滝川一益の就職志望

 一益は女たちによって捕縛された。


 縄でぐるぐる巻きにされ、気を失った状態のまま城主館の庭先まで引っ立てられた後、冷水をぶっかけられて目を覚ました。


「ぶ、ぶはぁ~⁉」と息を吹き返した一益に対して、女たちは再び寄ってたかって蹴りまくる。


「も……もう暴れないからやめてくれぇ~! いててて! いってぇ~‼」


 那古野なごや城内に、一益の悲痛な叫び声が響き渡る。


 館の縁先で胡坐あぐらをかいてその有様を見物していた信長は、「もうよい」と女たちを止めた。さすがに可哀想になってきたのである。


「城内にふんどし一丁で忍び込んだ無礼者め。あなたはいったい何者ですか。正直に答えねば、今度は顔の原形をとどめぬほどボコボコに殴りますよ」


 お徳が拳をベキボキ鳴らしながら尋問する。「ひ……ひえっ!」とおびえた一益は、自身の姓名を素直に名乗った。


「俺様の名は……滝川一益。甲賀から流れて来た」


「た、滝川一益ですって⁉ あなたが、私が探していた甲賀の滝川一益なのですか⁉」


「最悪だ……。こんな奴が俺の従兄弟いとこだなんて……」


 その名を聞いたお徳と息子の恒興つねおきは、驚くやら呆れるやら。


 前にも書いたが、お徳は亡夫・恒利つねとし(滝川家から池田家に入り婿した)の甥にあたる滝川一益を信長の家来に登用するべく甲賀に赴いたことがある。だが、一益は博打ばくち好きが災いして父親の滝川一勝(恒利の兄弟)に勘当され、行方不明になっていた。


 お徳はその後も一益の行方を探していたが、一向に見つからなかった。その探し求めていた人物が、まさかこんな近くにいて、ここまでうつけ者だったとは……。


「滝川一勝殿から『ろくでもない放蕩息子ゆえ、ほとほと愛想が尽きました』と聞かされていましたが、噂以上の阿呆だったのですね。やれやれ、こんなうつけを信長様の家来にしてもよいものやら……」


「へ? おばさん、俺様の親父と知り合いっすか?」


「だーれが『おばさん』ですか! 無礼者! 私はこれでも織田信秀様の寵愛を受ける側室ですよ!」


「ぐべぼば⁉」


 お徳に豪快に蹴り飛ばされた一益は、庭の池にどぶーんと落っこちる。女の身で息子の恒興に自ら武芸を叩きこんだだけのことはあり、物凄い蹴りの威力である。


「ちょ……ちょっと待っ……ぐべ⁉ な、縄で縛られているのに水の中に入れられたら溺れ……あぎゃぁ⁉」


「私はあなたの義理の叔母です! 義叔母上と呼びなさい! この糞たわけ!」


「がべごべほごごご~っ⁉」


 池から何とか這い上がろうとする一益の頭をお徳はゲシ! ゲシ! と蹴りまくる。


(この無頼ぶらい者はちゃんとしつけをしなければ、ろくな武士にならない)


 そう直感し、野生の獣を調教する感覚で一益と接する決意をお徳はしていた。捻じ曲がった根性を矯正せねばならない。


 この年増女に逆らったら殺される、と一益もようやく察したのだろう。「お、義叔母上! 申し訳ねえ! 申し訳ねえ!」と必死に謝った。


 甥の謝罪の言葉を聞いたお徳は、「フン。分かればよろしい。以後、無礼な物言いは慎みなさい」と言い、一益の首根っこをつかんで池から引きずり上げてやった。


「……お徳よ。この男が、そなたが以前から申しておった池田家の縁戚の者なのか?」


 信長が、いきなり凶暴化した自分の乳母に若干引き気味になりながら、そうたずねる。


 お徳はその場でかしこまり、「はい……。誠にお恥ずかしい話ですが、どうやらこの全裸の変態が亡き夫の甥にあたる滝川一益のようです」と答えた。心の底から恥ずかしいと思っているようで、ひたいは汗でぐっしょり濡れている。


「全裸になっちまったのは、俺様のせいじゃねーんだけど」


「お黙り! 信長様の前で口答えをしてはいけません!」


「……ふへ? このがきんちょがこの城の主? 俺様はてっきり自分と同い年ぐらいかと――」


 ごつん! とお徳の拳骨が一益の頭に落ちる。「ぶぎっ⁉」と豚が絞め殺されたような声を上げ、一益は地面と接吻せっぷんをする。


「無礼な物言いは慎め、と先ほど申したはずです。あなたは信長様に仕官することを望んでこの城内に忍び込んだのでしょう? 主と仰ごうとする御方に対して『がきんちょ』と言うなど言語道断。次にその言葉を吐いたら、首をねますよ」


