか貸してくれ」


 そう言いながら、信広は自分がさっきまで腰かけていた床几に弟を座らせる。


 安房守は「左様でござるな……」と思慮深げに呟きつつあごに手を添え、敵軍の弱点を分析しだした。


「……ここまで来る間に何度も今川勢と遭遇して戦闘になりましたが、極めて練度の高い部隊と全く統率の取れていない部隊がありました。

 前者は言うまでもなく、今川家直参の侍たちが領地から連れて来た精鋭兵で、私に傷を負わせたのも朝比奈あさひな泰能やすよし配下の兵でした。

 後者の兵たちは、恐ろしく残忍で、各村々に容赦のない乱妨らんぼう取り(略奪行為)を行っていたのですが、私が奴らの虚を衝いて襲いかかると蜘蛛の子を散らすようにあっさりと逃げて行きました」


「ふむ……。それはたぶん、今川義元に黄金で雇われたならず者たちであろうな。今川は近ごろ金山の開発に力を入れていると聞くから」


「はい。肥えた土地を領土に持たぬ駿河・遠江の武将たちは、他国から流れて来た荒くれ者どもを雇うことで不足した兵力を補っています。それゆえ、金があればあるほど兵を増強できる。

 その代り……今川領の生まれではない流れ者たちは、義元のために命がけでは戦わない。味方が危ないと見れば簡単に逃散してしまう。そこが今川軍の弱点であり、我らの狙い目かと」


「つまり、どういうことだ? 岡部おかべ元信もとのぶあたりの猛将を討ち取ってやればよいのか? そうすれば、寄せ集めの今川兵の戦意を大幅に削ぐとができるだろうが……」


 信広はそう言うと、わずかに顔を青ざめさせて「お、俺にできるかなぁ~」と弱々しく呟く。小豆坂あずきざか合戦で岡部元信にこてんぱんにやられた時の恐怖を思い出したらしい。


 安房守は、「岡部元信はさすがに無理にでしょう」と手を振って笑った。


「奴は攻め時と引き際を心得た名将、今川軍の軍神です。あの者を討ち取るのならば、最初槍はなやりの勇者・造酒丞さけのじょうか一万の軍勢のどちらかが必要になります」


「この城には造酒丞も一万の軍勢も無いからなぁ……。では、そなたは誰を狙うつもりなのだ」


「松平家の武者です。彼ら岡崎衆は――」


 と言いつつ、安房守はおもむろに城の大手門がある東の方角を指差す。


「彼らは、この三河国の地理や情勢に詳しい。それゆえ、雪斎せっさいに城攻めの先手衆をつとめるように命じられるはず。兄上も先年に三河武者の林藤五郎・小林源之助と刃を交えたことがあるゆえ、ご存知でしょう。三河の武将は猪突猛進、命知らずの輩が多いゆえ、己の命を露ほども顧みずに特攻してきます。きっと、この城の大手門から討ち入り、烈火の勢いで本丸目指して突き進んで来るに違いありません」


「お、おお……。そうじゃな。あいつらは人間というよりは猛虎じゃ。いったん獲物を視界にとらえれば、死ぬまで追いかけて来る。思い出しただけでも身の毛がよだつわい……」


「中でも、その猛虎の群れの先頭を突っ走っている武将は、三河随一の勇者のはず。我らは一番槍で突入して来た勇者を城内の奥深くまでおびき寄せ、袋叩きにして討ち取ればよいのです。さすれば、同胞を討たれた岡崎衆には動揺が走り、烏合うごうの衆に過ぎぬ今川の大軍は戦意を喪失するかと」


「それは名案だが……その作戦を実行するためには、敵将をひきつけるためのおとりがいるであろう。いったい、誰が囮になるのだ?」


「もちろん、兄上ですよ。敵大将自ら囮にならねば効果がありませんし」


「え? 俺? い、いやいやいやいやいや……」


「いやいやいやいやいや、ではありません。兄上以外あり得ませんから」


「いやいやいやいやいや」


「いやいやいやいやいや」


「いやいやいやいやいや」


「いやいやいやいやいや」


 かくして、織田信広は安房守から必策を授かり、今川・松平連合軍を迎え撃つことになるのであった。








※次回の更新は、5月23日(日)午後8時台の予定です。

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