 一益の粗暴な振る舞いは他者――特に繊細な心を持つ女性を苛つかせる。イライラの絶頂に至りつつあるお徳は、本気で殺しかねない目で一益を睨んだ。城内の女たちや信長親衛隊の町娘たちも、麗しい信長にみんな憧れているので、若殿様に無礼な物言いをした一益に殺意の視線を注いでいた。


 さすがに見かねた池田恒興が、


「……お前。そろそろ態度を改めないと、今度は袋叩きだけでは済まないぞ?」


 と、一益に耳打ちする。


 一益も女たちの殺気に気づいたらしく、ごくり……と唾を呑み込んで頷く。そして、縄で縛られた体を芋虫のようにぐねぐね動かしながら何とかその場に正座し、自分をやや冷めた目で見下ろしている信長に深々と頭を下げた。


「も……申し訳ねぇ……。数々の無礼、突っ込んでお詫びするです。ど、どうか、お許し……お許ししてくれやがれませ……」


「お前はろくに敬語を使ったことがないのか? 『突っ込んでお詫びするです』とは何だ? そこは『伏してお詫び申し上げます』であろう」


「ふ、伏してお詫び申し上げます!」


「本当に反省しておるのか」


「そりゃぁもう当ったりめぇ……じゃなかった、はい! はいでございます! 反省していやがりますから、俺様を信長様の家来にしていただく候! あなかしこ!」


(こいつと話していると、疲れる……)


 信長は生真面目な性格である。こういうふざけた態度を取る人間は好かない。問答無用で城から叩き出さず話をいちおう聞いてやっているのは、乳母であるお徳とゆかりのある人物だからだ。


「……だが、お前はついさっき『てめぇみたいなお子ちゃまなんかにだぁ~れが仕えるかってんだ』と申していたはずだが。俺が十五歳の若造だということが気に食わぬのなら、他の武将に仕えたらどうなのだ」


「い……いえいえいえ! 俺様は、尾張の虎と称される織田信秀様のご嫡男にお仕えしたいんっすよ! 織田弾正忠だんじょうのちゅう家は大きな港を二つも持っていて羽振りがいいって聞くし! 食うや食わずやの流浪生活とはもうおさらばして、贅沢ぜいたくな暮らしがしたいというか? 一攫千金いっかくせんきんを狙った博打で大負けして身ぐるみ剥がされるのはそろそろ懲り懲りというか? 何はともあれ、金持ちの殿様の元で出世して、銭と美女に囲まれたウハウハな極楽生活を送りたいんっす! もうもう……マジでお願いしやがりますッ‼ 家来にしてもらえるのなら、頭なら何度でも下げるっすッ‼」


「……すがすがしいまでに煩悩まみれだな、お前」


 社長殿様の前で一番語ってはいけない就職仕官の志望動機である。信長は呆れ返り、深々と嘆息した。


 お徳と恒興の縁戚なので、少しでも見どころがあるようならば登用してやってもいいのだが……今のところ駄目なところしか見当たらない。完全なる駄目人間である。ダメダメすぎる。


「あ、あの……信長様。この者を忍びとして使ってみたらどうでしょう?」


 これは不採用に終わる、と察したお徳が信長に近寄って耳打ちした。

 こんなろくでなしだが、いちおうは亡き夫・恒利の甥っ子である。一文無しの流浪の身から脱却させてやりたい。そう思い、助け舟を出してやったのだ。


 忍びだと? こんな騒がしい奴をか? 信長はそう言いたげな目でお徳を睨む。


「この城は敵襲に備えて厳戒態勢にありました。そんな中、一益は城内にたやすく忍び入ることができたのです。それなりに忍びの心得はあるかと……」


「むぅ……。そういえば、あいつは甲賀の出身であったな」


 忍びといえば、伊賀と甲賀。


 信長も、六角ろっかく家が多くの忍者を雇って他国の情報を事細かに収集していることを知って以来、自分も優秀な忍びを配下に欲しいと考えるようになっていた。滝川一益にその役目が期待できるというのなら、家来にするのもいいかも知れない。ただ、使っていた甲賀忍法(?)が「乱れタマ潰し」というふざけた技名だったのがどうにも不安だが……。


「滝川一益。お前にやってもらいたいことがある。その任務を見事こなすことができれば、家来にしてやってもよいぞ」


「え⁉ マジっすか⁉ ひゃっほーい!」


「奥に入れ。ここでは言えぬ話がある」


 そう言うや否や、信長はすっくと立ち上がって城主館の奥へと引っ込んだ。


 一益は縄で縛られた状態のまま、くねくねと体を這わせながら信長の後について行こうとする。しかし、お徳に「馬鹿者ッ」と叱られた。


「全裸でお殿様の部屋に入るつもりですか。衣服を与えるので、まずは身だしなみを整えなさい」

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